★猫丸しりいず第232回
◎チャイコフスキー:交響曲第5番
スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮 NHK交響楽団
(ALTUS ALT028)
クラシック音楽愛好者(特に男)で、指揮者に憧れた事の無い人は多分いない
のでは無いだろうか。

でも私は忠告したい。その「憧れ」は憧れにとどめておいた方が良い。
せいぜい「初夢」どまりにしておくべきであろう。
神様に選ばれた才能溢れる人以外は・・・・・。

もう30年近くも前だが、実は私はオーケストラを指揮した経験がある。
無論プロ相手ではない。自分の出身高校のオケである。音楽関係の学校でも
名門でもない、普通の都立高校の素人オケが外部から指揮者を呼べる筈も
なく、年一回の定期演奏会の指揮者はOBが務める事が伝統(笑)となっていた
我が高校オケ。ある年の演奏会の指揮者を、何と私が引き受ける事になって
しまったのだ。指揮法はもちろん、専門的な音楽教育など受けた事のない私が。
しかも曲目は「チャイコフスキーの交響曲第5番」という、ド素人オケには無謀と
思える代物。「まあ、この曲は熟知しているし大丈夫、何とかなるだろう」と
あ まり深く考えずに引き受けてしまった私だったが、練習が始まってすぐに
「これはエライ事を引き受けてしまった」と大後悔した。

メンバーの技量がバラバラの素人集団に、チャイコフスキーの曲をそれらしく
演奏させる・・という事自体が困難を極めた上に、そういう集団を率いて
「自分のイメージ通りの演奏」をさせる・・などという事は、猫に芸を仕込む位に
ムズカシイ事であった。私はすぐに悟った。指揮者には、音楽一般や指揮する
楽曲に関する知識以上に、自分の目指しているものを明確に相手に伝えられる
能力と、そして何より楽団のメンバーを従わせる人徳と、強力なリーダーシップが
不可欠であると。私にはそれらの能力のいずれもが決定的に欠如していたので、
果たして半年後の本番までに、「他人様に聴かせられる状態ま で 持って行けるのか」
と眠れぬ日が続いた。大変なプレッシャーだった。

結果的には慈悲深い(笑)楽員たちの協力にも救われ、演奏会は無事終了出来た。
聴きに来た友人から「ちゃんとチャイコフスキーの音楽になっていたよ」と言われた時
には、思わず落涙しそうになった。この経験は、その後社会に出て組織の中で
働く事になった時に役立ったのは事実だが、正直言ってたとえ報奨100万円積まれようが
私はもう一回指揮者をしたいとは思わない。

この経験の後、私はプロの、それも一流と目される指揮者がどんなに凄い人たちか、
という事を痛感するようになった。まるで自分の楽器を弾くように完璧無比な名演を
してしまうジョージ・セルなんかはもう「人間業」とは思えない。
私は若い頃NHK交響楽団の演奏会に頻繁に通い、多くの指揮者たちのステージに
接していたが、中には見違えるような鮮烈な演奏をオーケストラから引き出す指揮者も
いて、「ああ、これこそが名指揮者なのか」と驚嘆させられた経験が何度かある。
そんな経験の筆頭にあげられるのが、1996年のスクロヴァチェフスキの客演である。

この巨匠がN響に客演する事を知った時、私は思わず「オ~ッ」と声を出しそうに
なってしまった。とは言え、今でこそ押しも押されぬメジャー巨匠扱いの彼も当時は
全くマイナーな存在で、私のようにコーフンした人はわずかだっただろう。私は
マーキュリーやVOXの録音を通して、この「ミスターS」の凄さに心酔していたので、
彼のナマのステージに接する事が出来るというのはまさに夢のようであった。
しかも、他でもない「チャイコフスキーの5番」がプログラムに含まれているではないか。

聴きに行った。打ちのめされた。ダメな指揮者相手だと「お仕事消化」的な演奏を
聴かせる事も多いN響が、見違えるような引き締まった演奏ぶり。「ミスターS」の
指揮者としての才能を最初に高く評価したのは、かのジョージ・セルだそうだが、
「ミスターS」の透徹した演奏には「今様セル」とでも呼びたい、人間離れした境地が
感じられた。澄み切っていながらホット。圧倒的な演奏だった。今回ご紹介のALTUS盤
は、まさにその時の演奏を収録したもの。あれから20年近くも経ってしまったが、未だ
印象と感銘は鮮烈に残っている。「指揮者は究極のプロの仕事」。私はあの時、
まさにそう実感した。

人生に深く刻み込まれる音楽体験。そんな体験がクラシック好きの皆様に今年一つでも
多くありますように。本年もよろしくお願いします。