★猫丸しりいず第240回


◎ムソルグスキー:「ホヴァンシチナ」~モスクワ河の夜明け、「展覧会の絵」(ラヴェル編)他
ジャンスク・カヒッゼ指揮 トビリシ交響楽団
(独HDC INF20 ※廃盤)
接した音源の数は少ないのに、妙に強烈な印象を残す演奏家がいる。
私にとってグルジアの巨匠、ジャンスク・カヒッゼ(1936~2002)はそういう人だ。


この指揮者は、私の音楽人生のあちこちで突然に登場し、その都度強烈な印象を
残していった不思議な人である。彼の演奏に初めて接したのはMELODIYAの
国内盤レコードで聴いた「ガイーヌ」の全曲盤(1978年録音)。とにかく度肝を抜かれた。
プロローグからフィナーレまで、とにかく表現に「迷い」が皆無である。
曲頭の「狩」の場面から吹っ切れた大音響が炸裂。弦は歌いぬき、管は咆哮し、打楽器は
容赦なく強打される。「ガイーヌ」の全曲は約2時間30分の長丁場だが、この演奏はその
「長さ」を全く感じさせないどころか、「後半は昼飯喰ってからでいいや」みたいな
「ついで」感を全く許さない切迫感が漂っていた。中でも「レズギンカ」や
「剣の舞」の強烈さは筆舌に尽くしがたく、「この曲はここまでやらないとダメだぜ」という
カヒッゼの肉声を聞く思いであった。とにかくこの「ガイーヌ」は自分にとっては」別格と
言いたい位の存在であり、「このカヒッゼって指揮者、一体何者?」という疑問が当然
芽生えたのであるが、当時彼の他の音源を探す・・などという行為はほぼ無意味に
等しく、しばらく私にとって彼は「謎の巨匠」であり続けた。


それから随分時間が経って、私は思わぬ形でカヒッゼという指揮者に「再会」した。
1986年のレニングラード・フィルの来日公演。この時のメインの指揮者は、当時まだ
「若手」だったマリス・ヤンソンスであったが、2回の公演限定であのムラヴィンスキーが
指揮をする・・という事になっていたのである。しかし既に齢80を超えていたこの巨匠の
来日は残念ながら実現せず、新聞広告に「ムラヴィンスキー来日中止」というお知らせが
掲載されたのを見ても、私は「ああ、やっぱりね」という感じで驚きもしなかった。
ところが・・。そのお知らせを読み進むと「代わりにムラヴィンスキー氏の強い推薦により、
ジャンスク・カヒッゼ氏が指揮いたします」とあるではないか。またも私は度肝を抜かれた。
演奏スタイルから言えばまさに対極(と当時は思えた)ムラヴィンスキーからの「強い推薦」
・・・。カヒッゼ先生、実はそんな大物だったんかい! 彼が日本の土を踏んだ機会が結局この
1度だけにとどまったのは、今思えば本当に惜しかったと思う。


そして、3度目の彼との出会い。それは謎のレーベルHDCから、彼がグルジアの首都トビリシの
手兵オーケストラを振った音源のCDが大量に出た時である。色々聴いた。そして確信した。
彼はただの「爆演指揮者」ではない。真の巨匠であると。大先輩のムラヴィン爺さんから推薦
されても不思議ではない。中でも印象的だったのが、ムソルグスキーの作品集。
「モスクワ河の夜明け」や「禿山の一夜」の端正と言って良い名演奏もさることながら、
「展覧会の絵」が素晴らしかった。この演奏、全編に漂う「うらぶれ感」が全く独自の味わいを
醸し出している。欧米の有名オケによる演奏が洗練されたレストランのようなのに対し、
このカヒッゼ盤は「港町の路地裏の裸電球の灯る飲み屋」の如き雰囲気なのだ。
暗めだがどこか温かいオケの音色(特に管楽器)、様々な意味で厳しい環境のロシアで
健気に生きる人民たちの姿が浮かぶような表現。あのラヴェルのスコアからこういう演奏を
生み出せるとは、カヒッゼ只者では無い。ちなみにベートーヴェンの交響曲も「3番」「5番」
「9番」と出たが、これがまた正攻法かつ恰幅の良い名演ばかりで驚かされた。
残念な事にこのカヒッゼ&トビリシ響のCDは現在廃盤。そして彼が60代半ばという指揮者
としてまだまだこれから・・という時に癌で亡くなってしまった事も誠に惜しまれる。


「ソ連人民芸術家」の称号を持っていたカヒッゼ。実は冷戦終結後には欧米の各地のオケに
客演し、中々の評価を得ていたらしい。日本のどこかのオケが彼を定期的に招聘していたら、
スヴェトラーノフ、フェドセーエフ、ロジェストヴェンスキーといった名匠たちに劣らない人気と
評価を日本でも獲得していたかも知れない・・・と思うと、これまた誠に残念無念である。