★猫丸しりいず第235回
◎山田一雄:交響的木曽、交響組曲「印度」、おほむたから 他
ドミトリ・ヤブロンスキー指揮 ロシア・フィルハーモニー管弦楽団
(NAXOS 8570552J)
不肖猫丸の音楽人生における2大恩人と言えば、芥川也寸志氏と
「ヤマカズ」こと山田一雄氏。ヤマカズさんへの賛辞と感謝は既にこれまでにも
「猫丸」で幾度もとり上げてきた通りだ。


ヤマカズさんの音楽家人生を俯瞰するのに好適なのが、以前とりあげた
彼がN響と共演した映像を集めたDVDに「オマケ」的に収録されている
1990年にNHK教育テレビで放映されたドキュメンタリー「喝采!指揮棒ひとすじ
山田一雄指揮者生活50年」。
 


このドキュメンタリーによれば、ヤマカズさんが指揮者として本格的にデビュー
したのは太平洋戦争勃発の年1941年。開戦の影響で当時の新交響楽団の
指揮者を務めていたローゼンストックの活動に制限がかかり、急遽代役と
して抜擢されたのだという。名指揮者のデビューにありがちな「急遽の代役」
をヤマカズさんも経験したわけだ。余談ながら、そのデビューに当たって
ヤマカズ氏の妹さんが病床から贈った激励の手紙が、そのドキュメンタリーの
中で紹介されているのだが、これが実に実に印象深い。70年以上前のものとは
思えぬ、まるで現代の女子高生が書いたような軽快な文章の中に、兄貴の
飛躍の機会 の到来を喜び、激励する妹の気持ちが存分に溢れている。
妹さんはそれから間もなく、病の悪化で若くして逝ってしまったそうだが、
指揮者としての本格デビューに当たってこんな心に沁みる手紙をもらえた
ヤマカズさん、幸せな男である。


その後の指揮者としてのヤマカズさんの歩みは、今更ここで書くまでもない。
しかし、指揮者としての名声が高まるのに反比例するように「陰」に隠れて
しまったモノがあった。それは、もともとは「作曲家」としてスタートしたヤマカズさん
の「作品」である。彼は「指揮者」としてのポジションが固まって以降、自分の作品を
ほとんど「封印」してしまった。だから我々は「作曲家」としてのヤマカズさんの
キャリアは知っていても、その作品を耳にする機会は中々持てなかったのである。


そのヤマカズさんが逝って約20年後、ついに現れたのが待望の「山田一雄
管弦楽作品集」。これまで文献でしか接する事の出来なかった作品たちが遂に
「音」で聴けるようになった意義は実に大きい。彼の作品は意外なほどに洗練され
スマートだ。「木曽節」や「ノーエ節」を取り入れた「交響的木曽」は中々に面白いが
「コテコテ土俗的」という感じは薄いし、「交響組曲印度」も、この手の作品にありがち
な「印度人もビックリ」的な妙な異国趣味は無い。ヤマカズさんが作曲家としても
実は中々の才能の持ち主だった事を実感させる。


この盤の中でも実に印象的な「怪作」が最後に収められた「おほむたから」。
「おほむたから」とは「天皇の民」を意味する古語だという。この曲は放送初演された
のは1945年(そう、終戦の年だ)の元旦。新年の祝賀曲・・・という名目の作品である。
だが。この曲全く「祝賀」の匂いがしない。何より、多くの聴き手が「オヤ?この曲、
何か聴き覚えが・・」という妙な感触に捕らわれる事だろう。そして程なく気付くだろう。
「アレレ?この曲、マーラーの5番とそっくりでは・・」そう、この曲はマーラーの「交響曲
第5番」の第1楽章が土台になり、そこに声明の響きを盛り付けた・・・という趣きの
作品なのだ。それにしても、マーラー5番の第1楽章と言えば「葬送行進曲」。
これを土台とした作品が「祝賀」っぽくなる筈が無い。1945年の年頭と言えば、もはや
日本の敗戦は決定的な情勢で、オーケストラの団員も次々出征していくような、
そんな時代。ヤマカズさんは、自らが圧倒されたマーラーの作品を雛形にして、
大日本帝国の落日を描いたのか。


その後彼は指揮者と作曲家という「二足の草鞋」を履く事無く、専ら指揮者として
活動し(上記のドキュメンタリーのタイトルが「指揮棒ひとすじ」となっているのは、
象徴的だ)たのだが、彼の作品を聴くと私なんぞは「もったいない」と感じてしまう。
しかし、人生において「何かを得る事は何かを捨てる事」なのかもしれない。
ヤマカズさんの人生の選択にいろいろと思いを巡らせてしまう1枚。
この指揮者のファンの方は必聴である。