★猫丸しりいず第227回
 
◎シューマン:序奏とアレグロ・アパショナート、 森の情景 他
 
 スヴャトスラフ・リヒテル(P)
 
スタニスラフ・ヴィスロツキ&ヴィトルド・ロヴィツキ指揮
ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団
 
(DG 447440-2)
 
あの「ベルリンの壁」崩壊から、今年の11月10日で25年になるのだと言う。
もうそんなに経ってしまったのか、という思いを禁じ得ない。
 
この年1989年は、私が大学を出て社会人になった年なので、尚更印象深い。
中学生の頃は「ベルリンの壁の崩壊」などという事が現実に起こるとは想像も
出来なかったのに、それからわずか10年ちょっとで「壁の崩壊」どころか、
「ソ連のあっけない消滅」までが現実となってしまった。自分自身の環境の激変と
あいまって、これほど「新たな歴史の始まり」みたいな事を感じた事件も無かった。
ただ、今思えばこの大事件は「新たな混沌の始まり」に過ぎなかった訳であるが・・。


「東西冷戦」の時代を感じさせるクラシック音楽の名盤として、以前に「猫丸」で
「カラヤンのマイスタージンガー」をとりあげた事があったが
私にとって「冷戦」「ベルリンの壁」と聞いてすぐに連想してしまう名演奏家が
ピアノの巨匠リヒテルである。


彼の代表的な名盤として名高い、カラヤンと共演のチャイコフスキーの協奏曲。
昔私がこの盤を初めて知った時に非常に「違和感」を感じたのが、1962年の録音
にもかかわらず、カラヤンの指揮したオケがウィーン交響楽団であった事。
この楽団の指揮者を務めた事もあったとは言え、なぜベルリン・フィルでも
ウィーン・フィルでも無く、ウィーン響なのか。この謎について若い頃友人と
話していた時に、その友人はこんな推理を見せた。「ソ連当局がリヒテルを
西ベルリンに滞在させる事に難色を示したのでは無いか」。


永らく「西側」諸国では幻のピアニストだったリヒテルが、ようやく西側での演奏を
許可されたのは1960年。優れた芸術家は「東側」の広告塔であると同時に、
「西側」に渡れる数少ない存在だった事もあり、東側当局は芸術家の「亡命」を
非常に警戒していた。実際、来日中の東側の有名楽団の団員の亡命事件という
のもあった。国家の至宝であるピアニストを「冷戦の最前線」ともいうべきベルリンに
送り込んだ挙句、万一の事があったら・・と心配した当局がベルリンでの録音に
ダメ出しをし、結果ウィーンでの録音となったが、当時DECCAと契約していた
ウィーン・フィルは起用出来ず、ウィーン響の登場となったのでは・・というのが
彼の推理であった。事の真相は私も調べた事が無いのでわからないが、1962年
と言えばあの「キューバ危機」に象徴されるように東西の緊張が極めて高まっていた
時期なので、充分有り得る話だとは思う。だとすると、カラヤン&ウィーン響という
実に貴重な顔合わせの名盤の誕生の裏には「ベルリンの壁」の影があった事に
なる。この録音も「歴史の証人」だったのか。


ご存じの通りリヒテルは1950年代のステレオ初期にDGにラフマニノフ、モーツァルト、
プロコフィエフ等の協奏曲を録音しているが、前述のように当時彼はまだ「西側」での
演奏を許されておらず、それらの録音はワルシャワ・フィルとの共演となった。
それらの音源の中で私が最も好きなのがシューマンである。主役の有名な「ピアノ協奏曲」
も無論良いが、何たって本命は「序奏とアレグロ・アパショナート」。ややB級ではあるが、
いかにもシューマンらしい薫りの漂うマイナー名作として「序曲、スケルツォとフィナーレ」
と双璧の存在のこの曲を、リヒテルの名演で聴けるのは誠に幸せだ。共演のワルシャワ
・フィルのほの暗い響きも実に良い。「ピアノ協奏曲」は後にマタチッチ&モンテカルロ
国立歌劇場管と共演の再録音(EMI)が登場して、すっかりこの旧録音は影が薄くなって
しまったが、「豪放磊落」という趣きで朗らかなマタチッチ盤の伴奏に対し、この
ロヴィツキ&ワルシャワ・フィルの響きは、やや痩せ気味で渋く、「眉間にシワ寄せてます」
みたいな独自の味わいがあって、これはこれで捨て難い味わいを醸し出している。
ちなみに、ロヴィツキ&ワルシャワ・フィルの名コンビは同時期にDGに「白鳥の湖」、
「眠りの森の美女」の抜粋やショスタコーヴィッチの「5番」といったマニア狂喜の「裏名盤」
を残しているが、今や「幻の名盤」となっているのが惜しい。


思うに「ベルリンの壁崩壊記念」のバーンスタインの「第9」を最後に、「時代」を背負った
録音は途絶えてしまった。これから25年後に「ああ、あの頃はこんな時代だった」という
回顧の対象になるような録音が、果たして今後生まれるのであろうか?