★猫丸しりいず第180回
 
◎ガーシュウィン:歌劇「ポーギーとべス」
 
ニコラウス・アーノンクール指揮 ヨーロッパ室内管弦楽団
 
レマル(ポーギー)カバトゥ(べス)他
(国内SONY/RCA SICC1290~2)

 
 今年の8月28日は「ワシントン大行進」からちょうど50周年。アメリカの黒人差別の撤廃を求めた人々による歴史的なデモであり、公民権運動家キング牧師による演説「I have a dream」が行われた事でも有名である。
 
20世紀のアメリカを代表する名演説として知られる「I have a dream」。私がこの演説に初めて接したのは、もう40年も前の小学生の時。ドキュメンタリーか何かだったか、この演説の映像がテレビから流れていたのである。当時英語など全く理解出来ない私は、キング牧師が何を語っているのか、皆目見当がつかなかった。にもかかわらず、これがとんでもない名演説である、という事は何だか直感的に感ずる事が出来た。しかし、その「理由」について考えた事は今まで全然無かった。
 
今は本当に便利な世の中で、この演説をいつでも好きな時に動画投稿サイトで見聞きする事が出来る。「ワシントン大行進から50年」のニュースを見たのを契機に、ン十年ぶりにこの演説を聴いてみる事にした。
 
聴いて唸った。やはりこれは超ド級の名演説である。約15分と決して長くない演説だが、その無駄の無さ、構成の巧みさ、凝縮度の凄さはまさに比類が無い。そして、何よりも感じたのは、この演説が実に「音楽的」であり、内容云々以前に「サウンド」として素晴らしいという事であった。
 
有名な「I have a dream」というフレーズは、演説の後半で繰り返し登場するフレーズだが、この他にも
 
One hundred years later(あれから100年経っても)
Now is the time to(今こそその時だ)
 Let freedom ring from (自由の鐘を打ち鳴らせ!)
 
等々のフレーズを、キング牧師はたたみかけるように繰り返し、聴き手をグイグイと引き込んでいく。
そして、「I have a dream」が繰り返される部分辺りから、最初は比較的淡々としていたキング牧師の口調は明らかにアグレッシブになり、音量もフォルテになり、凄い昂揚感の頂点でフォルティッシモで終結させる。実に見事だ。あたかも、幾つかの印象的な旋律を繰り返しながら聴き手に認識させ、最後の最後に神々しい主題をフォルティッシモで現出させて、圧倒的なクライマックスを築き上げる。そんな一篇の交響曲を聴いているようであった。この演説が、英語の全然わからない小学生にも強烈な印象を与えたのは、単に「サウンド」として捉えても素晴らしいという特色ゆえであろう。
「I have a dream」に関するサイトは非常に多く存在するので、様々な角度から容易に接する事が出来る。興味のある方は是非見て頂きたい。
 
ところで、この歴史的名演説が生まれた背景には、リンカーンによる奴隷解放宣言から100年経っても、黒人差別が無くなっていないという現実があった(前述の「One hundred years later」というフレーズは、その事を示している)。そこで頭に浮かぶのは、ガーシュウィンの名作「ポーギーとべス」である。 
 
「人類の至宝」と呼んで良い、この大傑作。舞台となっているのは奴隷解放宣言から60年以上経った1920年代のアメリカ南部。一向に無くならない差別、貧困、麻薬、殺人・・等々、自分たちを取り巻く厳しい環境の中、それでも希望を捨てず、信仰を糧に逞しく生きていく黒人達を描いた作品。3時間以上の長丁場でストーリーには救いの無い暗さが漂い、非常にヘビーな内容なのだが、とにかく音楽が素晴らしすぎる。全曲親しみやすい旋律に満ち溢れている事は、かえって(皮肉にも)この曲が永らく「軽く」扱われる原因となってしまったのだろう。しかしもう今、この曲が堂々たる「オペラ」である事に異論を挟む人は少ないのでは無いか。
 
この曲の名盤としては、まず何と言ってもDECCAのマゼールとマウチェリーによる2組を挙げたい。が、今回は大穴アーノンクール。彼と「ポーギーとべス」という組み合わせはあまりに意表を突いている。正直言って初めて聴いた時には相当な違和感があった。しかし、何度も繰り返し聴いてみる内に、彼が如何にこの作品に愛着を持ち、隅から隅まで目を光らせ、「この箇所はこうでなければ」という確信のもとに演奏しているかがヒシヒシと伝わってきて「さすがアーノンクール」と感服させられた。歌手陣は、マリア婆さんを演ずるロバータ・アレグザンダーと、クラウンを演ずる、そしてこの役をやらせたら天下無双の名バリトン、グレッグ・ベイカー以外は主役の二人を含め全然知らない人たちばかりだが、皆非常にレヴェルの高い歌を聴かせてくれる。ファーストチョイスとしておススメするにはどうかと思うが、ついにこの曲も「アメリカの」という枕詞の付かない純然たる「オペラの古典的名作」の地位を獲得したんだ、という感慨に浸らせる、そんなユニークな名盤である。