★猫丸しりいず第228回


◎ヴィヴァルディ:四季


レオポルド・ストコフスキー指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
ヒュー・ビーン(Vn)
(国内DECCA UCCD7132 ※廃盤)
「最近、四季がおかしい」
そうお感じの方は結構いらっしゃるのではないだろうか。


春夏秋冬が「均等」と思われていた日本の四季。だが、このところ「春」と「秋」が
どんどん短くなって、「夏」や「冬」がやたらと長く感じられるようになって来たと
私は思う。今年もそうだが、5月になるともう暑くなり、9月になっても炎暑の日が
あり・・・という感じで、「心地よい気候」の期間が短くなっている。日本ばかりでは
無く、アメリカでは今や異常気象のニュースがほぼ年中行事になってしまっている
し、これはやはり巷間のウワサ通り「温暖化」の影響なのだろうか。まあ、11月に
入った途端にクリスマス・ソングが街に流れたりする「季節感の無視」も一因なのかも
しれないが・・・。


そんな環境下でも「四季の移ろい」を愛でる日本のリスナーにとって、「四季」が題材の
曲はどうしたって親しみやすい存在だ。ズバリ「四季」というタイトルの曲も多数あるが、
ヴィヴァルディやハイドンの作品が「春夏秋冬」という馴染みやすい順番の作品なのに
対し、グラズノフの名作は「冬春夏秋」という順番で、「収穫の秋」が華麗なクライマックス
となっているし、チャイコフスキーの「四季」は春夏秋冬で四分割という常識さえも放棄
してしまって1月から12月までの「月別12曲」というユニークな構成となっている。


それらの中でもヴィヴァルディの「四季」は、日本ではベートーヴェンの「交響曲第5番」
と並んでクラシック音楽の代名詞となっている感もある程に親しまれている作品。
ミュンヒンガーやイ・ムジチの「四季」はかつて大ベストセラーを記録し、その後も新録音
引きも切らず、一体どれだけの音源があるのか、見当もつかない状態だ。


そんな星の数ほどもあるヴィヴァルディの「四季」の音源の中で、私が「これは
侮れない」と感じ続けているのが、今回ご紹介のストコフスキー盤。ストコフスキーは
私がこの上なく尊敬する巨人であるが、不幸にも「山師」的なイメージが未だに払拭
出来ない。しかし、断言したいがストコフスキーは決して「インチキおやぢ」では無い。
それどころか、これほどオーケストラを熟知した上で「禁じ手」も厭わずに「如何に
その曲を輝かせるか」に粉骨砕身した人もいないのではないかと私は信じている。
ストコ先生のバロックと言えば、何と言ってもバッハであり、チェコ・フィルを振った有名な
DECCA音源をはじめ、「ケバさ大炸裂」という趣きのアレンジに辟易している御仁も
少なくない事とは思う。


そのストコフスキーの「四季」・・・。多大なる不安と期待(笑)を胸に聴き始めると、その
意外な程に「直球」なアプローチにまず驚かされる。豊満な響きは確かにストコ的では
あるが、正統派の顰蹙を買うような妙なアレンジや、傍若無人の大カット等は見られない。
だが、一見「普通」に見せておいて、しっかり「ストコフスキー印」の刻印を遺している所に
この巨匠のしたたかさを感じる。この演奏、とにかく表情が豊かだ。ヴィヴァルディの
「四季」の演奏スタイルは、かつて人口に膾炙した名盤イ・ムジチに象徴される「おっとり型」と
最近の演奏に多い、やたら尖ったアグレッシヴな演奏の両極に引き裂かれてしまった
ような感じが拭えないが、ストコフスキーのアプローチは、ちょうどその「中間」を行って
いるのだ。「伝統的」なスタイルを崩さず、しかも異例な程に表情豊か。1966年という録音
年代を考えれば、中々に「驚異的」と呼んでよい演奏だと思う。独奏がヒュー・ビーン
(1929~2003)なのもシブい。フィルハーモニア管の黄金時代を支えたコンサートマスターで
、英国のクラシック音楽に関心のある方には忘れがたい名匠ながら、ソリストとしての録音が
少ない彼の貴重な音源でもある。


クラシック音楽を一般大衆にも広く普及させ、「音楽ソフト産業」の確立に多大な貢献を
した音楽家として、ストコフスキーとカラヤンは双璧と言える存在と思うが、最近再評価の
気運があるカラヤンに比べると、没後40年近く経った今尚「変な爺さん」的なあしらわれ方を
され続けているストコ師匠が実に不憫だ。この巨匠の功績に対する正当な評価が盛り上がる
日が来る事を、不肖猫丸は熱望している。