★猫丸しりいず第279回
 
◎モーツァルト:レクイエム
 
エーリッヒ・ラインスドルフ指揮 ボストン交響楽団 他
(海外RCA 720792 2枚組 ※1964年1月19日 J.F.ケネディ追悼ミサ実況)
 
音楽に関する文章を書くにあたって、自分が大きな影響を受けた人々の中で
特に忘れ難い人がいる。それは三浦淳史さん(1912~1997)。その業績から
言えば「大先生」なのだが、あえて親しみを込めて「三浦さん」と呼びたい。

三浦さんの文章にリアルタイムで触れたのは、恐らく私の世代から上の皆さん
であり、若い世代の方にとって「三浦淳史」という名前はあまり馴染みが無い
かもしれない。伊福部昭の盟友であり、その独特な味わいの暖かい文章に
よって多くの音楽ファンに親しまれた評論家である。


三浦さんの最大の業績は、英国の音楽や演奏家を積極的に紹介した事だろう。
ディーリアスやバルビローリを筆頭に、英国の音楽家の人気が日本で非常に
高いのは、三浦さんの影響抜きには考えられない。そして、三浦さんのもう一つの
業績は、知名度は高いが「職人的」と見なされ、当時(今でもかもしれないが)
人気がイマイチだった名演奏家たちを、人間味溢れるエピソードを挟みながら
紹介した事。ドラティとか、前々回にとりあげたスタインバーグについての
エッセイは素晴らしかったが、中でも忘れられないのが、名匠エーリッヒ・
ラインスドルフ(1912~1993)。


奇しくも三浦さんと同い年で、没年も近くほぼ同じ時代を生きたと言えるこの
名指揮者。ウィーンに生まれ、20歳代後半の若さでトスカニーニの推薦により
ニューヨークのメトロポリタン・オペラにデビューしたが、あいにくその年(1938年)
にナチスドイツによるオーストリア併合という大事件が発生。ユダヤ系だった彼は
祖国に戻る事が不可能になり、その後米国でキャリアを築く・・・という、この年代
のユダヤ系の音楽家と同様の道のりを辿った人である。
驚異的な耳の良さと厳しいトレーニングで多くの名盤を遺したが、その「即物的」
な演奏スタイルは玄人筋にはウケても一般的な人気からは程遠いと言える存在。
そのあまりに厳格なリハーサルから、楽団と揉める事も少なくなかったようだ。


しかし、三浦さんの文章は、そんな彼を「厳格」という切り口だけで紹介したりは
しない。「鬼の巨匠」も家庭ではユーモア溢れる良き父だったようだ。自宅に招いた
客人が食事の際に出て来たローストビーフのソースに興味を示し、ラインスドルフに
「これどうやって作るんだい?」と尋ねると、彼は得意げに「奥さん秘伝のソース」の
種明かしを始めようとするのだが、その場にいた娘さんに「パパ!ママの留守中に
ママの企業機密をバラしちゃダメじゃないの!」ととっちめられ「あ、スンマセン・・」
とスゴスゴ引き下がった・・・という、微笑ましい「ダメおやじ系」のエピソードが
紹介されていて、「へえ、この巨匠にもそんな一面が・・」と意外に(そして嬉しく)
思ったものだった。こういう人間臭い逸話を混ぜ込みつつ、実に温かく、なお且つ
「ダンディ」な文章。私には一生かけてもこんな名文は書けそうもない。降参だ。


ラインスドルフの名盤は、以前に当「猫丸」でもとりあげた「トゥーランドット」の全曲盤
の他、ボストン響と遺したベートーヴェンやプロコフィエフの交響曲やマーラーの
「3番」、ベルマン&シカゴ響と組んだブラームスの「ピアノ協奏曲第1番」、
コルンゴルトの「死の都」全曲等々、次々頭に浮かぶが中でも印象深いのが、
今回ご紹介の「レクイエム」である。


この盤は1964年1月19日に行なわれたJ.F.ケネディ米大統領を追悼するための
ミサのライヴ録音で、楽曲のみならずミサの開始を告げる鐘の音や、ボストン
大司教の祈りの言葉等も収められている。前年の11月にダラスでJFKが凶弾に
斃れたという衝撃的なニュースが入った際、ちょうどボストン響の公演中だった
ラインスドルフは演奏を中断して聴衆にこの悲劇を伝えたのだそうだ。
この「レクイエム」、今は中々聴けない「重厚長大」型の名演奏。荘厳な雰囲気の
中に、当時のアメリカ社会を覆っていたであろう悲しみ、喪失感のようなものが
伝わって来て胸を打つ。自分の生まれる半月前の「事件」の記録として個人的にも
感慨深い音源。「ラインスドルフ=即物的」というイメージを覆すアツい演奏を
聴く度に、私の頭には三浦さんの名エッセイが甦るのだ。