★猫丸しりいず第193回
 
◎山田耕筰:長唄交響曲「鶴亀」
 東温宮田哲男(長唄) 東温味見亨(三味線)他
 湯浅卓雄指揮 東京都交響楽団
(NAXOS 8557971J)
 
◎「市丸のすべて」 市丸(唄)
 (日本伝統文化振興財団 VZCG533)
 
大きな声では言えないが(いや、言っても良いのだが)市丸さんが結構好きである。
 
いや、「結構」というレヴェルでは無い。実は私は小学生の頃以来の市丸姐さんファンである。
と一人でコーフンしたところで「いちまるさんって誰?」と思われる方が大多数と思われるので、まずは彼女のプロフィールのご紹介から・・・
 
市丸(1906~1997)さんは信州松本の出身。松本の奥座敷、浅間温泉で芸者としてデビューしたが、その後上京。浅草でその美貌と美声から超売れっ子芸者となり、ビクターにスカウトされて1931年に歌手デビュー。以後60年以上に亘り、90歳で天寿を全うするまで
活躍し続けた・・・という昭和の大歌手である。
 
私は子供の頃、自宅にあったレコードでたまたま市丸姐さんの唄(あえて「歌」でなく「唄」と書きたい)を聴いて、一発で魅せられてしまった。小唄や長唄で鍛え抜かれた彼女の美声と節回しはまさに「絶妙」の一言。実に「粋(いき)」であり、肉感的なセクシーさとは全く違った清楚な「お色気」の漂う彼女の唄を聴くと、この人が昭和の旦那衆の憧れの的の大スターだったというのがうなずける。更に凄いのが、和洋ハイブリッドという感じの曲(純邦楽ポップスとでも呼べばよいか)で彼女が見せる適応力の凄さ。伝統芸能の良さを完全にキープしたまま、ポップなノリを見事に両立させているのはアッパレだ(「三味線ブギウギ」を是非お聴き頂きたい)。
 
そして市丸姐さんの素敵な唄を聴いてしみじみ思うのは、日本で生まれ、日本の文化の中で育ちながら、自分は普段あまりに日本の伝統芸に対して冷たく接していないか・・という事。以前北京で京劇を観た時、観客は外国人観光客とお年寄りばかりで若い年齢層の地元客が全然見当たらず、「こんな凄い芸をなぜ若い人は見に来ないのか」と残念に思った事があったのだが、「じゃあ、お前は歌舞伎や能を日本で観に行っているのか」と反撃されたら「スミマセンでした」としか言えないのが実態。自国の伝統文化に縁遠い人が多いというのは、今日では世界共通の事柄なのかも知れない。
 
そこで、純邦楽と西洋のオーケストラのハイブリッド曲、という凄まじい怪作を今回はご紹介したい。それが「長唄交響曲 鶴亀」。山田耕筰の1934年の作品である。純邦楽の楽器をオーケストラと共演させた作品は、あの「ノヴェンバー・ステップス」を筆頭に珍しいものでは無い。この「鶴亀」の何が凄いかと言えば、単に「純邦楽の楽器を用いた」という次元では無く、「鶴亀」という長唄の名作と西洋のオーケストラを「並列・並進」させた作品と言う点に尽きるだろう。
 
この曲は「鶴は千年、亀は万年」で知られる長唄の名曲「鶴亀」をそのまま演奏させ、そのバックで2管編成のオーケストラが彩りを添える・・という、ある意味かなりアナーキーな構造の作品。最初はそのシュールな響きにア然とするのだが、聴き進む内に長唄の素晴らしさにどんどん引き込まれてしまう。何しろこのNAXOS盤、長唄の演奏陣が超一流。唄方の東温宮田哲男(現・3代目貴音三郎助)は人間国宝。素晴らしいのも道理である。
ただ・・この「鶴亀」、オーケストラはひたすら長唄の「背景」という感じに終始していて、長唄と対峙して自らの存在感を示す、という箇所がほとんど無い(ショパンのピアノ協奏曲を連想してしまう)。結果、何だか長唄が乱入したムード・ミュージックという趣きの怪作となってしまった感がある。まあ山田耕筰にはハナから長唄とオーケストラを「対決」させようという狙いは無かったのだろうし、これはこれで彼の「回答」なのだろうが、もう少し仕掛けてくれても良かったのに・・・という不満は残る。
 
しかし、この曲(そしてこのNAXOS盤)が無ければ自分は長唄の素晴らしさに正面から向かい合う機会は無かったかもしれず、そういう意味ではこの「鶴亀」に感謝している。ちなみに山田は「鶴亀」の前に「越後獅子」や「吾妻八景」を素材とした同様の「長唄交響曲」を発表しているらしいが、残念ながら楽譜は失われているとの事。 色々難癖をつけてしまったものの、この曲、猫丸的には欧米で日本のオーケストラが公演する際に是非とり上げて欲しいと感ずる作品(コスト的に困難なのは承知の上)。私が京劇やガムランやヴェトナム・ハノイの「水上人形劇」の音楽に受けたような絶大のインパクトを欧米の聴き手に与える事必至の作品であるし・・。