★猫丸しりいず第280回


◎モーツァルト:交響曲第1番
ニコラウス・アーノンクール指揮 ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
(国内ARIOLA BVCD34019~ ※3枚組 廃盤)
とにかく最近、名指揮者の訃報が続く。


つい先日ブーレーズをとりあげたばかりと言うのに、今度はアーノンクールの
訃報が届いた。ブーレーズとはまた違う意味で、クラシック演奏史に多大な
インパクトを与えた人である。当「猫丸」でも、マラン・マレの「膀胱結石手術図」
http://blog-shinjuku-classic.diskunion.net/Entry/790/)と、ガーシュウィンの
「ポーギーとべス」全曲(http://blog-kichijyouji-classic.diskunion.net/Entry/1874/
という対照的な2点をご紹介済みだ。


私と同年代以上の方には、この指揮者がまだ「ハルノンクール」と表記されていた
比較的初期から晩年に至るまでのキャリアとほぼ同時進行の「リスナー人生」を
送ってきた方が多いと思う。私も含めてこの年代の聴き手には、初期の彼に
対する「闘士」「反逆児」みたいなイメージが非常に強く残っていて、彼が年齢を
重ねて「巨匠」的なポジションを獲得した後も、どこかに「この人ホントに名指揮者
なのか」というような一種の「引っ掛かり」が拭えない・・・という印象がある。


私が初めて接した彼の演奏はアムステルダム・コンセルトへボウ管との
モーツァルトの「40番」で、大いに驚き、面白い!とは思ったものの、本当の意味で
彼の音楽に共感したという訳では無かった。その後もあまり積極的に彼の演奏に
接してきたとは言えなかった私にとって、一大転機となったのが前述の「ポーギーと
べス」の全曲録音。こよなく愛するこの名曲をよりによってアーノンクールが・・・・
という興味本位で聴いた。何度も繰り返し聴いていくうちに、最初に感じた「違和感」
は解消され、逆に彼が決して「伊達や酔狂」でこの作品をとり上げた訳ではなく、
如何に深くこの作品を研究し、愛情を持って演奏しているかが強力に伝わってきて
「さすがだ」と感服してしまったのである。


アーノンクールの凄いところは、「これまでの演奏史」に全くこだわる事なく、自分の
目で楽譜をゼロから読み直し、一切の妥協無くそれを音にしていくという姿勢が
最後まで変わらなかった点。「ポーギーとべス」に感心した私が他にも色々聴いた
彼の録音には、まさに「目から鱗が落ちる」級のインパクトを受けたものも多々
あったが、例えばブラームスの「交響曲第4番」の第1楽章には度肝を抜かれ、
慌ててスコアを見直してしまった程だった。結果「なるほどね~」と唸らされて
しまったのだが、興味のある方は是非スコアを見ながらこの演奏を聴いて頂きたい。
そして、もう一つの「目から鱗」が今回ご紹介のモーツァルト。


この「初期交響曲集」、1999~2004年にかけて録音され、アーノンクールと彼の
孫の共演?によるモーツァルト父子の手紙の朗読までついており、初出当時は
話題を呼んだアルバムだったが、何と現在廃盤らしいのは惜しい。
「交響曲第1番」。わずか8歳!でモーツァルトが書いた作品。実にシンプルな
造りで、私はベーム&ベルリン・フィルの手堅い演奏で長年親しんだ作品だったが、
このアーノンクールの演奏を初めて聴いた時には悶絶&抱腹絶倒状態。
なだらかで「純朴」という趣きのベーム盤に比べると、アーノンクールの演奏は、
「急上昇&急降下」という感じの強烈な強弱の付け方や濃い表情等々、別の
作品を聴くようなスリルに満ちている。「イヤ~、やってくれるわ」と呆気にとられたが、
この演奏を聴いて確信させられたのは(ベーム盤でも薄々気付いてはいたが)、
この「交響曲第1番」が少年の習作にも関わらず既に十二分に「モーツァルトの音楽」
になっている事。やはりアマデウスという男、異常天才としか言いようが無い。
この作品をここまで「体当たり」でやってのけるアーノン クールには脱帽である。


注目はされるが、あまり評価されない・・という微妙なポジションから脱却出来ない
まま逝ってしまったように(個人的には)思えるアーノンクール。彼に対する正当な
評価が盛り上がるのはこれから!と期待したい。