猫丸しりいずのカテゴリー記事一覧

★猫丸しりいず第173回
 
◎コンヴァース:安物自動車一千万台
 
 ジョアン・ファレッタ指揮 バッファロー・フィルハーモニー管弦楽団
 (NAXOS 8559116)
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「デトロイト市が財政破綻」というニュースが先日世界を駆け巡った。
 
かつては全米一の自動車工業都市として繁栄を謳歌したこの街。しかし、1970年代の日本車の台頭等で自動車産業は深刻な打撃を受け、その衰退が人口の流出や市街の空洞化、治安の悪化という悪循環に繋がった。そしてとうとう180億ドルという莫大な負債を抱えて破綻する事態に陥ってしまった。
 
私が子供の頃はまだ「アメリカの象徴的な都市の一つ」というポジションだったデトロイト(社会科の授業で愛知県の豊田市を「日本のデトロイト」と教わった記憶が今でも鮮明である)の、この体たらくは中々にショックだが、長期に亘る不況で生産拠点の海外移転が相次ぐ日本の都市にとって、決して「対岸の火事」では済まされない出来事でもある。
 
そんなデトロイトの栄光の時代を偲ばせる隠れ名曲が今回のテーマ。アメリカの作曲家、フレデリック・シェパード・コンヴァース(1871~1940)が1927年に作曲した「安物自動車一千万台」がその曲。作曲家に関しても、作品に関してもNAXOS盤のライナーノーツ位しか資料が無いのだが、この作曲家はミュンヘンに留学してラインベルガーに師事し、帰国後はボストンのニューイングランド音楽院で教鞭をとった・・・という人らしい。
 
曲の原題は「Flivver Ten Million」。オネゲルの「パシフィック231」の成功に触発された作品との事。自動車というノリモノを広く一般に普及させ、大量生産システムを確立し、自動車産業の急成長に欠かせない役割を果たした歴史的名車「T型フォード」がネタになっている曲である。ちなみに「Flivver 」とはT型フォードを指す、古いアメリカのスラングだそうで、ピッタリする和訳がムズカシイ。「安物」ではあんまりかな・・とも思うが「大衆車」ではスラングっぽくないし・・・。ちなみにフォードがベルトコンベアによる「流れ作業」システムを導入したのは、今からピッタリ100年前の1913年8月との事。そして、この「T型」は最終的には「1,000万台」どころか、約20年間に亘って1,500万台という驚異的な数が生産されたのだそうだ。
 
所要12分強のこの作品、実にわかりやすく楽しい曲だ。デトロイトの街に朝が来て、フォードの工場に労働者たちが出勤し、トンカチトンカチ車を作って、プシュ~~~「ハイ、一台出来ました~」という感じ。この曲とほぼ「同級生」の「工場モノ」の傑作、モソロフの「鉄工場」(1928年)が老朽化して油も切れかかった機械をムリヤリ動かしてます!という感じの野卑な迫力を炸裂させているのと対照的に、このコンヴァースの作品は何だか「牧歌的」でさえある。コンヴァースは、以前この「猫丸」で「乳母車の冒険」をご紹介した作曲家カーペンター(詳しくはコチラでhttp://blog-shinjuku-classic.diskunion.net/Entry/999/)と同世代。この二人の作品の共通点は、間違いなく「アメリカ的」ではあるのだが、後輩のコープランドやバーンスタインのような低湿度のパリッと乾いた感じが薄く、どことなくヨーロッパ的な「しっとり感」が漂う独特の魅力を放っているところ。後に隆盛するアメリカ産映画音楽のルーツを感じさせるのも興味深い。
 
それにしても、特定の大物作曲家にばかりスポットライトが当たっていた「アメリカのクラシック音楽」の受容の状況を打破し、実は知られざる名作が山ほどあったという事実を提示してくれたNAXOSの「AMERICAN CLASSICS」のシリーズは、まさに「偉業」の一言だ。このシリーズをはじめ、NAXOSに多くの録音を行なっているファレッタ&バッファロー・フィルの演奏も素晴らしい。一部の有名曲ばかり露出度の高いアメリカの作品だが、実は「ソ連系交響曲」並みに奥深くマニア心をくすぐるのがアメリカ音楽。貴方も是非アメリカ音楽の迷宮へお越し下され・・・・

 

 
★猫丸しりいず第172回
 
◎プーランク:ピアノ協奏曲、オーバード、田園のコンセール 他
 
 デュシャーブル(P)コープマン(Cemb)アラン(Org)他
 ジェイムズ・コンロン指揮 ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団
(国内ERATO WPCS12265~6 SHM-CD 限定盤)
 
◎プーランク:歌劇「カルメル会修道女の対話」
 
 デュボス、ゴール、ヴァン・ダム 他
 ケント・ナガノ指揮 リヨン国立歌劇場管弦楽団・合唱団
(VIRGIN/EMI 3586572/2枚組)
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梅雨明け早々から、ここは印度かカタールか・・・と嘆きたくなる酷暑に襲われているニッポン。
 
こんな時にはノド越しの良い爽やかな作品を聴きたいなあ・・・と思う私。そこで出番となるのがフランシス・プーランク(1899~1963)の作品たち。
 
高校生の時に聴いた「牝鹿」以来、長年お世話になっている彼の作品。その明快さ、「淀み」の無さはまさに唯一無二の魅力を放っている。音楽の流れの「淀みの無さ」という点においてはメンデルスゾーンと双璧と思える彼は、そのメンデルスゾーンと同様裕福な実業家の息子として生まれた。
彼の父はフランスの代表的な化学、製薬会社ローヌ・プーランの創設者。(ただ、現在はヘキストやバイエルとの合併で、残念ながらこの「プーラン(プーランクに非ず)」という社名は残っていない。)その父は息子が音楽家になる事には賛成では無かったようで、実際プーランクは父の反対で音楽学校に進めなかった。ただ、幼少時から音楽的、文化的に恵まれた環境で育まれた彼の才能はディアギレフからの委嘱作「牝鹿」で一気に開花する事となる。
 
「観念的な晦渋さ」みたいなものの無い、自由奔放、「放し飼い」的な魅力に満ちた彼の作品。しかも、ただの能天気な音楽に留まらず、その中に微妙な陰影がある(彼の作風を「悪ガキと修道士が同居している」と評したコトバがある程だ)。このバランスが実に絶妙なのだ。そんな彼の作品から、対照的な2曲をご紹介したい。
 
まずは「ピアノ協奏曲」。これこそプーランク以外には書けない大名曲。冒頭に現れるピアノのメロディ。これが実に実に印象的で、一度聴いただけで覚えてしまったほどだ。まるで鼻歌歌ってるように自然に流れ出すこのメロディ、優雅で人なつこく、しかもどこか翳りがあって「俗っぽい」
 ・・・。あたかも「昭和歌謡」の如き名旋律。個人的には「ちあきなおみの歌」を勝手に連想(笑)。そしてカーニヴァルのような終楽章には何とフォスターの引用まで登場。この曲はボストン響からの委嘱作で、1950年にミュンシュの指揮と作曲家自身のピアノで初演されたが、フォスターの登場は「アメリカ」を意識した結果?それはともかくとして、「オシャレな脱力系」というまさにプーランクにしか成しえない領域の傑作!
 
ご紹介のERATO盤は、ド天才でありながら商業主義にまみれた音楽界に嫌気がさしたと突如表舞台から「引退」したピアニスト、デュシャーブルの演奏が秀逸。カップリング、独奏者の超豪華な顔ぶれ、スピード感溢れ切れ味抜群のコンロンの指揮(この指揮者はあまりに日本で過小評価されているように感ずる)とオケの名演・・と何拍子も揃ったプーランク好き必携の名盤。
 
そしてもう一曲の「カルメル会修道女の対話」は1957年に初演された作品。フランス革命前後のカルメル会修道女の弾圧と処刑を題材とした、非常に重たい内容のオペラである。しかし、その音楽はいつものプーランクらしく実に清澄で淀みが無く、オオゲサな盛り上げとは無縁で淡々と音楽が進んでいく。それが最大の効果をあげるのが最後の修道女たちの処刑の場面。普通なら劇的に音楽を盛り上げ、オケは咆哮、歌手は絶叫・・・という展開になりがちなのだが、この曲はまさに「顔色一つ変えない」という感じで淡々と進行していくのだ。と、そこに「ストン!」という断頭台の刃が落ちる擬音が・・。そして修道女たちが歌う聖歌を遮断するように何度も断頭台の「ストン!」という音が繰り返される。この場面はまさに背筋が凍るような恐ろしさ。音楽が淡々と進んでいる分、かえってショッキングな効果が生まれているのである。これまたプーランクならでは・・と言えるユニークな傑作。
 
ご紹介のナガノ盤はリタ・ゴールやジョゼ・ヴァン・ダムといったベテラン勢がさすがと思える仕事ぶり。ただ限定生産だったようなので今でも入手可能かどうか・・・。 今年没後50年を迎える天才プーランク。のど越し爽やかなのに、味わいも充分!! この夏のオススメメニューです!

 

★猫丸しりいず第171回
 
◎深井史郎:パロディ的な四楽章、ジャワの唄声、創造
 
 ドミトリ・ヤブロンスキー指揮 ロシア・フィルハーモニー管弦楽団
(NAXOS 8557688J)
 
◎田中正史:「妖怪人間ベム」のテーマ ハニー・ナイツ(歌)
 
(国内ユニバーサル TOCT9544 ※「妖怪人間ベム ミュージック・クリップ」/廃盤)
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今年は日本でテレビ放送が開始されて60周年なのだそうだ。
 
NHKの大河ドラマのテーマ曲を筆頭に、クラシック畑の作曲家たちの手による「テレビ番組のための名曲」は非常に多い。聴いていた当時は全く知らずに、随分経ってから「エッ、この曲はあの人の作品だったのか」と驚かされた事例は数えきれないほどある。
 
その中でも自分にとって「驚き度」が最高だったのが、日本テレビが早朝の放送開始時に鳩のアニメーションと一緒に流していた曲「鳩の休日」。素朴だが印象的なアニメーションと、哀愁を帯びたその美しいメロディは、当時小学生だった私に強烈なインパクトを与え、わざわざこれを聴くために朝6時前に早起きした事もあった程である(つくづく妙な子供であった・・)。この名作の作曲者が深井史郎(1907~1959)である事を知った時は本当に驚いた。
 
深井はラヴェルやストラヴィンスキーに多大な影響を受け、モダンで洒脱な作品をいろいろ遺した人。ファリャ、ストラヴィンスキー、ラヴェル、ルーセルに対するオマージュと言える代表作「パロディ的な四楽章」をはじめ、「アジアン・ボレロ」と形容したい「ジャワの唄声」、そして多数の映画、放送のための作品が知られる。そういう彼の仕事の「文脈」からすれば、テレビの音楽に携わった事はそう驚く事では無いが、それにしてもあの「鳩の休日」が深井の「裏代表作」だったとは。ちなみにこの「鳩の休日」には、実は結構愛好者が多いらしく、動画投稿サイトにも多数画像がアップされているのも驚きだった。
 
深井の代表作がこれまで入手困難だった「ジャワの唄声」も含めて聴ける便利なNAXOS盤。そのライナーノーツ(これだけに金払っても良い!と思える程の片山杜秀さんの力作!)を読んでいたら、「深井の弟子と言える作曲家」として、これまた意外なヒトの名前が挙がっていて、またまたビックリ。その人の名は田中正史(1928~2010)。
 
多くの印象的な名曲を遺しながら、小林亜星や渡辺岳夫のように語られる事が皆無に近い不憫な作曲家。ちなみに代表作は「黄金バット」「サスケの歌」「黄桜のCMソング(あの小島功のカッパのアニメで有名な・・)」等々。これらの曲をご存じの方ならお分かりと思うが、実にスピード感溢れるカッコイイ作品が多い。そして彼の・・と言うより、あらゆる日本のアニメソングの中でも最高傑作の一つでは無いか、と思えるのが「妖怪人間ベム」のオープニング・テーマ。実際、「オトナになって聴き直して、この曲はスゴイ!と再認識したアニソンは?」という問いかけをすると、(私の周辺で)冨田勲の「リボンの騎士」と共に、この「ベム」を挙げる人が多かった。
 
湿気の多い日本的、東洋的な妖怪アニソンの大傑作「ゲゲゲの鬼太郎(いずみたく作曲)」と対極的に、カラッと乾ききったジャズの響きをまとった「ベム」のテーマ。もう40年以上も前の作品(1968年)にも関わらず未だに全く古臭さが無く、そのベースやビッグバンドの響きを聴くと、今でもワクワクしてしまう。ちなみに田中正史はテレビの音楽を中心に活躍したが、実はオペラやバレエといった「舞台系クラシック作品」も遺しているそうで個人的には誠に興味津々なのだが、実際に耳に出来る機会はまず無さそうなのは残念だ。
 
そして言うまでも無く、この「妖怪人間ベム」という作品自体が理不尽な「差別」「偏見」という非常に難しいテーマに果敢に立ち向かった大傑作。
大人になって見直して、こんなに感銘を受けたアニメ作品は私には無かった。まだまだ世界中に偏見、差別が渦巻く現代にこそもう一度評価されるべき重要作。 
それにしても、当時の子供たちの間で大流行した、あの「早く人間になりたい!」というセリフ。その一言に込められた悲痛な「思い」を感じ取るには、その頃の私はまだ幼すぎたようだ。

 

★猫丸しりいず第170回
 
◎フロトウ:歌劇「マルタ」
 
ロベルト・ヘーガー指揮 バイエルン国立歌劇場管弦楽団  他
(独EMI 4645752 2枚組)
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「替え歌」は実に奥深い。
 
「替え歌」には、例えば嘉門達夫がやったように元々の曲の歌詞をパロディにしたものもあるし、旋律だけを借用して全然別の歌詞を乗っけたものもある。後者の例としてあまりに有名なのが、アメリカの南北戦争の北軍の行軍曲として知られる「リパブリック讃歌」。本国アメリカで「ジョン・ブラウンズ・ベイビー」という替え歌になり、それが日本に輸入?されて「太郎さんの赤ちゃんが風邪ひいた~」という妙ちきりんな歌になったばかりか、同じメロディーで「オタマジャクシは蛙の子~」という歌に化けたり、ヨドバシカメラのCMソングに化けたり・・と、もう訳が分からない。
 
この手の「替え歌」の例はまさに枚挙にいとまが無いのであるが、私の知る限り最もヒドイ(笑)事例を今回はご紹介したい。
 
ドイツの作曲家、フリードリッヒ・フォン・フロトウ(1812~1883)の代表作「マルタ」の中の快活な「農民たちの合唱」。この名曲をもとに日本で生まれた替え歌は・・
 
『爺さん、酒飲んで酔っ払って死んじゃった♪
 婆さん、それ見てビックリして死んじゃった♪』
 
イヤ~、コリャひどいな(爆笑)。爺さん、婆さん、何も死ななくたっていいじゃないですか、こんな事で、とつい言ってしまいそうになる。この替え歌の生みの親は一説によれば「日本の喜劇王」エノケンこと榎本健一との事。
彼が戦前の浅草オペラでこの替え歌を歌い、これが当時の子供たちを中心に大流行したんだそうだ(子供たちが「死んじゃった」系の替え歌が大好きなのは時代を問わないらしい)。この替え歌は黒澤明の映画の中で志村喬が、そして、あの「男はつらいよ」の中で渥美清が歌ったり・・という「実例」が多々ある事から、当時を生きた人々に相当なインパクトを与えた「傑作」であったのだろうと想像出来る。と同時に、この「マルタ」や、スッペ、オッフェンバックと言った、今日ではあまり顧みられる事の無い作品が人気を博していた古き良き時代の雰囲気も伝わってくるようである。
 
この「農民たちの合唱」をご存じの方、試しに「爺さん、酒飲んで・・」と歌ってみて下され。もう、この曲が聴こえると自動的にこの歌詞がアタマに浮かんで困ってしまいますよ。そして「知らないけど興味津々」という貴殿には、スウィトナー指揮の「ドイツ・オペラ合唱曲集(エテルナ音源)」がまずはおススメだけど、どうせなら全曲盤を・・。「夏の名残のバラ(日本では「庭の千草」というタイトルで有名なアイルランド民謡)」とかテノールの名アリア「夢のように」など、他にも名曲を多く含んだ作品ゆえ。
 
新たな全曲盤の登場がほとんど期待出来ないこの手の曲。今回ご紹介のヘーガー盤(1968年録音)がこれからも不動の代表盤と言う事になろう。1960~70年代にかけて独EMI(エレクトローラ)がローテンベルガー、ゲッダ、プライ、ショック、フリック等々の「エレクトローラ一座」とでも呼びたい名歌手たちを揃えて録音した一連のオペラ&オペレッタ録音の中の一組。これらの録音に共通の特色として、録音、演奏共々非常に武骨で野暮ったいのだが、それがかえって現代の「グローバルで地域色が薄い」演奏に無い良い味を出している。
 
「原曲より有名な?歌」を多々生み出した、この「替え歌ワールド」。でも音楽の嗜好が極度に細分化し「誰でも知ってる歌」が無くなりつつある現代では、「替え歌」も絶滅危惧種になる日が近いのかも・・と思うと何だか寂しい。さあ皆様、最後に声を揃えてもう一度、「爺さん、酒飲んで♪」・・・・・

 

★猫丸しりいず第169回
 
◎シェーンベルク:ワルシャワの生き残り
 
 ハンス・ツェンダー指揮 ザールブリュッケン放送交響楽団 
(独CPO 999481-2)
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世界遺産に指定されているポーランドの首都ワルシャワ。
 
ウィーン、ブダペスト、プラハといった他の中欧の人気都市に比べると全く目立たない存在であるが、旧市街を中心とした「歴史地区」は中々見応えがある。そして、ここを訪れた人々は、この街が実は「オリジナル」では無く「復元」されたものと聞くと皆驚くだろう。
いや、復元された街という事実を知った上で訪れても、何ら「違和感」みたいなものを感じさせないのはまさに驚嘆の一言だ。
 
第2次大戦の際のドイツの侵略や爆撃によって灰燼に帰したこの街。戦後復興に立ち上がった人々は、幸いにも残った図面や写真、住人の記憶等々の資料を総動員し、何とこの歴史地区を(有名な言い回しを借用すると)「壁の割れ目に至るまで」忠実に復元してしまったのだと言う。建物一軒では無い。街全体をである。この執念と言うか、「思い」の強さはロシアやドイツに挟まれ、繰り返し侵略を受けてきたポーランドの人々の、(政治的な意味では無い純粋な意味合いでの)愛国心、郷土愛から生まれたものなのだろう。とにかく脱帽モノである。
 
第2次大戦のワルシャワ・・と言えば、切っても切れない名作が「ワルシャワの生き残り」。
この曲は私が初めて耳にしたシェーンベルクの作品であり、また「ヴォツェック」と共に初めて聴いた12音技法の作品でもある。中学生の時だったけど、その衝撃は誠に大きく、音楽を聴いて「震撼」させられるという体験を初めて得た忘れがたい曲。
 
この曲の素材は、ワルシャワのゲットーから幸運にも生還したユダヤ人の証言。ある日ドイツ兵によって集合させられたユダヤ人たちは、ある者は銃で撲殺され、残った者はガス室に送られ殺害される。ガス室に送られるユダヤ人たちから湧き起こる「聞け!イスラエルよ」の合唱・・・。戦後の1947年にアメリカで作曲された8分弱の短い曲だが、とにかく「人間が、同じ人間に対してどんな残忍な事をしてきたのか」という恐ろしい現実を、否応なく眼前に突き付けてくる傑作にして問題作だ。しかしそれから70年近くたっても、人種、宗教、国籍、民族、文化の違いから生ずる憎悪や理不尽な殺戮は地球上に溢れている。残念だが人間はつくづく学習をしないイキモノのようだ。
 
「ワルシャワの生き残り」にはブーレーズやアバドなど、もっと入手容易な録音もあるのだが、私にとってはこの曲はツェンダー(1936~)でキマリである。現代ドイツを代表する作曲家にして指揮者の彼。私が中学生の時にNHK響に客演し、何とベートーヴェンの7番(だったと記憶している)がメインのコンサートの前半に、ラッヘンマンの「響影」を持ってくる・・という大胆すぎるプログラムで「ゲンダイオンガク」に免疫(笑)の無かった私をのけぞらせた忘れがたい名匠。彼がザールブリュッケン放送響を振った録音がCPOからまとめて出た時、そのラインナップの中に「ワルシャワの生き残り」があるのを見つけ、迷わず入手。これが実に凄かった。「潤い」が全く無い、ギスギスと乾ききった音で容赦無くユダヤ人たちを追いつめていくような苛烈なオケの響き、ユダヤ人たちに号令をかけるドイツ兵の「半狂乱」ぶりをこれでもか!と強調する語り手、それらに必死に抗うような合唱・・・。そしてその「魂の叫び」のような合唱を、無情にもバッサリと断ち切るオーケストラの一撃!。全てが強烈で、思わず何度も繰り返し聴いてしまった程だ。
 
そして、この演奏が「加害者側」であるドイツの演奏家たちによって成されている事も、誠に印象深い。
 
非常に重たい内容の作品であり、気楽に聞き流せるという類の曲では無い。流行りの「癒し」とは対極とも言える内容である。しかし、大戦から70年近くが経過し、その惨禍を実際に知る人が今後どんどん減っていく今だからこそ尚聴かれなければならない重要作と私は確信している。それにしても、地球上の人類達がお互いの文化や宗教、民族等を尊重し、真に共存共栄出来る世界というのはやっぱりこれからも実現出来ないのだろうか・・・・・・。

 

★猫丸しりいず第168回
 
◎マクフィー:タブー・タブハン
 
 ハワード・ハンソン指揮 イーストマン・ロチェスター管弦楽団
 (米MERCURY 434310-2)
 
◎西村朗:ケチャ 
 
 パーカッション・グループ72
 (カメラータ CMCD50008 「彩色打楽~西村朗作品集」)
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西洋の音楽家たちに多大な影響を与えた「非西洋」の音楽と言えば、トルコの軍楽、ジャワやバリのガムラン、インド音楽が3大巨頭だろう。
 
1889年に開催されたパリ万博(あのエッフェル塔が建てられた事で有名な)で上演され、ドビュッシーらに大きな衝撃を与えたのがジャワのガムラン。私自身も、実際に聴いたアジアの音楽の中で、北京の京劇の音楽と双璧と言える感銘を受けたのがガムランである。エキゾティックなだけで無く、その完璧無比なアンサンブル(これは京劇の音楽も同様だが)には唖然とする他無かった。東洋人にすらこれ程のインパクトを与えるガムランが、何の予備知識も無い西洋の音楽家たちに与えた衝撃の大きさは容易に想像出来る。
 
実際、そのドビュッシーをはじめ、ラヴェル、メシアン、ブリテン等々ガムランの影響を受けた作品を多くの作曲家が手掛けている。中には「中国」や「仏教」が「ガムラン」に混入してしまったような作品もあるが、これはまあご愛嬌か?
 
そんな「ガムランもの」の作品の最高傑作でありながら、一部マニアにしか知られていない曲。それが「タブー・タブハン」。カナダの作曲家コリン・マクフィー(1900~1964)の作品。彼が初めてガムランと出会ったのはSPレコードで、その貧しい音質にもかかわらず、マクフィーは一発でその魅力にハマってしまった。その録音を手掛けたのは、「ケチャ」の創始者としてバリ島に詳しい方なら必ずご存じであろうドイツ人芸術家ウォルター・シュピースだったと言う。マクフィーは1931年に実際にバリ島に渡り、何と9年間も滞在して「ガムランの伝道師」的な役割を果たしたと言うのだから、まさに筋金入りである。
 
「タブー・タブハン」は1936年の作品。西洋のオーケストラによるガムランの再現と言うべき曲だが、とにかくガムランの独特な響きや、それが響くジャワやバリの多湿な空気感みたいなものをこれだけ見事にオケで描いたのは素晴らしいの一言に尽きる。そしてこの曲の不滅の名盤がご紹介のハンソン指揮のマーキュリー盤だ。1956年というステレオ最初期の録音でありながら、一聴たちまち「これが60年近く昔の録音か」と驚嘆の声をあげたくなる名演名録音盤である。あまたあるマーキュリーの名盤の中でも、神秘的な美女ジャケといい、セッションズの「黒い仮面の人々」とのカップリングといい、自分には際立って印象的なアイテムなのだが、現在、特にオリジナルのUSプレス盤の単独入手は非常に難しくなってしまっているようなのが残念。
 
そしてもう一点、ガムランと並ぶバリの芸能として名高い「ケチャ」が素材の作品をご紹介。作曲者の西村朗(1953~)に関しては、既に現役の日本の作曲家の中では大御所的な存在なので細かいご紹介は不要と思うが、この「ケチャ」は1979年の作品で、まだ西村さんが20歳代の頃のもの。西村さんの作品には「アジア」の強い影響を感じさせるものが多く、正直なところその特有な「濃さ」が私はちょっと苦手なのだが、この「ケチャ」は非常に好きな作品である。実際の「ケチャ」は楽器を用いず、声だけで演じられるのだが、西村作品は打楽器アンサンブルのためのもの。奏者は「チャッチャッ」というケチャ独特の叫び声も発しなければならないので、中々忙しい。パーカッション・グループ72の面々による演奏は呪術的な「ノリ」も良く、楽しめる。「タブー・タブハン」と同様に、オリジナルの素材を一旦解体、昇華させた上で、基本的に西洋のオケ用の楽器だけで再構成した・・・という趣の傑作だ。
 
もう1ヶ月もたてば本格的な夏の到来。またあの「熱帯夜」に悩まされるかと思うと、ちょっと気が重いのだが、いっその事ムシムシした夜には、今回ご紹介の2曲で「ホンモノの熱帯」の気分を味わってみては如何?。
 

 

 
★猫丸しりいず第167回
 
◎R.シュトラウス:バレエ音楽「お菓子のクリーム」
 
 若杉弘指揮 東京都交響楽団
(国内DENON COCQ84801~4 4枚組 ※「R.シュトラウスバレエ音楽全集」)
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これまでにも当「猫丸しりいず」で何度もネタにして来た通り、多くの作品を遺しながらごく一部(或いは、たった1曲)の作品しか世に知られていない・・という不憫な作曲家は多い。
 
それとは対照的に、その作品の多くがコンスタントに演奏、録音されている「高打率」に恵まれた作曲家もいて、リヒャルト・シュトラウス辺りはその代表的な存在と言える。しかし、そんなシュトラウスにも、ほとんど知られていないマイナー作が存在する。その一つが「お菓子のクリーム」(「泡立ちクリーム」とか「ホイップクリーム」という訳も有り)。
 
この作品は1922年の完成。という事は彼の作品の中では後期のもの。1918年の第1次大戦の終結後、世の中を覆っていた暗いムードの中、「明るい作品で人々を喜ばせ、世の中の雰囲気を変えたい」というシュトラウスの思いがこもった曲との事。お菓子の食べ過ぎで気分が悪くなり、倒れてしまった少年が夢の中で見た「お菓子の世界のファンタジー」という舞台設定。「お菓子の世界」が舞台のバレエ、と言えば誰だってあの「くるみ割り人形」を連想するであろうが、実際、この作品、「シュトラウス版くるみ割り人形」というノリの曲。
 
この曲を書いた頃のシュトラウスはと言えば、一連の交響詩や「サロメ」「薔薇の騎士」「アルプス交響曲」「エレクトラ」等の代表作の数々を既に生み出した後で、作曲家として熟達の域に達していた時期。とにかくこの人らしい豊麗な音響、器用な音楽運びに溢れた作品で、同じ「お菓子の世界」を題材にしながら「くるみ割り」に比べてかなり高カロリー、高脂肪分な趣きである。
 
この曲でユニーク、というか笑えるポイントが二つ。一つ目は終結間近の地点で突如挿入される「魔法使いに操られたお菓子の騒乱」。そこまでつつましくメルヘン調に曲を進めていたシュトラウスが、「ウ~ン、やっぱりオケ総動員のド派手な山場が無いと俺の曲らしくないぞ」という「本音」をつい出してしまいました・・・という感じで、その「必然性の薄い唐突感」がタマラナイ。そして二点目。少年が主人公の「お菓子の世界」の物語なのに、「お酒」が堂々と登場する事。リキュール、ブランデー、ウォッカ、そして前述の「お菓子の騒乱」の直後に現れるは何と「黒ビールによる鎮静の輪舞」!。イヤ~さすが「水の如くビールを 飲む」ビールの王国バイエルン出身のシュトラウス!お菓子の世界に堂々ビール乱入とは恐れ入りました。ちなみにリヒャルトの母親はビール醸造業者の娘なんだそうだ。
 
有名作ほどの魅力は無いが、なかなか捨てがたい面白さのある「お菓子のクリーム」。しかし初演当時は記録的なインフレで庶民は耐貧生活を強いられ、とてもお菓子どころでは無い時代。そんな中「お菓子を食べ過ぎた少年のファンタジー」などと言う能天気すぎる題材の作品がウケる筈も無く、この曲は忘れ去られる事になる。「明るい作品で世の中も明るく」というシュトラウスの思いとは裏腹に、「気分だけじゃ何も良くならん。本当に生活が改善されないと・・」という民衆の反応・・・。何だかちょっと今の日本にも通じますな。
 
この曲の録音は幾つかあるが、「ヨゼフの伝説」「いにしえの祭り」等と合わせ、R.シュトラウスの珍曲ばかり集めた若杉&都響のセットが何と言ってもおススメだ。1枚当たり1千円弱というお手頃価格もさる事ながら、高水準の演奏と録音、そして50ページ以上に亘る詳細で気合の入ったライナーノーツとまさに非の打ちどころの無いお買い得品。若杉さんのステージに私は何度も接したが、思わず拍手を忘れる位に感動した都響とのベルクの「管弦楽のための3つの小品」を筆頭に、N響との「マーラー8番」「火刑台上のジャンヌダルク」「子供と魔法」等々、独自の「こだわり」と共に「なぜ自分はこの曲をとりあげるのか」というメッセージが毎回強烈に伝わって来る彼の演奏に私はいつも感服していた。同世代の小澤征爾と同等(あるいはそれ以上)の凄い仕事を成し遂げながら、イマイチ地味な存在だった若杉さんだが、そんな彼の「心意気」を凝縮したようなこの4枚組セット。珍曲マニアにとどまらず、少しでも多くの方に接して頂きたい逸品である。

 

★猫丸しりいず第166回
 
◎チャイコフスキー:眠りの森の美女
 
アンタル・ドラティ指揮 アムステルダム・コンセルトへボウ管弦楽団
(海外DECCA 4783103 ※全曲 2枚組 PHILIPS音源)
 
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮 レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団
(国内ALTUS ALT064 ※組曲 1979年来日ライヴ)
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チャイコフスキーのいわゆる「3大バレエ」の中で、どの曲が一番好きか?という問いにはかなり答えが割れるだろうが、私はと言えば断然「眠りの森の美女」である。あくまでも私の私見だが、「美女」に比べて「白鳥」は、まだ粗削りな部分が多く、最後の「くるみ割り」は彼の作品としては何だか音楽の密度が薄い(特に前半)ように感じられるのだ(もちろん全てが名作である事に異存は無いが)。
 
前作の「白鳥の湖」から「美女」までは10年以上のブランクがある。「白鳥」の大コケや結婚の破綻などで精神的に追い詰められた彼は、このブランクの期間は創作の筆がすっかり鈍るのだが、渡された「眠りの森の美女」の台本が余程気に入ったのが、着手してわずか半年でこの大作を完成させてしまったらしい。実際、この曲には彼の作曲家としての成熟とヤル気が横溢していて、2時間半近い長丁場でありながら、次々と豪華なご馳走が出続けるような充実ぶりに、つい時間も忘れて聴き惚れてしまうのである。
まさに脂の乗り切った大作曲家ならではの傑作と言えよう。
 
ただ、この曲あまりにスケールが巨大で登場キャラも多く、公演に多大な費用がかかるらしくて「3大バレエ」の中でも最も地味な存在に甘んじているのは残念至極。「組曲」と「全曲」の認知度の差もあまりに大きすぎる気がしてならない。「組曲」は好きだけど「全曲」は長くて中々聴く機会が・・という貴方におススメの超弩級の名盤がご紹介のドラティ盤。
 
1979~1981年にかけて録音されたもので、とにかくオーケストラの充実ぶりが凄く、いかにもこの時期のPHILIPSらしいコンセルトへボウ大ホールの柔らかな響きをタップリ取り入れた録音も心地良い。そしてバレエ音楽の権威らしい確信に満ちたドラティの指揮! 基本的には職人的なキッチリとした仕事ぶりなのだが、全曲の各所にある「キメどころ」でアッと驚くような「仕掛け」を繰り出して聴き手の心を鷲づかみにするのが、この巨匠ならでは。例えば有名な「薔薇のアダージョ」。この曲の後半、ドラティは急激にテンポを落とし、「これ以上注いだら溢れます!」という感じの豊麗な音をオケから引き出してド迫力の名演を繰り広げる。この曲を「バレエ曲」としても「管弦楽曲」としてもここまで最高水準で再現した録音は、今後も出現しないのではないか。
 
そしてもう一点、個人的に忘れられないのがムラヴィンスキー盤。この曲は少年ムラヴィンスキーを感動させ、音楽の道に進ませるキッカケとなったと言われる作品なのだが、モノラルのSP音源しか無かったので、「来日ライヴ」という思わぬ形でこの曲の新しい録音が出て来たのは嬉しい驚きだった。ちなみにこの名コンビの、結果として最後の来日となった1979年の音源である 。
 
この演奏が本当に印象的だった。ムラヴィンスキーと言えば、一切贅肉の無い引き締まった響きで、まさに「峻厳」と表現したい別次元の名演を多々遺した人。無論この演奏も基本的にはそうなのだが、一緒に収められたグラズノフの交響曲第5番共々、「俺、この曲が好きでたまらないんだよ」というムラ爺さんの肉声が聞こえてきそうな思い入れが随所に感じられるのだ。「パノラマ」の度肝を抜く超ピアニッシモや、花が開くようにウキウキとした趣きの「ワルツ」を聴いた途端、「偉大だけど近づき難いオッカナイ爺さん」というムラヴィンスキーへのイメージが私の中で崩壊し、一気にこの巨匠への人間としての親近感が増した、そんな忘れがたい演奏である。それにしても、飛行機嫌いで知られたこの老巨匠が、シベリア鉄道で何日もかけてこの極東の島国を晩年に何度も訪れてくれたのは、今思えば本当に奇蹟的。ムラ爺さん、本当にありがとう。 

 

 
★猫丸しりいず第165回
 
◎セヴラック:コート・カタラン、黄昏のニンフ、3つの想い出、幻影 他
 
ロベルト・ベンツィ指揮 スイス・ロマンド管弦楽団
(CASCAVELLE RSR6197)
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「メジャーな存在」とは言い難いが、熱狂的なファンを持つ作曲家と言える人々がいる。私見では、その代表例はスペインの作曲家モンポウと、そしてフランスの作曲家デオダ・ド・セヴラック(1872~1921)では無いだろうか。チッコリーニや舘野泉が盛んに演奏している事もあってか、この作曲家のファンは少なくないようで、何と「日本セヴラック協会」なる団体まであるそうだ。
 
この人は故郷である南フランスのラングドック地方の伝統音楽に根差した作品を多く遺した。今日知られているのは専らピアノ作品だが、その独特の「田舎臭い」味わいは確かに他には無い魅力に満ちている。楽壇の中心パリで音楽を学んだが、「俺には田舎の方があっている」と故郷の南仏に戻り、そこを拠点に活動した人との事。
 
この人を「ピアノの作曲家」と思い込んでいた私の前にある日忽然と「セヴラック管弦楽曲集」なるモノが出現した時は大いにたまげた。珍曲ヲタクの私がこれを入手しない訳がない。初録音だそうだが、未出版の作品もあり、演奏可能な形に整えられて初めて日の目を見るものがほとんどのようだ。早速聴いてみるとこれが期待以上に素晴らしかった。ドビュッシーがセヴラックの音楽を賞賛した「素敵な大地の香りがする」という名言が、まさに「言い得て妙」だと思わせる逸品揃いである。カラッと明るい「コート・カタラン」、女声合唱が入り、ドビュッシーの「夜想曲」を連想させる「黄昏のニンフ」は特に印象的。南欧の田舎の畑の中で、明るい日差しを浴び、爽やかな風に吹かれながら草木がザワザワと鳴る音を聴いている・・・・。そんな気分にさせられる作品達である。これらの魅力作を世に出してくれた事に感謝カンゲキである。
 
そして、この盤が出た時にもう1点私を「オオッ!」と思わせたポイントがある。それは指揮者がロベルト・ベンツィだった事。そう、彼こそ前回とりあげたピエロ・ガンバと並ぶ神童指揮者。1937年の生まれで、ガンバと同世代。マルセイユの出身で幼い時から音楽教育を受け、11歳で指揮者デビューし、何とその翌年「栄光への序曲」という映画に主演。「天才少年指揮者」としてスターダムに昇りつめたという人。その後ラムルー管などを指揮してステレオ初期の1960年前後にPHILIPSを中心に結構な量の録音をし、私がクラシック初心者だったレコード末期にはまだ廉価盤でいろいろな盤が出回っていたのだが、その後は陰の薄い存在となってしまった。
 
ただ、彼の場合はガンバと違って量的には減少したとは言え、継続的に録音は行なっていたのだが、メジャーレーベルへの録音が少なかった事等で、あまり表に出る機会が無かったのは不運であった。CD時代になってNAXOSからフランクの作品集が出た際には「オッ、まだいたのかこの人」的な盛り上がりが一部マニア間で見られたのだが、こんな意外な形で彼の健在ぶりが明らかになったのは嬉しい驚きであった(2004年の録音)。この貴重な録音が、ただの「珍曲の掘り起し」という水準に留まらず、「こんな名作が隠れていたのか!」という感嘆を呼び起こす逸品になったのは「忘れられた天才」ベンツィの大きな功績と言って間違いない。
 
残念ながらこの盤、現在は新品を入手するのは非常に難しい状況になってしまっているようだ。クラシック音楽作品の音盤が、ごく一部の売れ線商品以外は事実上の「初回プレス限定」状態に陥っているのは実に困った問題ではあるが、昨今の厳しい経済状況の中ではやむを得ない事なのかもしれない。しかも、私のような物好きや熱心なセヴラック・ファンしか入手しなかったのか、中古品の世界でも中々見かけない存在なのは残念。興味のある方は見つけ次第ゲットする事をおススメする。
 
それにしても「神童」とは、中々ツライ存在である。熱狂的にもてはやされた挙句、短期間で「消費」されてしまったり、30歳代位で大きな壁にぶつかって伸び悩んだり・・・。「好きで神童に生まれたわけじゃない!!」と叫びたくなる瞬間もきっとあるのではないか。「気楽に生きられる凡才で良かった・・」と思うのは、不肖猫丸のヒガミで御座いましょうか・・・。
 

 

 
★猫丸しりいず第164回
 
◎マンチネッリ:歌劇「クレオパトラ」序曲
 ブラック:「コスチューム・コメディ」への序曲
 ロッシーニ:歌劇「泥棒かささぎ」「絹の梯子」「ブルスキーノ氏」序曲 他
 
 ピエロ・ガンバ指揮 ロンドン交響楽団
(豪DECCA ELOQUENCE 4803899 2枚組 ※「ロマンティック序曲集 2」)
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「ピアノの神童」「ヴァイオリンの神童」は良く聞くが、「指揮の神童」ってあまり聞かない。
 
考えてみれば自分の楽器で演奏出来る器楽奏者と違って、指揮者は自分一人で指揮棒振り回していたって何の音楽も奏でる事は出来ない。指揮者が自分の音楽を表現するにはオーケストラという媒体が必要である。
 
しかし、メンデルスゾーンのような大富豪の息子でもなければ自分のオーケストラを持てる筈も無く、余程のチャンスやコネクションが無いと、実際にオケを指揮して自分の「神童」ぶりをアピールする事も出来ない。「指揮の神童」は中々ハードルが高い。
 
そんなキビシイ環境にも関わらず、「指揮の神童」は矢張り存在した。10歳前後でアメリカのメジャー・オケの数々を指揮したマゼールを筆頭に、何と7歳!で「悲愴交響曲」を振ったというフィストゥラーリ等々・・。そして今回の主役、ピエロ(ピエリーノ)・ガンバもその一人である。このガンバという指揮者、私は以前からカッチェンとの共演盤でお馴染みの人だったのだが、彼の録音がDECCAを中心に1950年代半ばから1960年代半ばに集中している事から、最初私は彼の事をカラヤン当たりの世代の人と勝手に思い込んでいたのである。
 
が、ある時真相を知ってビックリ。彼は何と1936年の生まれ。つまりメータやデュトワと同い年なのである。と言う事は・・・。彼の名盤として知られるロッシーニの序曲集は1955年の録音。つまり彼は「未成年」でメジャーレーベルから商業録音を出した・・という破格な人だったわけなのだ。20歳代後半でベルリン・フィルを振って数々の名録音を残したマゼールも充分怪物ではあるが、サスガに10代というのは「反則」級だ。そして彼はレコーディング・アーティストとしての経歴が30歳代に入るとパッタリ途切れてしまう・・・という他に類例を見かけない特異な存在で、CD時代に入るとその音源を入手する事が極めて難しくなり、すっかり忘却されてしまった。
 
ところが最近、マニア狂喜乱舞の音盤を次々繰り出す豪ELOQUENCEからガンバのDECCA録音がまとめて出たのには度肝を抜かれた。しかも有名なロッシーニのみならず、マンチネッリやスタンリー・ブラックの珍曲まで網羅した大満足の内容である。ライナーに載っているオリジナルLPのジャケ写を見ると、そこには「青年」というより「少年」という形容がピッタリのガンバの指揮姿が・・。それを見ると「オイオイ、こんな坊や(失礼)がツワモノ揃いのロンドン響を相手にちゃんとした演奏出来るんかい」と不安を掻き立てられる程なのであるが、実際に聴いてみるとそれは驚きに変わる。
 
「ウィリアム・テル序曲」一つをとってみても、熟達の指揮者でさえ容易いとは言いがたいこの難曲を何と生き生き演奏している事だろう、と感心させられるのだが、2枚分全て聴き通すと、この演奏が20歳前後の若者の指揮によるものとは到底思えない。こんな凄い才能を持った人が30歳過ぎてから表舞台からパッタリ消えてしまったのは本当に摩訶不思議。
それにしても、この貴重な音源を復活させてくれた豪ELOQUENCEには毎度の事ながらアタマが下がる。今度はDECCAの「フェイズ4」のシリーズで1970年前後に色々と録音を遺したが、今日全くと言って良いほど音源が入手出来なくなってしまった黒人指揮者、ヘンリー・ルイスの録音を是非是非まとめて復活させてほしい・・と個人的に熱望している。
 
ところで、ベテランのクラシック・ファンの方からは「オイ、神童指揮者と言えば他にもいるじゃないか。フランス人のアノ指揮者は一体どうしたんだ!」と突っ込みが入りそうだが、ご心配?なく、次回はその「もう1人の神童」が指揮した盤をご紹介!!

 

★猫丸しりいず第163回
 
◎ハイドン:弦楽四重奏曲第77番「皇帝」
 
 アルバン・ベルク四重奏団
(国内TELDEC WPCS21061)
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「皇帝」とは一体何者か?
 
わかったようでわからない謎の存在、それが「皇帝」。
とりあえず「最高権力者」である事らしいのはわかるのだが、「由緒正しいお家柄の高貴な御方」であるのかと言えば、必ずしもそうではない。ブッ壊れた独裁者が「俺は明日から皇帝だ!」と宣言してしまえば、それで「皇帝」一丁上がりとなってしまうのがオソロシイところ。
 
この手の「皇帝」と言えば何たってあのナポレオンだろう。「皇帝即位」がベートーヴェンを激怒させ、あの「英雄交響曲」のナポレオンへの献呈をやめてしまった・・というお話でも有名である。ところがこんなナポレオン級のムチャクチャな「皇帝」がほんの35年前に存在していた事をご存じだろうか。その男の名はジャン=ベデル・ボカサ(1921~1996)。
 
1970年代、アフリカの独裁者として悪名を轟かせていたのがウガンダのアミン大統領だが、彼に比肩し得る大奇人にして独裁者として知られたのが、中央アフリカ共和国の大統領だったこの男である(何と1970年の大阪万博の行事のために来日した事もあるらしい)。クーデターで実権を握り、「終身大統領」を勝手に宣言するがそれだけでは足りず、突如「俺は皇帝ボカサ1世だ!」と宣言して勝手に皇帝に「即位」。
その翌年1977年にはナポレオンを模した・・とも言われたド派手、豪華絢爛な「戴冠式」を行ない、その様子は世界中にテレビで放映された。当時中学生だった私もこのニュース映像を見た事を鮮明に覚えているが、「何だ、このオヤジは」と呆れ返った事をよ~く覚えている。
 
国家予算の2倍!にも当たる金額を浪費したこの「戴冠式」は、当然ながら世界中から嘲笑を浴びる事になったが、貧困と独裁に苦しむ国民にしてみれば全く笑い事では無い。
結局わずか3年足らずで「帝国」は崩壊。ボカサはフランスへ亡命・・という結末に。独裁者は権力欲に捕らわれた挙句に実にみっともない末路を辿る・・という事をわかりやすく示してくれたボカサ皇帝ではあるが、21世紀の今でさえ、時代錯誤の独裁者が世界には存在し続けているのは全く遺憾。ウ~ン、それにしても「皇帝」って一体何者・・・
 
そんな「皇帝」がらみの名作と言えばベートーヴェンやヨハン・シュトラウスの作品もあるけれど、私にとってまずこれ!と言えるのがハイドンの作品。
ハイドンが渡英した際に耳にした英国国歌に感銘を受け、オーストリアにもこんな国歌が欲しい!と思い立って作曲したのが「皇帝讃歌」。この旋律を第2楽章に用いた事で、「皇帝」という愛称が付いたのは皆様ご承知の通り。この曲、現在でもドイツの国歌として「現役」であるが、数ある国歌の中でも「荘厳系国歌の最高峰」と私が信ずる名曲である。そう言えばこの「猫丸」のごく初期に「国歌」をテーマにした際にもこの事には触れているので、ご興味のある方はこちらを・・ http://blog-shinjuku-classic.diskunion.net/Category/17/14/
それにしてもこの作品、凛々しいフォルム、完璧な造形、にもかかわらず堅苦しさが無く、聴いていてウキウキする楽しさ・・と、まさにド天才ハイドン大先生にしか出来ない凄い名曲。100曲以上の交響曲を遺し、「交響曲の父」と言われた上、更に70曲近い弦楽四重奏曲の名作まで書いてしまうとは・・・。ハイドンさん、アンタ本当に「超人」ですよ。
名盤も山ほどある「皇帝」だが、アルバン・ベルク四重奏団の初期(1974年)の録音が私の愛聴盤。廉価な上、モーツァルトの「狩」とのカップリングという入門者にも好適な1枚!。
 

 

★猫丸しりいず第162回
 
◎エナ:歌劇「マッチ売りの少女」
 
 トマス・ダウスゴー指揮 デンマーク国立交響楽団、合唱団 他
(デンマークDACAPO 8226048)
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自分が子供の頃親しんだ童話の「御三家」と言えば、それはグリム、イソップ、アンデルセン。
 
ひねくれ者の子供だった自分は、結構ブラックでパンチの利いた話が多く、それでいながら物事の本質をズバッと突いて来るイソップが一番好きだったのだが、「お話としての完成度の高さ」という点では何といってもアンデルセン・・・と感じていた。
 
「醜いアヒルの子」の最後のドンデン返し、「裸の王様」や「人魚姫」の人間の深層心理にまで切り込んだ奥深さ、ちょっとシュールでニヤリとするが、何だか温かい気持ちが残る「五つのエンドウ豆」等々・・。「お話」として面白いというだけでなく、大人になり様々な人生経験を積んでから再度接すると、また違った味わいがあるのがアンデルセンの童話。
 
しかし、意外にも彼の童話を素材にした有名なクラシック音楽作品は実に少ない。一番有名なのはツェムリンスキーの「人魚姫」だろうが、この曲も広く知られるようになったのはせいぜいここ30年位の事。そこで今回はアンデルセン童話の中でも最もポピュラーな「マッチ売りの少女」を素材とした知られざる名作をご紹介。
 
このお話をネタとした作品と言えば、現代音楽の鬼才ラッヘンマンの怪作は結構知られているが、アンデルセンと同じデンマークの作曲家アウグスト・エナ[1859-1939]の作品(ごく普通の?オペラ)をご存じの方はかなりの北欧音楽マニアであろう。序曲を含めても約35分という小規模な作品である。この「猫丸」で随分前(第49回)でとり上げた、デンマーク王立管のBOXセットの中に入っていたこのオペラの序曲を聴いて一発で気に入ってしまった私。全曲版があると知っては聴かない訳にはいかない。この曲、一言で言えば、フンパーディンクの「ヘンゼルとグレーテル」の北欧版・・・という雰囲気の作品である。フンパーディンクと同様、ワーグナーの影響を受けた作曲家だそうでオーケストラの扱い方等が似ている事がそんな印象をもたらすのであろう。
 
ご存じの通り、「マッチ売りの少女」は救いの無い悲しい結末のお話。にも関わらず、このオペラには「人間疎外」的な殺伐とした暗さはまるで無く、全曲に亘ってホンノリとした温かさがある。その温かさが、かえってこの話の悲しさを際立たせているようにも思うのだが。少女が持っていたマッチ全てに火をつけ、光に包まれながら天国に昇っていってしまう最後の場面、この部分の音楽の美しさ、暖かさは特筆もの。最後に序曲の美しいメロディが戻ってきて、「少女に神の祝福を。ハレルヤ!」という合唱で閉じられるエンディングには思わず胸がジーンとしてしまう。
 
この「隠れ名作」、「秘曲」と形容したいところなのだが、実は日本でも上演されているのだそうだ。だから「忘れ去られた」作品という形容は当たらないのであろうが、「知られざる」名作であるのは事実。北欧音楽ファンの方以外にも広くお薦めしたい心温まる名作である。今回ご紹介の一枚は、現代のデンマークを代表する演奏家たちによるもので、カップリングは前述のツェムリンスキーの「人魚姫」という「アンデルセン&デンマーク尽くし」の盤。
 
皆が余裕を失い、他者への思いやりなど忘れてしまったかのような尖った空気に包まれている昨今の日本。この隠れ名曲を聴いて、「人間らしい心」を取り戻しては如何?
 

 

★猫丸しりいず第161回
 
◎メシアン:歌劇「アッシジの聖フランチェスコ」
 
 ケント・ナガノ指揮 ハレ管弦楽団 ジョセ・ヴァン・ダム(Br)他
(独DG 4451762 4枚組)
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 新しいローマ教皇が選出された・・というニュースが先日世界を駆け巡った。
 
私が物心ついた頃のローマ教皇はパウロ6世。続くヨハネ・パウロ1世はわずか在位1カ月で急死(そのあまりに唐突で不自然な死から、未だに「謀殺説」が消えない。キリル・コンドラシンみたいだが・・)。その後、ヨハネ・パウロ2世、ベネディクト16世と続いて、今回南米(アルゼンチン)から初めて選ばれた新教皇は、私の生まれてから5人目という事になる。
 
新しいローマ教皇が決まる時に私がいつも関心があるのは、「どの国の出身者が選ばれるか?」「新教皇がどんな名前を名乗るのか?」の2点である。今回、新教皇は初めて南米アルゼンチンから選ばれた。この点は「次の教皇はカトリック人口の多い南米から選ばれるのでは」という下馬評もあったので、自分にとってそれ程驚く出来事では無かったのだが、驚いたのは「名前」である。新教皇の名は「フランシスコ」。キリスト教信者以外にも広く知られている聖人の名を名乗った教皇がこれまでいなかった・・というのは全く意外であった。
 
新教皇は枢機卿時代から貧困問題に熱心に取り組んできた人だそうで、
「教皇になっても貧しい人々の事を忘れないように」という気持ちを込め、清貧で知られる「アッシジの聖フランチェスコ」にちなんだ名を名乗る事にしたのだそうだ。米国のサンフランシスコという都市名のルーツともなっているこの聖人。裕福な商人の子として生まれ、若い頃は放蕩三昧の生活を送っていたが、20歳代半ばに禁欲的、宗教的な生活に目覚め、ハンセン病の患者たちを助け、父親と衝突して勘当された後はボロをまとって質素な生活を送りながら貧しい人々に生涯手を差し伸べた・・という人。
この聖人を素材としたクラシック音楽作品は、リストやプーランクにもあるが、何と言っても代表選手はメシアンの超大作オペラ。
 
1983年に小澤征爾の指揮でパリで初演された時は大変な話題となったこの作品、上演に4時間以上かかる超大作である。敬虔なカトリック教徒であり、鳥ヲタク(鳥類学者!)であったメシアンにとって、小鳥に説法するカトリックの聖人はうってつけの題材と言える。作品はまさにメシアンの「集大成」と呼ぶにふさわしい内容で、彼の作品に親しんでいる方なら、「メシアン節」と言う感じの音楽があちこちで聴かれる事に気付かれるだろう。ただ、とにかく長いので気軽に聴ける作品では無いし、上演コストもかなりのものと思われ、全曲を録音、商品化するレーベルは現れないのでは・・と私は思っていた。だからこのナガノ盤が登場した時は大いに驚かされたが、充実した演奏といい、この上ない快挙と言える。この手の盤は安定供給されないのが常なので、入手出来る時にゲットするのが鉄則!
 
権謀術数渦巻く?ヴァチカンの世界の中に新教皇が清新な風を吹き込めるか? しばらくはフランシスコ教皇の動向から目が離せない。

 

 
★猫丸しりいず第160回
 
◎ビゼー:劇音楽「アルルの女」(原典版/抜粋)
 
 クリストファー・ホグウッド指揮 バーゼル室内管弦楽団
(国内ARTENOVA BVCE38081)
 
◎ビゼー:「アルルの女」第1組曲・第2組曲、序曲「祖国」他
 
 ジョルジュ・プレートル指揮 バンベルク交響楽団
(国内RCA SICC1370~1)
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「校内放送で流れていた音楽」は妙に記憶に残るもの。
 
私が40年前に通っていた西戸山小学校では、登校時間に「ペールギュントの朝」が流れていた。これなんかは実に「ありがち」な選曲と言えるが、昼の給食の時間に流れていたのが、なぜか「アルルの女のメヌエット」。お陰で今でも私はこのフルートのメロディを聴くと、給食当番が割烹着を来ておかずを配っていた給食の時の情景が脳裏に甦るほどである。
 
 その後クラシックを本格的に聴き始めて、この曲が「カルメン」と同じ作曲家の「アルルの女」という曲である事を知るのだが、更にその後、この「メヌエット」が実はもともとは「アルルの女」とは別の作品であるという事実を知った時は「エッ!」と驚かざるを得なかった。
 
もともと劇音楽として書かれた曲を作曲者自身が手直ししたのが「第1組曲」、作曲者の死後、友人の作曲家ギローがまとめたのが「第2組曲」だが、有名な「メヌエット」はギローがビゼーの歌劇「美しいパースの娘」から転用したもの・・という経緯はクラシック好きの諸兄なら先刻ご承知の事と思う。この事を地下のビゼーがどう思っているかはわからないが、私はこの転用は大ヒットだ!と思っている。「ファランドール」の前という配置も絶妙で、この名作を埋没させる事無く世の中に出してくれた功績は、「禿山の一夜」に於けるリムスキー=コルサコフの仕事に比肩し得る偉業とさえ思う。
 
「組曲」に関しては無数にある「アルルの女」の録音だが、もともとの「劇音楽ヴァージョン」の音源は非常に少ない。フル・オーケストラによる「組曲」と異なり、劇場内という限られたスペースで演奏するために、オリジナル版は30名程の楽団とピアノ・・という小ぢんまりとした編成である。聴いてみるとこれが非常にスリムですっきりとした響きで、組曲の代表的名演として知られる「俺たちゃ毎日バター喰ってるぜ!」と言わんばかりのコッテリ型名盤クリュイタンスとは全く異なる良い味を出しているのだ。また、聴きなれた組曲に比べ、あまり音楽が出しゃばってはイケナイ劇音楽の制約ゆえか、オリジナルの曲は結構断片的。この素材を用いて演奏会用の組曲に直す際にビゼーやギローが音楽の構成の面でも様々な工夫をしている事が分かるのも興味深い。尚、このホグウッド盤は抜粋版。合唱も入ったオリジナル全曲版はプラッソン盤(EMI)がある。
 
無数にある「組曲」の音盤の中で、「隠れ名盤」としておススメなのがプレートル盤。高校生の時にプーランクの作品やサンサーンスの交響曲第3番(EMIへの旧録音)のレコードを聴いて以来、敬愛しているこの指揮者。最近の急激な再評価には「遅いよ!」と叫びたくなる位だが、とにかくこの人、どんな楽団を振っても躍動感溢れる「プレートルの音楽」になってしまうのが凄い。しかも一見ただの「爆演おやじ」かと思わせておいて、実は非常に計算され、コントロールされ、しかも熱狂的な演奏をやってのけるという凄腕の持ち主でもある。
 
この録音、中でも第2組曲の「メヌエット」「ファランドール」が圧倒的に素晴らしい。バンベルク響の暖かい響きを最高に生かした「メヌエット」、絶妙な強弱のコントラストを付けながら猛烈なエンディングにもっていく「ファランドール」には、改めてこの名指揮者の底力を見せつけられる。「演奏」が「曲」を上回ってしまった・・とさえ感じられる「祖国」をはじめ、他の曲目もプレートルの歯切れ良い指揮と、オケの「木造」という感じの古雅な響きの組み合わせが絶妙な名演揃いで、ビゼーの世界を堪能出来る。「隠れ」にしておくのが全く惜しいおススメ盤!!
 

 

 
★猫丸しりいず第159回
 
◎チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番
 ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲
 フランク:交響的変奏曲
 
 モニク・ドゥ・ラ・ブリュショルリ(P)
 ルドルフ・モラルト指揮 ウィーン交響楽団
 ヨネル・ペルレア指揮 コンセール・コロンヌ管弦楽団(ラフマニノフ&フランク)
(国内コロムビア/VOX COCQ84712)
 
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 これまで様々なクラシック音楽のコンサートに行って、シミジミと感じた事。それは「ピアニストって重労働」。
 
 私自身はピアノを弾けないので、実際に「ピアノの演奏」という行為がどの位の運動量なのかを実感として理解している訳では無いし、もちろん他の楽器の奏者と比べてどうこう・・・と論ずる事も出来ないのだが、演奏している姿を間近に見れば、ピアニストが大曲1曲弾くのに相当なエネルギーを要している事は感じられる。だから例えば、「ブラームスのピアノ協奏曲2曲を一晩のコンサートで弾く」なんて事が如何に無謀な事か、そしてそれを成し遂げてしまう奏者が恐らく本当に強靭な体力の持ち主であるであろう・・と言う事は何となく想像はつく。その奏者が女性であれば、尚更印象は強烈だ。
 
 アルゲリッチ、ユジャ・ワン等々、「剛腕型」と呼びたい女性ピアニストは居るが、今回は「元祖剛腕女流」と呼びたい素晴らしいピアニストがテーマ。その人の名はモニク・ドゥ・ラ・ブルショルリ(1915-1972)。パリに生まれ、コルトーやザウアーに師事し、1940~50年代にかけて大活躍したが、不幸にも演奏旅行先のルーマニアで交通事故に遭遇して左腕を痛めて演奏家としてのキャリアを絶たれ、56歳という若さでひっそりと亡くなってしまった人である。
 
「全盛期の録音がモノラル録音期にあたったため、今日の評価で非常に損をしている演奏家」として、当「猫丸」ではロジンスキーやネルソヴァを既にとり上げたが、このブルショルリもその一人で、録音自体があまり多くなかった事もあり、レコード時代からのオールド・ファンと、ステレオ時代のリスナーとで知名度、人気に大きな差異がある。事実、私もこのピアニストの存在を知ったのはそんな昔の事では無い。
 
しかし、その出会いはあまりに鮮烈だった。それが今回ご紹介のチャイコフスキーの協奏曲。1952年頃の録音である故、音の古さは否めないが、聴き始めるとたちまち引き込まれ、音質の事などすぐにどうでも良くなってしまう(日本のリスナーは「ステレオか否か」という点にあまりにこだわり過ぎている人が多く、モノラル録音というだけで門前払いをしてしまい、結果優れた演奏に接する機会を自ら放棄してしまっているケースが多いのは非常に残念だ)。
 
この曲はブルショルリの十八番だったらしいが、とにかく強靭でダイナミック。しかもガンガン弾いても音が汚らしくなったり、雑な印象を与えたり・・という事が無く、実にしなやかで品格が高いのである。「こんなピアニストがいたのか!」と驚かされたこの1枚、共演のモラルト指揮ウィーン響の演奏がまた素晴らしい。ソリストの豪演に触発されたか「負けてられるか!」とばかりに豪快な演奏をやってくれる。モラルト(1902~1958)はリヒャルト・シュトラウスの甥っ子として知られるドイツの指揮者。主にオペラ指揮者として活躍し、ドイツ系のオペラの録音も結構遺している。が、この人もこれから円熟という齢で惜しくも逝ってしまったため、今日ほとんど忘れ去られた存在になってしまった。ヨッフム、クリップスと同い年であるだけに、彼らのように長生きしてくれればきっとシブい名匠になっていたと想像される。
そういう意味でもこれは貴重な音源だ。オリジナルLPのデザインを生かしたジャケットも最高だ。昔のレコードジャケットって、どうしてこう「粋(いき)」なんだろうか。
 
個性派の揃った1950年代の録音は、まさに「宝の山」。くどいようだが、「モノラルだから」という理由だけでこれらを聴かずに終わるのはもったいなさすぎる話。さあ貴殿も名演、凄演、怪演の花園、1950年代の世界へいらっしゃい・・・・