★猫丸しりいず第209回
◎ガーシュウィン:パリのアメリカ人/朝鮮民謡「アリラン」他
ロリン・マゼール指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック
(EUROARTS 2056948 ※DVD 「THE PYONGYANG CONCERT」)
近くて遠い国。北朝鮮。


もしも東京から平壌までの直行便があったとしたら、恐らく3時間もあれば行けてしまうであろう地理的には極めて近い国でありながら、気軽に出かける事など想像も出来ない所になってしまっている。その理由は改めて言うまでもあるまい。
そんな「謎の国」北朝鮮を、2008年2月にニューヨーク・フィルが訪れて平壌でコンサートを行なった事は、クラシック音楽界のみならず、一般的なニュースとしても大きくとり上げられた。何しろ、ブッシュ大統領が「悪の枢軸」と名指しした国に、そのアメリカを代表する楽団が乗り込んだのであるから・・・。その模様を収めたのが、今回ご紹介のDVDである(ブルーレイ版も発売されている)。


コンサートを収めた本編に加え、ボーナストラックとしてドキュメンタリーが収録されているが、このドキュメンタリーが最高に面白い。何より、これだけ鮮明な映像で平壌の街の風景が見られるとは思っていなかった。国際空港らしい華やぎが皆無の冷え冷えとした平壌空港(高麗航空のゴツいソ連製イリューシンIL76がチラッと映ったりするのも飛行機ヲタクにはこたえられない)や、市内を走るボロボロのトロリーバス、交通整理をする凛々しい女性警官等々・・・。そして非常に印象的なのが、登場する平壌の人々の「表情の無さ」。喜怒哀楽をハッキリ表す朝鮮半島の人々とは信じられない程である。彼らが「自分の意見や感想を表明する」事に慣れていないのが明らかで(その理由もまた明らかだが)、仮面をかぶったようなその無表情には一種の恐怖感すら感じる程だ。


このドキュメンタリーには、マゼールやニューヨーク・フィルの面々が、平壌のオーケストラや音楽学校の学生たちにリハーサルしたり、レッスンしたり・・という場面も出てくるが、平壌のクラシック演奏家たちのポテンシャルは意外に(と言っては失礼だが)高い。ただ、北朝鮮の現状では、彼らがグローバルな舞台で活躍するチャンスはまず無いと思われる。非常に惜しい。


コンサートの曲目のメインは「パリのアメリカ人」と「新世界交響曲」という、まさにアメリカを象徴する曲目なのだが、この「パリのアメリカ人」が誠に凄演。この名曲をここまで、「どうだ!! これが自由の国アメリカだ!!」と叫ぶように演奏した例は、他にこのオケを若き日のティルソン・トーマスが振った演奏(SONY)位しか思い浮かばない。閉ざされた謎の国北朝鮮にアメリカが放った強烈なメッセージ・・。そんな感じである。


そしてこの映像で本当に印象的、感動的なのは最後の場面。アンコールの「アリラン」が終わり、オーケストラのメンバーが舞台を去り始めた時の、聴衆たちの反応である。皆が立ち上がっての大喝采(「熱狂的」と言っても良い程だ)。そして、あの「恐怖感」すら感じさせた無表情の人々とは別人か、と思う程の自然な笑顔。楽員たちと聴衆が共に笑顔でお互いに手を振る情景と、最後に平壌の空港で帰国する楽員たちとの別れを惜しんで涙を流す通訳たちの姿を見て、私は「ああ、彼らもやっぱり普通の人間なのだ」という感動と、「安心感」を味わった。


もちろん、この映像に登場する北朝鮮の人々は、ごく一握りの特権階級に属する人々だろうし、このコンサート自体を一種の政治的ショーである・・と批判する事は容易であろう。しかし、終演後の聴衆の大喝采を受けて、舞台の袖でマゼールとコンサートマスターのディクテロウが交わす会話の中に出てくる「音楽は共通の言葉。その事を忘れないようにしなければ。」というフレーズは、そういう批判を吹き飛ばす「真実」を語っているように私には思われる。ただ、北朝鮮という国にその後も一向に変化の兆しが無いのは誠に残念なのではあるが・・。


「音楽の力は凄い!」という感動と、「音楽の力だけでは変えられないものもある」という一種の無力感が交錯するこの記録。とにかく色々な事を考えさせられるおススメの逸品であります。