★猫丸しりいず第172回
 
◎プーランク:ピアノ協奏曲、オーバード、田園のコンセール 他
 
 デュシャーブル(P)コープマン(Cemb)アラン(Org)他
 ジェイムズ・コンロン指揮 ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団
(国内ERATO WPCS12265~6 SHM-CD 限定盤)
 
◎プーランク:歌劇「カルメル会修道女の対話」
 
 デュボス、ゴール、ヴァン・ダム 他
 ケント・ナガノ指揮 リヨン国立歌劇場管弦楽団・合唱団
(VIRGIN/EMI 3586572/2枚組)
1210a529.jpegc2e49859.jpeg
梅雨明け早々から、ここは印度かカタールか・・・と嘆きたくなる酷暑に襲われているニッポン。
 
こんな時にはノド越しの良い爽やかな作品を聴きたいなあ・・・と思う私。そこで出番となるのがフランシス・プーランク(1899~1963)の作品たち。
 
高校生の時に聴いた「牝鹿」以来、長年お世話になっている彼の作品。その明快さ、「淀み」の無さはまさに唯一無二の魅力を放っている。音楽の流れの「淀みの無さ」という点においてはメンデルスゾーンと双璧と思える彼は、そのメンデルスゾーンと同様裕福な実業家の息子として生まれた。
彼の父はフランスの代表的な化学、製薬会社ローヌ・プーランの創設者。(ただ、現在はヘキストやバイエルとの合併で、残念ながらこの「プーラン(プーランクに非ず)」という社名は残っていない。)その父は息子が音楽家になる事には賛成では無かったようで、実際プーランクは父の反対で音楽学校に進めなかった。ただ、幼少時から音楽的、文化的に恵まれた環境で育まれた彼の才能はディアギレフからの委嘱作「牝鹿」で一気に開花する事となる。
 
「観念的な晦渋さ」みたいなものの無い、自由奔放、「放し飼い」的な魅力に満ちた彼の作品。しかも、ただの能天気な音楽に留まらず、その中に微妙な陰影がある(彼の作風を「悪ガキと修道士が同居している」と評したコトバがある程だ)。このバランスが実に絶妙なのだ。そんな彼の作品から、対照的な2曲をご紹介したい。
 
まずは「ピアノ協奏曲」。これこそプーランク以外には書けない大名曲。冒頭に現れるピアノのメロディ。これが実に実に印象的で、一度聴いただけで覚えてしまったほどだ。まるで鼻歌歌ってるように自然に流れ出すこのメロディ、優雅で人なつこく、しかもどこか翳りがあって「俗っぽい」
 ・・・。あたかも「昭和歌謡」の如き名旋律。個人的には「ちあきなおみの歌」を勝手に連想(笑)。そしてカーニヴァルのような終楽章には何とフォスターの引用まで登場。この曲はボストン響からの委嘱作で、1950年にミュンシュの指揮と作曲家自身のピアノで初演されたが、フォスターの登場は「アメリカ」を意識した結果?それはともかくとして、「オシャレな脱力系」というまさにプーランクにしか成しえない領域の傑作!
 
ご紹介のERATO盤は、ド天才でありながら商業主義にまみれた音楽界に嫌気がさしたと突如表舞台から「引退」したピアニスト、デュシャーブルの演奏が秀逸。カップリング、独奏者の超豪華な顔ぶれ、スピード感溢れ切れ味抜群のコンロンの指揮(この指揮者はあまりに日本で過小評価されているように感ずる)とオケの名演・・と何拍子も揃ったプーランク好き必携の名盤。
 
そしてもう一曲の「カルメル会修道女の対話」は1957年に初演された作品。フランス革命前後のカルメル会修道女の弾圧と処刑を題材とした、非常に重たい内容のオペラである。しかし、その音楽はいつものプーランクらしく実に清澄で淀みが無く、オオゲサな盛り上げとは無縁で淡々と音楽が進んでいく。それが最大の効果をあげるのが最後の修道女たちの処刑の場面。普通なら劇的に音楽を盛り上げ、オケは咆哮、歌手は絶叫・・・という展開になりがちなのだが、この曲はまさに「顔色一つ変えない」という感じで淡々と進行していくのだ。と、そこに「ストン!」という断頭台の刃が落ちる擬音が・・。そして修道女たちが歌う聖歌を遮断するように何度も断頭台の「ストン!」という音が繰り返される。この場面はまさに背筋が凍るような恐ろしさ。音楽が淡々と進んでいる分、かえってショッキングな効果が生まれているのである。これまたプーランクならでは・・と言えるユニークな傑作。
 
ご紹介のナガノ盤はリタ・ゴールやジョゼ・ヴァン・ダムといったベテラン勢がさすがと思える仕事ぶり。ただ限定生産だったようなので今でも入手可能かどうか・・・。 今年没後50年を迎える天才プーランク。のど越し爽やかなのに、味わいも充分!! この夏のオススメメニューです!