★猫丸しりいず第292回
◎グリエール:バレエ音楽「赤いけし」(全曲)
アンドレ・アニハーノフ指揮 サンクトペテルブルグ国立交響楽団
(NAXOS 8553496~7 2枚組)
「第2次大戦」「ヒトラーとナチ」「ソ連の誕生と崩壊」
もしこの3つが無かったら、20世紀のクラシック音楽史は相当変わっていたのでは
ないか。

中でも「ソ連」という国家がもし生まれなかったら、20世紀の「ロシア音楽史」は
どうなっていたのだろうか?という点には非常に興味をそそられる。
ソ連の、中でもスターリンの独裁体制下において音楽(を含む芸術)が社会主義の
称賛と、人民の「革命精神」を昂揚させるための手段となり、平易で前向きで、
労働者階級を鼓舞するもので無くてはならぬ、要するに須らく「党の政治方針にそった
模範的な作品」であるべし、といういわゆる「社会主義リアリズム」が跋扈する事と
なった。その方針に背いた作品や芸術家は弾圧、糾弾され、命すら危うい状況に
陥った。
 
そんな環境下に於いて、ソ連には膨大な量の、様々な意味で「わかりやすい」音楽
作品が生まれたのだが、それらを生んだ作曲家たちは「権力に妥協した」と見なされた
のか、サッパリ尊敬もされず、その作品も「ソ連邦内御用達」的な扱いを受け、永らく
一部のマニア以外には一顧だにされない状況が続いた。それら膨大な作品群は
ソ連の崩壊後、徐々にではあるが「西側」の聴き手にも紹介される機会が増えた。
ただ、その多くはB級作品で、マニア以外に一般的におススメ出来るとは言い難い。
まあフレンニコフやボイコ等々の手による「清々しい程にB級」な作品群には、
一種吹っ切れた面白さがあるのも事実だが。
 
しかし中には知られざる大傑作もある。それが「赤いけし」。
中国の港を舞台としたソ連船の船長と中国の踊り子の悲恋物語だが、背景と
なっているのは、搾取する資本家たちに蜂起する労働者たちと中国革命・・・という
「いかにも」な作品。同じく中国を舞台としたプッチーニの「トゥーランドット」とほぼ
同期生の1927年の作品である。作曲者のグリエール(1875~1956)は、
「社会主義リアリズムの模範作曲家」「体制寄り」という位置付けが今日まで定着
しているためか、どうも軽くあしらわれている気がしてならないが、同世代の
スクリャービンやラフマニノフに全く劣らない大作曲家と私は確信している。



この「赤いけし(芥子)」、先輩のグラズノフやチャイコフスキーのバレエ音楽の
精神をそのまま20世紀に引き継いだ・・という感じの、実に華麗な作品。
「ペトルーシュカ」「春の祭典」「スキタイ組曲」よりもずっと後輩の作品という事を
思えば、そのオールド・ファッションぶりは否定しようが無い。しかし、この曲は
決して19世紀の名バレエのカーボン・コピーでは無く、その精神は引き継ぎながらも
煌めくような華麗なオーケストレーション、聴き手をワクワクさせる壮大で英雄的な
音楽運び等々、グリエールの独自色が最上の形で現れた名曲なのだ。


このバレエは何故か「ソビエト水兵の踊り」だけが有名という時代が長く続き、
2時間近い全曲に触れる機会がまるで無かったのだが、CD時代になって遂に登場
(そして現在でも恐らく唯一)の全曲録音が、ご紹介のNAXOS盤。初めて聴いた時は
本当に驚き、こんな傑作の全曲盤がこれまで全然無かった事が信じられない思いで
あった。中国が舞台だけあって、中国風、五音音階の東洋的旋律が多く登場するが、
全編旋律美と色彩感に溢れた音楽には惹きつけられっ放しで、全曲聴いても
「長い」と感じさせない。それにしても、この作品の中では正直「陳腐」とも思える
「ソビエト水兵の踊り」だけがなぜ有名になったのかは、かえって不思議である。
この盤、演奏も良く、「苦力(クーリー)たちの踊り」の野卑なド迫力など「こうで
無くっちゃ!」とニンマリ出来る箇所も多い。CD時代になってようやく、そして急速に
認知度と人気が上昇したグリエールの作品だが、その普及に大きく貢献したのが
英シャンドス・レーベルの名匠エドワード・ダウンズとBBCフィルによる一連の録音。
3曲の交響曲や、バレエ「青銅の騎士」等、名演・名録音の嵐だが、この「赤いけし」が
組曲版の録音だったのが非常に惜しまれる。このコンビによる全曲盤が是非聴き
たかったのだが・・・。



ともあれ、ソ連時代の「社会主義リアリズム」楽曲は、まさに玉石混交で笑って
しまうような「大B級怪作」も多々あるが、マニア狂喜のB級グルメの宝庫である事は
間違いない。特にこれからの蒸し暑い、食欲・・じゃなくて「聴欲」が衰えがちな
季節には打ってつけ。さあ皆様もグリエールの華麗な名曲や、ポポフの怪しさ炸裂
プロパガンダ・マーチ「赤軍運動」なんかを大音量で聴いて、ダレた気分を
吹っ飛ばそう!!


さて、ここで皆様にお知らせがある。



足かけ8年に亘りご愛読を頂いた当「猫丸しりいず」であるが、次回の第293回が
最終回となる。珍曲、珍盤の類を優先的にとりあげてきた「猫丸」ではあったが、
大トリはあの孤高の名曲に登場頂いて格調高く(笑)シメたいと思う。
それではまた次回。