★猫丸しりいず第293回(最終回)


◎ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」
オイゲン・ヨッフム指揮 アムステルダム・コンセルトへボウ管弦楽団
(DECCA 4758147 ※交響曲全集 廃盤)
前回お知らせした通り、足かけ8年、300回近く続いた「猫丸しりいず」も、遂に
今回をもって終了となる(その理由は後述する)。


実はこの「猫丸」の連載を開始する時に、「この連載の最終回のテーマはこの曲に
しよう」と心に決めていた曲がある。それこそがベートーヴェンの「第9」。
まあその時にはまさかこの連載が300回弱も続き、本まで出てしまう事態になる
とは想像もしていなかったが。


珍曲、珍演をこよなく愛するヘソ曲りの私にとっても、やはり「第9」は別格の存在
である。なぜこの曲にそんなに惹かれるのか。「孤高の名曲」と呼べる名作は、
他にも少なからず存在する。しかし、「第9」ほど孤高でありながら「人間臭い」
シンフォニーも無い。そこに強く惹かれるのである。


初めてこの曲の終楽章を歌詞対訳を見ながら聴いた時、「オオッ」と思う出来事が
あった。例の「歓喜の歌」の旋律を合唱が2度目に歌う時、なぜか後半に音量が
スーッと落ちる。音楽的には不自然で、「何でこんな事するのだろう」と不思議に
思っていたのだが、この部分の歌詞を知って腑に落ちたのだ。


そこは「心を分かち合える相手を得る事の出来ない者は、喜びの仲間から
人知れずみじめに去って行くが良い」という歌詞であった。まあシラー先生も
随分とシビアな事を言ってくれるが、この部分をそのままフォルテで絶叫させずに
そっと音量を落としたベートーヴェン。「ベートーヴェン=頑固一徹偏屈おやぢ」
という偏見に捕らわれていた当時高校生の私は、「ベートーヴェンさん、アンタ
敗者の気持ちがわかる優しい男だね、実は」と感動してしまった。
激動の人生の中で、多くの挫折を味わい自殺まで考えたベートーヴェン。
作曲家としては成功をおさめたとは言え、終生病や経済的な苦労が絶えず、
この「第9」すら自身の耳で聴く事の叶わなかった男。「伝記の中の偉人」では
無い、「悩み、苦悶し、戦い、喜ぶ一人の男」としてのベートーヴェンの心情は
、他の8曲とは比較にならない程の濃さで、この「9番」に込められているように
私は思う。


私が「第9」で最も好きなのは圧倒的に第1楽章。この楽章の凝縮度はつくづく
凄いと思う。そして終楽章の中間部、合唱が「兄弟よ。星空の彼方には父なる
神が必ずおられるのだ」と歌い上げる部分である。「神は必ず居ると確信して
いるけれども、そこに到達出来るかわからない」という感じの、憧憬と現実の
せめぎ合いを感ずる。胸が熱くなるこの崇高な響きを生み出した男が、それを
自身の耳で聴く事が出来なかったなんて・・・・。


天文学的な数のある「第9」の音源の中で、今回選んだヨッフム&ACO盤は
恐らくかなり地味な存在だろうし、正直、これを上回る名盤は少なからずあるが、
「初めて自腹で買ったレコードの一つ」であり、自分にとってかけがえの無い
存在であるこのヨッフム盤を選ぶのに躊躇は無かった。2枚組で2,600円という
価格は当時の自分の「可処分所得」を考えれば大きな買い物だったが、オケの
ふっくらとした美しい響きを活かした格調高い演奏に一発で魅了された事は
未だに忘れ難い。


さて、「猫丸」が今回で終了となる理由を最後にお伝えしなければならない。
実はこの6月末をもって、ディスクユニオンから退く事になった。
7年半に亘り、新宿、吉祥寺の店頭でご愛顧頂き、お世話になった多くの
お客様、当「猫丸」をお読み頂き、色々とご指導ご鞭撻を頂戴した読者の皆様
には、どれだけ感謝を申し上げても足りない程である。


この連載に関しては、この演奏家や作曲家をテーマにしてほしい・・というリクエスト
も色々頂き、実際にそのお声をテーマに活かした事もあったが、全てのご希望に
お応えする事が出来なかった点については何卒ご容赦頂きたい。
また「猫丸しりいずの本」の続編についても少なからぬご希望を頂いていたの
であるが、残念ながらそれを果たせぬ結果となったのは、私としても心残りでは
ある。


自分にとっても、この連載を書くに当たってテーマとした作品、作曲家、演奏家
たちに関する様々な文献に接して、それらに対する知識や関心をより深度化
させる事が出来たのは大きな収穫であったし、何より自分のここまでの「音楽人生」
を振り返り、総括するという得難い機会を頂いたのは幸運だった。自分が如何に
恵まれた環境(人的にも物的にも)の中で「音楽人生」を歩んでこられたかを痛感し
感謝している。鉄道紀行の金字塔と言える名著「時刻表2万キロ」の後書きの中で
著者の宮脇俊三さんが、「これを書き上げたときは、自分の墓石を彫り上げたような
感慨さえあった」という感想を述べておられたが、その心境が少しは理解出来た
気がする。このしょうもない連載が、お読みの皆様のお役に多少なりとも立った
のであれば、それは私、猫丸にとって望外の喜びである。


最後に皆様。本当にありがとうございました。
そしてこれからも、ディスクユニオンをよろしくお願い申し上げます。