★猫丸しりいず第217回
◎ブリテン:戦争レクイエム


ヘルベルト・ケーゲル指揮 ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団
                    ライプツィヒ放送合唱団 他
(国内ドイツ・シャルプラッテン TKCC15165 ※2枚組/廃盤)
日本の8月は「戦争」と切り離せない。


来年で第2次大戦の終結から70年を迎える。私が最近、8月を迎える度に
思うのは、「今の日本の子供たちや若者にとって、戦争はどの位リアルに
感じられる事柄なのだろうか?」という事。


既に随分前に当「猫丸」でも触れたが、「70年前の戦争」というのは、1960年代
生まれの私の世代に置き換えれば日清・日露戦争レベルの「昔」の話である。
1960年代生まれというと、親は大戦末期に子供時代をおくり、祖父母は実際に
戦場に赴いた(そしてそこで命を落とした)人も多い・・・という年代であるから、
「自らの戦争体験」は持たないにせよ、私はまだかなりリアルに「戦争」というものを
感じられた世代ではないかと私は思う。


最も身近な存在である親や祖父母の語る「戦争の話」は、実体験に基づくもの
だから「迫力」や「リアリティ」がまさに圧倒的だった。「戦争は愚か。絶対に
繰り返してはならない」という彼らの言葉には、本当に実体験の裏付けを感ずる
「重さ」があった。


しかし、「本物の戦争」を知る世代も今や若くとも70代後半。あと10年経ったら、
一体誰が「戦争のむごさ」を実感を持って伝えていくのだろうか。危機感を抱かざるを
得ない。その時こそ、「真の戦争を知る世代」を親に持った我々1960年代生まれの
人間が「最後の砦」となって「戦争の理不尽さ」を伝えていく役割を果たさなければ
ならないのだろう。


20世紀の2度の世界大戦は、戦争が前線の兵士達のみならず、無辜の市民たちの
生命を容赦無く奪う「大量殺戮」の場に「進化」してしまった事実を示す結果となった。
「戦争」を題材にした音楽は、昔は「牧歌的」と言いたい位のどかであったのだが、
第2次大戦を扱った音楽作品の中には「勝った負けた」だけでは済まない戦争の暴虐を
正面からとりあげた問題作が色々とある。その代表は何と言っても「戦争レクイエム」
だろう。1962年初演という、今日日常的に演奏されるクラシック音楽作品の中では
先日テーマにした「ショスタコーヴィッチの15番」や同じ作曲家の「交響曲第13番・14番」
に並ぶ「若い」作品である。


この作品には第1次大戦で命を落とした英国の詩人オーエンの実に印象的な詩が
用いられているが、中でも私に強い印象を与えたのが次の歌詞。


「家畜さながらに死んでゆく兵士達にどんな弔いの鐘がふさわしいのか?」
「俺はお前が殺した敵なのさ。友よ。」
残念ながら第2次大戦終結から70年間、未だ地球上に戦火のやむ日は無く、今でも
連日シリア、イラク、ガザ等々で罪なき市民の命が信じられない程の「軽さ」で
奪われている。「反戦」という強いメッセージを込めたこの名作が盛んに演奏されている
現状は、この曲のメッセージがまだ「必要」とされている事の裏返しだろうが、この作品
が「過去の愚かな戦争の回顧」という位置付けで演奏される日は、残念ながら今後も
無さそうな気がする。


この作品には作曲者自身の指揮による記念碑的な名盤もあるが、初出時クラシック音楽界
に大きな衝撃を与えたのが今回ご紹介のケーゲル盤。この指揮者がピストル自殺という悲劇的な
最期を遂げる直前の録音・・という「いわくつき」のもので、そのインパクトの大きさから
「ケーゲル=爆演指揮者」みたいな今日の偏ったイメージの発端ともなってしまった
音源である。「爆演」「猟奇的」な要素は彼の演奏スタイルに確かに存在はするけれど、
その一面のみをことさら針小棒大に誇張するのはどうかと思う。この「戦争レクイエム」
の演奏は「激烈にして真摯」。彼の演奏は例えばノーノとかウェーベルンのように
驚くほどに激烈なものもあるが、そんな怪演でも底には常に彼の「真摯さ」が溢れている。
ケーゲルにはまさに打ってつけと言える「戦争レクイエム」。この名盤が現状廃盤なのは
本当に惜しい。

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