★猫丸しりいず第183回
 
◎ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
 
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団 他
(海外EMI 6407882)

 
来日を果たせなかったにも関わらず、その独特の「情」に溢れた音楽で、今でも日本のリスナーに根強い人気の名匠バルビローリ。
 
その指揮に感動した楽員たちのリクエストで録音が実現した、という「マーラーの9番」を巡る有名な逸話が物語るように、一種「神がかり的」なオーラを放つ人だったらしい。彼は晩年は酒が手放せなくなり、リハーサルの時でさえ、指揮台の横にウイスキーの瓶が置いてあるような状態だったそうである。彼が1970年の大阪万博での来日直前に急死したときは70歳であった。
 
私が非常に残念に思うのは、「来日が果たせなかった」という事よりもむしろ、70歳という指揮者としてまだまだ働ける齢で彼が亡くなってしまった事。酒が命を縮めたのか・・・。
酒が決して嫌いとは言えない私も自戒せんとイカン・・と思わせる。
 
と、ここまでお読み頂いて、「オイ、今回はカラヤンのマイスタージンガーがテーマじゃ無いのか。何をダラダラとバルビローリの話をしているんだ」と怪訝に思われた方もいらっしゃると思うが、別に間違えた訳でもボケた訳でも無い。ここからが本題である。
 
この「マイスタージンガー」は、カラヤンとドレスデンのオケが共演した唯一の商業録音。
録音された1970年と言えば、カラヤン&ベルリン・フィルの絶頂期の筈なのに、なぜわざわざドレスデンで録音したのか?。この点については様々な憶測が乱れ飛んでいた。しかし、かなり前になるが(確か山崎浩太郎さんの文章だったと思うが)この件の真相に関する驚くべき事柄を知った。それは、「このマイスタージンガーの録音の本来の指揮者はバルビローリであった」という事である。
 
ではなぜこのプロジェクトが流れてしまったのかと言えば、1968年に発生したチェコスロヴァキアの変革運動(「人間の顔をした社会主義」というコトバで有名である)にソ連を主体とするワルシャワ条約機構軍が介入し、弾圧した「プラハの春」事件にバルビローリが抗議の意志を示すために、「東側」のオケとの共演をボイコットした結果、必然的に当時「東側」の東ドイツだったドレスデンでの録音が「幻」と化してしまった・・・という事なのらしい。
 
そして、この録音が元々バルビローリの指揮を前提としていた、という事の裏付けの一つとしてこの文章の中で示されていたのが、この録音のプロデューサーがロナルド・キンロック・アンダーソンである事。実はこの点は私もずっと気になっていた点であり、なぜバルビローリの録音を多く手掛けたアンダーソンがこの時だけカラヤンと組んだのか・・という謎がまさに「腑に落ちる」感じであった。
 
では仮に「プラハの春」の一件が無ければ「バルビローリのマイスタージンガー」が実現していたのか、と言えば、前述の通り晩年のバルビローリは酒浸りで体調も不安定だったようなので、この手の巨大プロジェクトが実現出来たか否かにはやっぱり微妙な部分は残る。無論、上記の様な数奇な過程を経て生まれたものだからと言って、カラヤン盤の「名盤」としての価値がいささかも損なわれる事はないのだが、それでもバルビローリの演奏を愛する一人としては、バルビローリ&ドレスデンという凄い顔合わせによる特濃(多分)の「マイスタージンガー」を聴いてみたかった・・・という気持ちを拭い去る事は出来ない。
 
今日我々が手にするクラシック音楽作品のCDやレコードは、一見ただのパッケージメディアにすぎないように思えるが、その誕生の過程には色々と生臭く人間臭い、時代の空気が封じ込められている。この「マイスタージンガー」は、その事に改めて思いを馳せてしまう名盤である。