★猫丸しりいず第216回
◎マーラー:交響曲第1番
パウル・クレツキ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(国内EMI TOCE16093 ※限定盤)
「齢をとる事って悪くない」
最近、ようやくこう言える境地に至った気がする。


まあ、平均寿命が80歳以上(80年以上生きて「平均」ですよ!)という昨今、私なんぞがこんな事を言えば、
人生の大先輩方から「洟垂れ小僧のくせにわかったような口をきくのは十年早い!」と叱責されそうだが・・。
ただ、若い頃の自分にとって「齢をとる」という事はひたすら「劣化」であり、経年につれて」自分から「若さ」が失われて
いく・・というのは一種の「恐怖」であった。


しかし、どう考えても「中高年」というカテゴリーに属する齢となった今は、若い頃とはすっかり心境が変わった気がする。
確かに加齢に起因する肉体的な衰えはどうする事も出来ないが、様々な人生経験の蓄積という財産は、若い頃には
決して得られなかったモノ。それは音楽の聴き方(「聴こえ方」か?)にも少なからぬ影響を及ぼす。
その影響の一つは、作曲家が若い頃に書いた作品が何とも「青臭く」感じられるようになってしまった事。
ただ、それは作品に魅力を感じなくなった、という事ではない。「若さ」が生んだストレートな魅力を再認識させられた
という事だろうか。
例えば、ブラームスの「ピアノ協奏曲第1番」とかグリーグの「ピアノ協奏曲」のように、作曲家が20歳代の若い頃に
作曲した作品を聴くと、「お~お~ そんなに力んじゃって・・・。アンタ たちも若かったんだね・・・」と、何だか
微笑ましい気分にすらなってしまう。自分が若い頃にはこういう感想をこれらの曲に持つ事は決して無かったのだが・・。


マーラーの「交響曲第1番」は今や自分にとって、そうした「青臭名曲」の代表格。
この曲が今日の姿になるまでの紆余曲折に関しては、今更この場で繰り返す事は避けるが、その後「交響曲」という
分野でまさにエポックメイキングな存在となる作品群を自分が生み出す事になる・・・とはまだ(多分)知らない
「若造マーラー」が「あれもこれもやってみたい!」という風情で、この上なく力みかえって作った(と想像される)、
「若気の至り名曲№1」である。


私がクラシック聴き始めの中学・高校生だった1970~80年代は、マーラーやブルックナーの交響曲がようやく今日の
ように「普通のレパートリー」として定着した時代だった。とは言え、まだ「6番」とか「7番」とかを普通に聴く・・という
段階までは至っておらず、まずは無難に「1番」や「4番」から・・だったような気がする。私が初めて接したマーラーの
曲もご多分に漏れず「第1番」であり、当時中学生だった私はストレートに「何てカッコイイ曲だろう」と感動したものだった。
つられて「2番」とか「6番」とかに手を出した時、「1番」とのあまりの世界の違いに「この人一体どうしちゃったの?」
という戸惑いを覚えた事も懐かしい。そして今改めて思うのが、彼が今の私と大差無い齢で「大地の歌」やら「第9番」
のような曲を生んだという事実への一種の「畏怖」の念である。50歳という若さで逝ったマーラーにとって、これらの曲を
書いた頃はもう「晩年」だったわけだが、それにしても・・・・。


最近久々に聴き直して、「今の自分にピッタリだ」と思えた名盤が名匠クレツキとウィーン・フィルによる1961年の録音。
ウィーン・フィルが初めてステレオで録音したマーラーの交響曲との事。
「廉価盤の巨匠」クレツキへの賛辞は既に大分前に当「猫丸」で述べた通りだが(詳しくはコチラで・・・・・
 http://blog-shinjuku-classic.diskunion.net/Entry/816/、この録音もレコード時代は東芝の廉価盤「セラフィム」で
お馴染みだった。若い頃には非常に素っ気なく思えたこの演奏、この齢になって聴き直すと、クレツキらしい明快で
虚飾の無い指揮とオーケストラの暖かい音色が上手く溶け合った、「胃もたれしない名演奏」だった事に改めて
気付かされる。ただ、終楽章にカットがあるのは今の耳には古臭く感じられるのも事実。作曲家でもあったクレツキには
このくどいコーダはまさに「若気の至り」的に思われてガマン出来なかったのだろうと想像されるが・・・。
ともあれ、「美味しいものは食べたいが、もうギトギト脂っぽいのは苦手」という貴殿には是非お勧めしたい名演奏!

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