★猫丸しりいず第182回
 
◎ドヴォルザーク:スラヴ舞曲
 
 カレル・シェイナ指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
(チェコSUPRAPHON  SU1916-2011)

 
 「脇に徹して輝く」。この事の難しさは、以前この「猫丸」でもとりあげた。
 
一昔前に比べて音楽家の「層」が非常に薄くなってきたように感ずる。これは音楽界だけではなくて、演劇、演芸等々の「芸事全般」に対してそう言えるのかもしれない。「名脇役」と呼べる存在がとても減少している。「寅さん」の佐藤蛾次郎みたいに、ちょっとしか出てこないのに、出てくるだけで観客に「やはりコイツが出てこないと」という納得感みたいなものをもたらす存在。そういう人が減っているのは寂しい。
 
「指揮界の名脇役」と言えば、まず私の頭に浮かぶのはチェコの名匠カレル・シェイナ(1896~1982)。元々はチェコ・フィルのコントラバス奏者であったが、巨匠ターリヒに勧められて指揮活動を始め、1938年にチェコ・フィルの副指揮者に就任。以後約30年の長きに亘り、このポジションを務めあげた人。ちょうど音楽監督がターリヒ~クーベリック~アンチェルという時代という訳で、彼らに比べれば表舞台に立つ事も、録音の数も少なく、しかも録音のほとんどがモノラル期という、典型的な「忘れ去られコース」を歩んだ不運な存在である。
 
かなり前に突如コロムビアから彼の録音がまとまった形でリリースされた事があり、私を含めた一部マニアを狂喜させたのだが、廃盤になって久しい。最近本家スプラフォンから「田園」「未完成」「プラハ」「マーラー4番」等の彼の代表的な録音を集めたセットが出たのは喜ばしかったが、何とも残念なのは、そのセットにはチェコ音楽の録音が全然含まれていない事。
 
名演&名ジャケットの「わが祖国」、フィビヒの交響曲、そしてこの1枚だけでもシェイナの名は不滅!と思える「スラヴ舞曲」等々がそっくり抜け落ちているのは残念至極(「チェコ音楽編」が別途出るのなら、こんなウレシイ事は無いのだが・・)。中でも「スラヴ舞曲」は1959年の、彼の数少ない貴重なステレオ録音盤。
 
「スラヴ舞曲」の名盤と言えば、自分にとってまずはDGのクーベリック盤。これを初めて聴いた時は「一体俺は今まで何を聴いてきたんだ」と思う程の、まさに「目から鱗が落ちる」ような感動を受けた。ただ、バイエルン放送響はムチャクチャ高性能で、その切れ味の良さは痛快無比なのだけど民俗的な「土臭さ」は稀薄で、その点だけがちょっと物足りない。それをカバーするもう一つの超絶名盤がこのシェイナ盤。「そうか、この曲は舞曲なんだ」というアタリマエの事を再認識させてくれる素晴らしい演奏である。
 
素朴で暖かく、力強いオケの音色。テンポ、メリハリ、フレージングが実に自然でまさに「自家薬篭中」という趣きだが、それが少しもルーティン・ワークという感じに陥らず、活気溢れる快演になっている。聴いているとじっとしていられず、思わず体が動き出してしまうような、そんな演奏だ。伊福部昭の曲を海外のオケが演奏すると、何だか響きの重心が高くて「オ~イ、もっと腰を割れよ」と言いたくなってしまうが、日本のオケがやると自然に腰の座ったリズムや響きになるように、チェコ・フィルの「スラヴ舞曲」の自然な力強さは、この曲がまさに彼らの血となり肉となっている事を実感させる。「スラヴ舞曲」の好きな方には是非とも一度は耳にして頂きたい名演奏だ。
 
「脇役」は決して「主役を張る能力の無かった人」では無い。「華」には欠けても、その確かな仕事ぶりで聴き手を唸らせる玄人好みの「名脇役」。
少ない人材を奪い合い、短期間で「消費」してしまうような昨今の状況から、かつてのような「名脇役」と言うにふさわしい人材が生まれてくるのか・・。「脇役マニア」としては危惧を抱かざるを得ない今日この頃ではある。