★猫丸しりいず第261回


◎J.シュトラウス:美しく青きドナウ(合唱入りヴァージョン)、南国の薔薇、春の声 他
ウィリー・ボスコフスキー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ESOTERIC/DECCA ESSD90129 ※2015年9月15日発売 限定生産)
「餅は餅屋」「蛇の道は蛇」と言う。


へそ曲がり人生一直線の私は、この諺を聞いても「そんな事もないだろう」と珍盤、怪演
漁りを続けているが、そんな私もトシのせいで多少は丸くなったのか(笑)、「本場モノ」の
凄さを素直に認められるようにもなってきた。


そこで「ボスコフスキーのウィンナ・ワルツ」。
天文学的な数が遺されているクラシック音楽の録音の中でも、一二を争う「メジャー中の
メジャー」と言える存在である。あまりに「普通すぎる存在」のこの音源と、私は長年真剣に
向き合う機会が無かった。先日発売されたESOTERICのSACDの新譜で、このボスコフスキー
の録音がとり上げられた。正直、発売が発表された時、私は「これだけ人口に膾炙した音源
をどうして今更・・・」と思ってしまったのだが・・・。


聴いて驚いた。「こりゃ降参だ!」と唸った。そして頭に浮かんだのが冒頭の二つの諺である。
ボスコフスキー(1909~1991)はクレメンス・クラウスの後継として1955年から1979年の長きに
亘り、ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートの指揮者を務め、最後の1979年のコンサートは
DECCAのデジタル録音第1弾として大々的に発売された。翌1980年からはコンサートの全編の
リアルタイム中継が始まり、様々な大物指揮者が交代で登場するようになって、コンサート
自体の知名度は一気にアップしたが、知名度のアップと反比例するようにウィーンらしい
「地元の味わい」はどんどん稀薄になっていくように私には感じられた。「グローバル化されすぎ」
のニューイヤー・コンサートは少なくとも私にとっては魅力がイマイチだ。
そんなワケで、私のウィンナ・ワルツの愛聴盤は田舎臭く、良い意味でアバウトで「日常」感炸裂
の名匠ロベルト・シュトルツのオイロディスク盤である。「超一流のB級」とも呼ぶべきシュトルツ盤
に比べると、ボスコフスキーのDECCA盤は何か「スタイリッシュ」に過ぎる感じがして、それが
何となく彼のウィンナ・ワルツと「マジで」向き合わなかった要因でもあるのだろう。


そこに出現した今回のESOTERIC盤。まず選曲が良い。「美しく青きドナウ」の合唱入りとオケのみ
両ヴァージョンを最初と最後に置いた事に、制作サイドの「思い」を感じさせる。ありそうで無い
「合唱入りヴァージョン」の録音。この「合唱入りドナウ」にまず強烈な先制パンチを喰らわされて
しまう。ヨタヨタしているうちに続く「南国の薔薇」や「ウィーン気質」「春の声」等々で完全に
ノックアウトという趣きだ。ボスコフスキーの録音には確かにシュトルツのような「土臭さ」「大衆性」
は薄い。そこにあるのは「磨き抜かれた日常」という感じの音楽である。妙な例えで申し訳無いが、
豪華な献立を期待してい たら、出て来たのがご飯と味噌汁と納豆だけ。何だよこれ、と思って
箸をつけるとそれらの全てが最上級で思わず驚嘆・・・そんな感じなのだ。


娯楽音楽なんだからテキトーでいいや、みたいな「やっつけ感」が全く無く、真摯そのものの演奏
ぶりでありながら「ウィーンの地元臭さ」も決して失っていない。作品の価値がもう一段上がったよう
にすら思える程で、脱帽という他無し。この盤、1957~1976年という幅広い年代の録音を集めた
ものだが、続けて聴いても全く違和感が無く、ステレオ初期の古い音源も非常に音がリフレッシュ
されている。録音データを見ると、カルショウ、スミス、マリンソン、レイバーン、ブラウン、パリー等々
のDECCAのエース級のスタッフたちの名前が並んでおり、「ウィーン・フィルの音を最も魅力的に
聴かせる事」に秀でた彼らの凄腕も再 認識させられる。「南国の薔薇」の後半のホルンの豊麗な
響きを聴くと、「ああDECCAだなあ」とニヤリとしてしまう方も多いのでは・・・。


ヴェテランのリスナーになればなるほど、「今更○○なんて・・・」と最近ご無沙汰気味の名盤は
多いと思うが、虚心坦懐に聴いてみれば改めて感心というケースは多い。さあ皆様も埃をかぶった
ご無沙汰名盤を発掘いたしましょう・・・。