★猫丸しりいず第224回
◎コダーイ:組曲「ハーリ・ヤーノシュ」・交響曲ハ長調 他
フェレンツ・フリッチャイ指揮 ベルリン放送交響楽団
(タワーレコード/DG PROC1267)
◎ブラームス:交響曲第2番
フェレンツ・フリッチャイ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(タワーレコード/DG PROC1273)
「自分に残された時間はもう長くは無い」。そう悟った時、人はどのような行動を
とるのだろうか。これは映画やドラマ等にとって格好の素材と見え、この手の素材を
用いたフィクションはこれまでにも山のように存在する。


しかし、どんなに劇的に盛り上げられたフィクションも「真実」の重みには全く
かなわない。そう私に痛感させるのはフェレンツ・フリッチャイの早すぎる「晩年」
である。


フリッチャイ(1914~1963)は、私にとっては典型的な「廉価盤の巨匠」である。
クラシック音楽を本格的に聴き始め、そろそろ自腹でレコードを買いたいな・・と
思い始めた頃に散々お世話になった廉価盤シリーズの一つが、グラモフォンの
「スペシャル」。このシリーズではフリッチャイの盤が多数出ていて、この指揮者の
経歴など当時全く知らない私は「安いから大した事は無いだろう」と思いつつ、
彼の演奏を色々と入手する事となった。
しかし、聴いてみるとウィーン交響楽団とのモーツァルトの「40番」を筆頭に、
J・シュトラウスやコダーイ等々「凄いよ。この人。」と思わせる名演オンパレード。
その後近所の友人宅に彼がベルリン・フィルを振ったベートーヴェンの「5番」の
LPがあるのを発見し、友人N君に「オイ!これ聴かせろ!」と頼んで一緒に聴いた
のも懐かしい。聴いてみるとこれがまた「鬼気迫る」という形容がピッタリの
凄まじい演奏。もう30年以上も前の事なのに、N君と顔を見合わせ、「この指揮者、
実は凄い人じゃないか」とコーフンして語り合った事が昨日のように思い出される。


若くして頭角を現し将来を嘱望されながら、50歳にも満たない若さで白血病に
斃れたこの名指揮者について、今更屋上屋を重ねてのご説明は不要であろう。
今や彼の享年を超えてしまった私がとても興味深く思うのは、死に至る病が
発覚してから亡くなるまでの5年ちょっとの間に彼の見せた驚くべき演奏の「深化」
である。病を得るまでは40歳代という年齢相応のエネルギッシュで尖鋭と形容したい
演奏スタイルだったフリッチャイのアッと驚く変貌ぶり。


彼がその早すぎる晩年にシュトゥットガルトの南ドイツ放送響を振って、スメタナの
「わが祖国」の「モルダウ」を演奏したリハーサル映像を見た事がある。若い頃は
それほど印象に残らなかった映像だが、最近見直した時には、もう「動揺」と言いたい
位の強烈な感銘を受けた。この映像を見る限り、彼の体調は「普通」にも思えるのだが、
実際にはこの時点で既に彼はかなり衰弱していたらしい。その中で彼がこんな言葉を
オーケストラの面々に投げかける。


「そう、生きるという事は、本当に素晴らしいのです」


思わず漏らした言葉であろう。実際、彼は「オッと、こんな事言っちゃって俺らしくないな」
という感じで、淡々とリハーサルに戻っている。しかし、その後の彼の運命を知っており、
なおかつ40歳過ぎてから身近な親族のみならず、同年代の友人・知人をも何人かを
喪い、「人生は有限である」という冷厳な事実を散々突き付けられてきた今の私にとって、
このコトバの持つ「真実」は若い頃とは比べ物にならない程に重く、これを聴いた時、
私は不覚にも目頭が熱くなるのを抑える事が出来なかった。


彼が指揮者として活動出来た最後の年1961年には、前述のベートーヴェンや、シュトラウス
の他、シュナイダーハン、シュタルケルと共演したブラームスの「二重協奏曲」など、
数々の名盤が録音されたが、中でも秀逸なのが彼の最後の録音の一つである
「ハーリ・ヤーノシュ」。生きている歓び、音楽が出来る歓びが全編からほとばしるような
超名演である。微笑ましく、ユーモラスなのに「凄演」なのが素晴らしい。そして、同じ年の
2月のライヴであるウィーン・フィルとのブラームスがこれまた凄い。オーケストラの献身的な
演奏ぶりが実に感動的。恐らくこの時のフリッチャイからはただならぬオーラが発せられて
いたのに違いない。そしてまた、オーケストラの面々もこの指揮者に残された時間がもう長くは
無いという事を薄々感じていたのではないだろうか。「よし!俺たちがフリッチャイを男に
してやるぜ!」と言わんばかりの熱演ぶり。こういう時のウィーン・フィルの底力はさすが
である。結果、間もなく命が尽きる指揮者の演奏とは信じられないようなホットな名演が
生まれたのだ。


抗う事の出来ない運命に翻弄されながら、それでもしっかり自分の足跡を遺す事が
出来たフリッチャイ。本当に凄い男だ。


そして、今年はこの尊敬すべき男の生誕100周年である。