★猫丸しりいず第200回
◎芥川也寸志「音楽を愛する人に」 (ちくま文庫/絶版)
◎芥川也寸志:エローラ交響曲、交響三章 他
 
湯浅卓雄指揮 ニュージーランド交響楽団
(NAXOS 8555975J)
「猫丸」も遂に200回目を迎える事となった。
そこで今回は200回の区切りとして、「猫丸の原点」とも言える名著をご紹介したい。
その本は、昔中学校の図書室で出会った芥川也寸志さんの「音楽を愛する人に」。ただ、絶版になって久しいようで、現状は古書でなければ入手困難なようなのが残念である。当時は今のようにインターネットなる文明の利器がある時代では無く、クラシック音楽に関する情報源はほとんど書籍や雑誌に限られていた。図書室にある音楽関連の本を片っ端から読み漁っていた私が、ある時に出会ったのがこの「音楽を愛する人に」だった。
この本は自分にとって本当に衝撃的だった。古今東西の名曲を100曲あげ、
1曲当たり見開き2ページ分の文章が載っている・・という体裁は、一見何の変哲も無い。この手のスタイルの本は、テーマになっている楽曲の成立事情なり、構造なり、特色なりを「解説」しているのが普通である。しかし、この本は違った。大体、一番最初に出てくる曲が、バッハの「管弦楽組曲」とかではなく、いきなりスクリャービンの「法悦の詩」であるのが既に尋常では無い。
100曲の中には、一応普通にその楽曲について書かれている項もあるのだが、ほとんどの項に関しては、テーマとなっている曲は「話の出発点」にすぎず、そこから自由奔放に話が拡がっていくのだ。中にはモーツァルトの「ピアノソナタK.331」のように、その曲の事には全く触れずに大作曲家たちの「死因」を延々と列挙したり・・・という爆笑モノのとんでもない項まである。この本に私が衝撃を受けたのは、直接的な意味での「解説書」としてはほとんど役に立たないのに、読み物として最高に面白い、という点であった。
しゃれっ気に満ちて、しかもムダの全く無い軽快な文章。それでいて、大正から昭和にかけての激動の時代を生きた芥川さんの音楽人生があちこちに散りばめられ、まさに一気呵成に読ませてしまう。ショスタコーヴィッチにインタビューした時のエピソードなど、貴重な証言も多い。ちなみに以前、この「猫丸」でヴァレーズの「砂漠」をとり上げた際に引用したエピソードは、この本に載っていたものである(詳しくはコチラで・・ http://blog-shinjuku-classic.diskunion.net/Entry/1134/)。「音楽を語るのに、こんなやり方があったのか・・・」まさに目から鱗が落ちる思いだった。音楽に関する文章を読んでこれほどの衝撃を受けた経験は、それから10年以上経って片山杜秀さん(当時は「素秀」さんだったが)の文章に接した時くらいしか、他に思い浮かばない。
ひょんな事から、この「猫丸」を書き始める事になった時、真っ先に頭に浮かんだのは、「そうだ!あの芥川さんの本の精神で書いてみよう!」という事だった。もともと自他共に許すヘソ曲りで、格調高い事が苦手な私であるから、こういうノリでなかったら200回も続けられなかったかも知れない。実はこの機に、今まで自分が書いた「猫丸」を読み返してみた。本になった第70回まではモチロン、さあ新たな一歩だ!と新鮮な気持ちで書いた第71回(http://blog-shinjuku-classic.diskunion.net/Entry/775/)や、先日3周年を迎えたあの大震災にまつわる第120回(http://blog-shinjuku-classic.diskunion.net/Entry/998/)など、ああ、こんな事もあったなあと思うものもあった。しかし、そういう個人的感慨を抜きにした時にシミジミと思うのは、「まだ自分は芥川さんの足元にも及んでいない」という事。
実は今でもこの「音楽を愛する人に」を私は折に触れて読み返すのだが、もう内容を熟知している筈なのに、その都度新鮮な気持ちで読む事が出来る。自分で文章を書いて一番難しいと思うのは、「如何に書くか」では無く、「如何に書かないか」という点。この手のエッセイはネタさえあれば、いくらでも長々と書く事が出来るが、そこをグッとこらえて「これ以上は出来ない」と思える所まで内容をそぎ落とし、文をシェイプアップしなければならないのが毎度頭を悩ませる所である。しかし、芥川さんのような「凝縮度が凄いのに軽快」という極限の境地にはまだ全然達していないようだ。
「はっはっは、猫丸君。私に追いつこうなんてまだ100年早いですよ」と芥川さんがあの穏やかな声で語りかけてくるのが聴こえるようである。芥川さん、降参です。貴方は本当に偉大です。63歳という若さ(とあえて言いたい)で亡くなってしまったのは、日本の音楽界にとって大変な損失でした。ヤマカズさんこと山田一雄さんと共に、不肖猫丸を音楽の世界に導いて下さった芥川さん。御恩は一生忘れません!
ところで、芥川さんの作品で私が最初に接した名作2曲は「交響三章」と「交響管弦楽のための音楽」。前者は1948年、後者は1950年の作品だが、いずれも終戦直後に生み出されたとは思えない位に洗練された作品。プロコフィエフやカバレフスキーを連想させるスッキリと無駄が無く、それでいて力強さも持ち合わせた逸品である。タージ・マハールと並び立つインドの素晴らしい世界遺産、エローラの遺跡を素材にした「エローラ交響曲」も一見錯綜しているようで、実は見事に整理整頓された響きが素晴らしく、ああ、こういう作品群とあの文章は同じ頭脳から生み出されたんだなあ・・という感慨に耽ってしまう。湯浅&ニュージーランド響の演奏も素晴らしく、おススメの1枚。
未だ芥川さんの足元にも及ばなくとも、せめて「くるぶし」位までには到達したい・・。そんな思いを持ちながら、猫丸の苦闘はまだまだ続く・・・・