猫丸しりいずのカテゴリー記事一覧

★猫丸しりいず第233回
◎バッハ:トッカータとフーガニ短調
◎ドビュッシー:前奏曲集第1集~沈める寺 他(ストコフスキー編)
ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮 フィラデルフィア管弦楽団
(国内EMI TOCE13368 「ストコフスキー・トランスクリプションズ」)
ストコフスキーは凄い。
前回も述べた通り「名指揮者」と呼ばれる人は無条件に凄い存在と思うが、
それに加えて90歳以上の超高齢になっても「巨匠」の地位に安住せず、
常にチャレンジし、行動し続けた彼は本当に偉大である。彼は94歳の時に
CBSコロンビアと6年間の専属契約を結んで、最後の録音となったビゼーの
交響曲等の名盤を遺した。この契約が満了したら、彼は100歳の現役巨匠
という驚異の存在になっていたわけだが、それが実現しなかったのは残念だ。


そんな凄い人なのに、ちっとも尊敬されない可哀想な男。ストコフスキー。
事実、私の周辺でも彼を崇拝する人や、彼の大ファンという人にはたまにしか
お目にかからない。「孤高の巨匠」的な演奏家を愛し、「クラシック音楽は
至高の芸術」と確信する愛好家の多い日本のクラシック音楽界で、彼の人気が
サッパリ盛り上がらないのは、まあ仕方が無い事かもしれない。


ストコフスキーの「名物」と言えるのが、バッハを筆頭とした「オーケストラ編曲
モノ」。これがまた保守的なクラシック・ファンには「ケバイ」と実に評判が悪い。
実際のところ、彼がチェコ・フィルを振ったバッハ作品集を最初に聴いた時には、
PHASE4の大げさな音響効果も相まって、さすがに私も「イヤ~ ケバイ」と
苦笑してしまった。しかしこのストコ版バッハの代表曲「トッカータとフーガ」を
生演奏で聴いた時(確かデュトワ指揮NHK響だったと思う)、私は驚嘆した。
これは決して「ゲテモノ」などでは無い。真の名作だ、と感嘆した。


何に驚嘆したのかをコトバで表現するのは中々ムズカシイのだが、一言で
言ってしまえば「ストコフスキーは何とオーケストラの能力を知り尽くした男
なのだろうか」という事である。バッハのオルガン曲をオーケストラにやらせて
しまうという試みそのものも含めて、彼にはどうも「荒唐無稽」的なイメージが
染み着いてしまっているのだが、実演で聴いてみるとこれが実に合理的な
アレンジ。聴き終わって思わずウ~ンと唸ってしまった。これは誰にでも出来る
仕事では無い。「ストコフスキーは真の大指揮者だ」と私に確信させる貴重な
体験だった。ちなみにこのバッハの編曲モノは、もともとは「練習用」にアレンジ
されたものだったのだと言う。これを聴いた人が「これを演奏会でやらないのは
もったいない」と実演を勧め、ステージにかけてみたら大評判。レコード録音したら
これまた大ヒット・・・という経緯で世に出たモノなのだそうだ。


ストコ先生の「編曲モノ」は、彼のオーバーアクション気味の演奏と、デフォルメ
された録音のせいでかえって「誤解」されているのかも知れない。そこでおススメ
なのが、ストコゆかりのフィラデルフィア管によって録音されたこのアルバムである。
何と言っても面白いのが、指揮者としてのポジショニングがストコ先生とは対極
とも思えるサヴァリッシュが指揮している点。このアルバム(1995年録音)の
初出時、かなり評価は割れたように記憶している。「演奏があまりに生真面目で
ストコ的な絢爛さが無い」という声も少なくなかった。確かにサヴァリッシュ博士、
普段と変わらぬ真面目一徹の演奏ぶりである。しかしその点を私は逆に買いたい。
前述の私自身の体験同様、「ストコ的臭み」がスッキリ抜けた結果、かえって
「ストコ編曲モノの真の凄さ」がストレートに伝わって来るのである。
一連のバッハも素晴らしいし、「沈める寺」は圧巻と言って良い凄演。
サヴァリッシュさん、N響でもこれらの曲をやってくれれば良かったのに・・ 惜しい。
ともあれ「ストコフスキーは低俗」という偏見を打ち破る力を持った1枚である。


最後にもう一回。ストコフスキーは凄い。
★猫丸しりいず第232回
◎チャイコフスキー:交響曲第5番
スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮 NHK交響楽団
(ALTUS ALT028)
クラシック音楽愛好者(特に男)で、指揮者に憧れた事の無い人は多分いない
のでは無いだろうか。

でも私は忠告したい。その「憧れ」は憧れにとどめておいた方が良い。
せいぜい「初夢」どまりにしておくべきであろう。
神様に選ばれた才能溢れる人以外は・・・・・。

もう30年近くも前だが、実は私はオーケストラを指揮した経験がある。
無論プロ相手ではない。自分の出身高校のオケである。音楽関係の学校でも
名門でもない、普通の都立高校の素人オケが外部から指揮者を呼べる筈も
なく、年一回の定期演奏会の指揮者はOBが務める事が伝統(笑)となっていた
我が高校オケ。ある年の演奏会の指揮者を、何と私が引き受ける事になって
しまったのだ。指揮法はもちろん、専門的な音楽教育など受けた事のない私が。
しかも曲目は「チャイコフスキーの交響曲第5番」という、ド素人オケには無謀と
思える代物。「まあ、この曲は熟知しているし大丈夫、何とかなるだろう」と
あ まり深く考えずに引き受けてしまった私だったが、練習が始まってすぐに
「これはエライ事を引き受けてしまった」と大後悔した。

メンバーの技量がバラバラの素人集団に、チャイコフスキーの曲をそれらしく
演奏させる・・という事自体が困難を極めた上に、そういう集団を率いて
「自分のイメージ通りの演奏」をさせる・・などという事は、猫に芸を仕込む位に
ムズカシイ事であった。私はすぐに悟った。指揮者には、音楽一般や指揮する
楽曲に関する知識以上に、自分の目指しているものを明確に相手に伝えられる
能力と、そして何より楽団のメンバーを従わせる人徳と、強力なリーダーシップが
不可欠であると。私にはそれらの能力のいずれもが決定的に欠如していたので、
果たして半年後の本番までに、「他人様に聴かせられる状態ま で 持って行けるのか」
と眠れぬ日が続いた。大変なプレッシャーだった。

結果的には慈悲深い(笑)楽員たちの協力にも救われ、演奏会は無事終了出来た。
聴きに来た友人から「ちゃんとチャイコフスキーの音楽になっていたよ」と言われた時
には、思わず落涙しそうになった。この経験は、その後社会に出て組織の中で
働く事になった時に役立ったのは事実だが、正直言ってたとえ報奨100万円積まれようが
私はもう一回指揮者をしたいとは思わない。

この経験の後、私はプロの、それも一流と目される指揮者がどんなに凄い人たちか、
という事を痛感するようになった。まるで自分の楽器を弾くように完璧無比な名演を
してしまうジョージ・セルなんかはもう「人間業」とは思えない。
私は若い頃NHK交響楽団の演奏会に頻繁に通い、多くの指揮者たちのステージに
接していたが、中には見違えるような鮮烈な演奏をオーケストラから引き出す指揮者も
いて、「ああ、これこそが名指揮者なのか」と驚嘆させられた経験が何度かある。
そんな経験の筆頭にあげられるのが、1996年のスクロヴァチェフスキの客演である。

この巨匠がN響に客演する事を知った時、私は思わず「オ~ッ」と声を出しそうに
なってしまった。とは言え、今でこそ押しも押されぬメジャー巨匠扱いの彼も当時は
全くマイナーな存在で、私のようにコーフンした人はわずかだっただろう。私は
マーキュリーやVOXの録音を通して、この「ミスターS」の凄さに心酔していたので、
彼のナマのステージに接する事が出来るというのはまさに夢のようであった。
しかも、他でもない「チャイコフスキーの5番」がプログラムに含まれているではないか。

聴きに行った。打ちのめされた。ダメな指揮者相手だと「お仕事消化」的な演奏を
聴かせる事も多いN響が、見違えるような引き締まった演奏ぶり。「ミスターS」の
指揮者としての才能を最初に高く評価したのは、かのジョージ・セルだそうだが、
「ミスターS」の透徹した演奏には「今様セル」とでも呼びたい、人間離れした境地が
感じられた。澄み切っていながらホット。圧倒的な演奏だった。今回ご紹介のALTUS盤
は、まさにその時の演奏を収録したもの。あれから20年近くも経ってしまったが、未だ
印象と感銘は鮮烈に残っている。「指揮者は究極のプロの仕事」。私はあの時、
まさにそう実感した。

人生に深く刻み込まれる音楽体験。そんな体験がクラシック好きの皆様に今年一つでも
多くありますように。本年もよろしくお願いします。
★猫丸しりいず第231回
◎R・シュトラウス:交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」
 ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」
 
ヘンリー・ルイス指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
◎ローザ:映画「ベン・ハー」の音楽
 
ミクロス・ローザ指揮 ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団 他
(独DECCA 4786769 「PHASE4ステレオBOX」41枚組)
当「猫丸」も2014年最後の回を迎えた。

振り返るに、今年も相変わらず過去の録音を集大成したボックスものが
怒濤の勢いで出続けたクラシック音楽ソフト業界であったが、それらの多くは
過去に容易に入手出来た音源をセット化しただけに思えて、私はほとんど関心を
持てなかった。

そんな中で「これは何としても入手せねば!」と久々にエキサイトさせられた逸品が
DECCAの「PHASE4」音源を集めたボックスである。今年は「PHASE4」のクラシック・
アルバムが発売されて50年目、という事で、それを記念して発売された代物らしい。
そもそも「PHASE4」とは「20チャンネルのマルチ・マイク・システムで収録した音を、
特別なミキサーを通してアンペックスの4トラック・レコーダーで録音、2チャンネルの
ステレオにミックスダウンした」モノだそうで、米国DECCAで開発され、元々は
ポピュラー音楽の録音に用いられたが、これに目をつけたのが我らがストコフスキー
大先生。彼の全面的なバックアップもあって、クラシック音楽の録音にも採用され、
それから10年以上に亘ってLPにして約200点!にものぼるアルバムが制作された
のだと言う。

この「PHASE4」、後期の1970年代半ばのものはかなりナチュラルな音づくりになって
いるが、初期の1960年代の録音は、ストコフスキーの「シェエラザード」や「バッハ
作品集」あたりに象徴されるメチャクチャにケバイ響き。音割れもなんのそのの
飽和感タップリの音響や、ホルンや低弦の笑ってしまうような強調等々、とにかく
好き嫌いがハッキリ分かれる超個性的な録音である。今回出たBOXは、ストコフスキー
の名盤の数々やミュンシュやドラティ等、これまでにも多く出回った音源も含まれて
いるが、フィストゥラーリの「白鳥の湖」(1973年のステレオ唯一の全曲録音)や
スタンリー・ブラックの一連のアルバムのように再発売はもう無いだろうと諦めていた
音源や、「まさかこれが出るとは・・・」とマニアが狂喜乱舞しそうな珍音源も少なからず
含まれているのが嬉しいポイント。

その「まさか」の筆頭なのが、アメリカの指揮者ヘンリー・ルイス(1932~1996)の音源で
ある。以前に当「猫丸」でピエリーノ・ガンバをとり上げた際、豪ELOQUENCEレーベル
からルイスの録音がリイシューされないだろうか・・と願望を記したのだが
まさか本家のDECCAから登場するとは正直想像もしていなかった。
しかも標記の2曲の他、「悲愴交響曲」や、奥さんのマリリン・ホーンと共演した「カルメン」
の抜粋など、CDでの入手は二度と不可能と思っていたレア音源の山。個人的には
「ツァラトゥストラ」も入れてほしかったが、それは贅沢すぎる希望であろう。
この指揮者、世界的に活躍する黒人指揮者のパイオニアと言える人だが、PHASE4
マニア以外でその名をご存じの方はほとんどいらっしゃらないだろう。実際、彼の演奏には
詰めの甘さも目立ち、B級なテイストが漂うのは否定できないので、まあ一般的には
忘れられても仕方ないのかなとは思うが、この「田園」は中々心地良い名演だし、
何よりPHASE4好きには懐かしいこの指揮者の録音をこれだけ復活させてくれたのには、
感謝する他無い。

もう1点は作曲者自らが指揮した「ベン・ハー」の音楽。これは1976年というPHASE4末期の
録音で、かなりナチュラルな音づくりとなっている。個人的にはこういう壮大な曲には
もっと「山っ気」炸裂のサウンドでも良かったんじゃ・・・とも思うのだけど、とにかく音楽が
素晴らしいし、ナショナル・フィルも毎度ながらノリの良い吹っ切れた演奏を聴かせる。
大音量で聴きたい痛快無比の傑作である。

この41枚組BOXには、他にもフィードラーとボストン・ポップスの名演の数々や、エリック・
ロジャースとロイヤル・フィルの「ケテルビー作品集」、そして大昔?に「猫丸」でもネタにした
ロバート・メリルの「アメリカーナ」等の名盤も含まれていて、まずは文句のつけようの無い
内容ではある。しかし、これが入らなかったのは残念至極・・と思える音源がPHASE4には
まだまだ残されている。フィストゥラーリ&ロイヤル・フィルによるチャイコフスキーの
「交響曲第4番」を筆頭に、ウェルナー・ミュラーのリロイ・アンダーソン作品集や、
ストコフスキーの「法悦の詩」「火の鳥」「運命&未完成」、ラインスドルフ「春の祭典」、
怪人カルロス・パイタの一連の爆演、バーナード・ハーマン「惑星」等、挙げ始めるとキリが
無い。DECCAさん、是非第2弾のPHASE4BOXをお願いします・・・。ただ、このBOXに熱狂
したのは一部マニアのみのように思えるし、無理かな・・・。

何となく「先行き不透明」感が拭えないままに終わってしまいそうな2014年。
来たる2015年こそは「明るい展望」が見えて欲しい・・・。
皆様、今年も1年間のご愛顧、誠にありがとうございました。
来年も吉祥寺クラシック館と、「猫丸しりいず」をよろしくお願いいたします!
★猫丸しりいず第230回
◎クラミ:カレワラ組曲、海の情景、スオメンリンナ序曲 他
ヨルマ・パヌラ指揮 トゥルク・フィルハーモニー管弦楽団
(NAXOS 8553757)
久々の北欧隠れ名曲探訪編。今回登場はフィンランドのウーノ・クラミ
(1900~1961)。

日本のリスナーにとってはフィンランド=シベリウスと言って良い位の状況で
絶大な人気を保つシベリウスとは裏腹に、その他の個性的な作曲家たちが
一部の北欧音楽マニア以外にあまりに知られていないのは、誠に惜しい。
この国の作曲家は既に当「猫丸」で、1887年生まれのマデトヤをネタにして
彼より少し後輩のクラミの作品は、マデトヤのそれと同様晦渋さは全然無く、
予備知識ナシでも充分に楽しめる。

混濁しない見通しの良い澄んだ響きは、他の多くのフィンランドの作曲家にも
通じる印象がある。しかし、クールでモノトーンという感じのシベリウスの後期
作品等と比べ、クラミの作品は澄んだ響きを保ちながらも中々カラフルでホット
なのだ。そう、「茹でたシベリウス」という趣きなのである。シベリウスの音楽を
茹でて、湯気が立っているうちに鮮やかに彩色しました・・・という感じ。

クラミは若い頃フランスに渡って、フローラン・シュミットやラヴェルに教えを受けた
らしいが、確かに彼らやストラヴィンスキー、ファリャなどの影響が感じられる。
彼の作品は、フィンランドの民族叙事詩「カレワラ」を素材としたものが多いが、
彼は先輩のシベリウスとは違った切り口で「カレワラ」の世界を描いている。
「カレワラ組曲」は鮮やかなカラー映像が次々に現れる・・という趣きの、クラミの
面目躍如たる作品で、シベリウスのような峻厳な感じは薄いが、とにかく聴いて
面白い事この上なし。「海の情景」の終曲には、ラヴェルの「ボレロ」の引用?も
登場して、聴き手をニヤリとさせる 。ストラヴ ィンスキーやラヴェルがお好きな方
には特にご一聴をおススメしたい作曲家だ。

さて、クラミの作品のCDとして第1におススメ出来るのが、今回ご紹介の
NAXOS盤。フィンランドの古都、トゥルクのオーケストラの演奏が優れているのは
もちろんの事、何と言っても名匠ヨルマ・パヌラ(1930~)の貴重な録音という点で
誠にかけがえの無い逸品である。

名指揮者としてのみならず、名教師として偉大すぎる業績を残しているのが
パヌラ。彼の愛弟子の名前を列挙すると、サロネン、サラステ、オラモ、ヴァンスカ、
フランク・・・。要するに、世界を舞台に活躍するフィンランド出身の指揮者たちは
ほとんどが彼の門下なのである。これほどの影響力を持つ大家でありながら、
自身の音源が稀少なのが残念だが、その貴重な録音がクラミの作品集というのは
まさに願ったり叶ったりだ。おまけに廉価なNAXOS盤。とにかく「隠れ名曲」の宝庫
である北欧の音楽、まだまだご紹介のネタは尽きません・・・。
★猫丸しりいず第229回
◎ワーグナー:管弦楽曲集(「リエンツィ」序曲、「タンホイザー」序曲 他)
◎ワーグナー:交響組曲「タンホイザー」(マゼール編)
ロリン・マゼール指揮 フィルハーモニア管弦楽団&ピッツバーグ交響楽団
(国内SONY CLASSICAL SICC1725~6)
2014年も早くも師走の半ばとなってしまった。
齢をとるにつれ、歳月の流れるスピードが加速度的に速くなっているような気がするのは
全くイヤなものである。
それはともかくとして。
今年のクラシック音楽界の出来事の中で非常に印象深かったのは、アバドやマゼールと
いった1930年代生まれの指揮者たちの死である。なかんづく、マゼールの他界は私にとって一種の
「違和感」を残した事件であった。
享年84という事は、一般的な意味でも「天寿を全う」と」言えるレヴェルの大往生とも言えるのでは
あるが・・・。「違和感」の原因は何だったのだろうか。


思うに私がまだ若かった1980~90年頃は、ベーム、ヨッフム、カラヤンといった巨匠たちが
次々と世を去った時代だった。彼らは80過ぎるともう「孤高の巨匠」という風情となり、ステージに
立つだけでニュースとなった。そして、訃報を耳にすると「ああ、残念だけど来るべき時が来て
しまったのか」という感慨に耽ったものだ。ショルティのように最期まで現役バリバリという雰囲気を
放っていた人ですら、その突然の訃報に接した時は矢張り「ああ、その時がこの人にも来てしまった
んだな」という思いが胸にこみ上げてきた。


しかし。マゼールの訃報に接した時には無論「惜別」「喪失感」といった感情は沸き起こったものの、
ベームやヨッフムのそれに接した時のような「感慨」に耽る事は無かった。代わりに、「そうか、享年
84。て事はあの時のベームやヨッフムと大差ないな。ウ~ン、でも何かが違うなあ・・」という一種の
「混乱」というか「違和感」のような不思議な気持ちに捕らわれ、それは未だに払拭出来ないでいる。
マゼール、メータ、アバド、小澤、デュトワ等々の1930年代生まれの指揮者たちは、私がクラシック
初心者だった中高生の頃はまだ40歳代の若さ。その頃の彼らの仕事ぶりは、まさに「次世代を
担う若獅子」という輝きに溢れていた。そして当時はクラシック音楽産業も絶頂期と言ってよい時代で
、毎月のように彼らの新録音盤が発売され、愛好家たちの話題をさらっていた。


だが、その後の彼らは各々それなりのポストを勤め上げ、「出世」はしていったものの、40歳代の頃の
輝きは次第に薄れ、それと同時に音楽産業も衰退の一途を辿ってしまった。そんなこんなで、私は
マゼールやアバドの訃報に接しても、昔の巨匠たちのような「功成り名遂げての大往生」という感慨を
持つ事が出来ず、「何だか良くわからないうちに途中退場」みたいな何とも中途半端な気持ちしか
持てなかったのかも知れない。時代も環境も変わってしまったのか、それとも単に私がトシをとって
感受性が鈍くなったに過ぎないのか・・・。


さて、まさに膨大な録音を遺したマゼールだが、前述のように私見では彼の魅力的な録音は
1950~70年代という若い頃のものに集中していると思う。その中でどれを代表選手とするかは難題
だった。彼自身が自信作と認めたウィーン・フィルとのチャイコフスキー「マンフレッド交響曲」
(1971年・DECCA)や、歴史的名盤と言えるクリーヴランド管との「ポーギーとべス」全曲
(1975年・DECCA)との三つ巴の「決勝戦」の末、よし!これにしようと決めたのが、「ワーグナー管弦楽曲集」。
1978年の録音。標記の2曲の他、「マイスタージンガー」「オランダ人」を収録している。
手兵のクリーヴランドで無く、なぜフィルハーモニアを起用したのかはわからないが、この起用が
大成功。とにかくオケのノリが良く、痛快無比な名演揃い。聴き終わって充分な満腹感を得られる
上に決して胃もたれしないという、この頃のマゼールならではの名盤である。にも関わらず、
ずっと「日陰者」で入手困難の状態が続き、歯痒い思いをしていたが、この10月に目出度く復活
したのは嬉しい限り。しかも、「タンホイザー」のパリ版に基づきマゼールが編曲した「組曲」を
カップリングというお買い得品。爽快なワーグナーを聴きたい貴方におススメである。


結局日本では中途半端な評価しか得られなかったように思えるマゼール。しかし、彼は間違いなく
大指揮者であった。彼の録音をいろいろと改めて聴き直し、増々その感を強くしている。
ありがとうございました。マゼールさん。
★猫丸しりいず第228回


◎ヴィヴァルディ:四季


レオポルド・ストコフスキー指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
ヒュー・ビーン(Vn)
(国内DECCA UCCD7132 ※廃盤)
「最近、四季がおかしい」
そうお感じの方は結構いらっしゃるのではないだろうか。


春夏秋冬が「均等」と思われていた日本の四季。だが、このところ「春」と「秋」が
どんどん短くなって、「夏」や「冬」がやたらと長く感じられるようになって来たと
私は思う。今年もそうだが、5月になるともう暑くなり、9月になっても炎暑の日が
あり・・・という感じで、「心地よい気候」の期間が短くなっている。日本ばかりでは
無く、アメリカでは今や異常気象のニュースがほぼ年中行事になってしまっている
し、これはやはり巷間のウワサ通り「温暖化」の影響なのだろうか。まあ、11月に
入った途端にクリスマス・ソングが街に流れたりする「季節感の無視」も一因なのかも
しれないが・・・。


そんな環境下でも「四季の移ろい」を愛でる日本のリスナーにとって、「四季」が題材の
曲はどうしたって親しみやすい存在だ。ズバリ「四季」というタイトルの曲も多数あるが、
ヴィヴァルディやハイドンの作品が「春夏秋冬」という馴染みやすい順番の作品なのに
対し、グラズノフの名作は「冬春夏秋」という順番で、「収穫の秋」が華麗なクライマックス
となっているし、チャイコフスキーの「四季」は春夏秋冬で四分割という常識さえも放棄
してしまって1月から12月までの「月別12曲」というユニークな構成となっている。


それらの中でもヴィヴァルディの「四季」は、日本ではベートーヴェンの「交響曲第5番」
と並んでクラシック音楽の代名詞となっている感もある程に親しまれている作品。
ミュンヒンガーやイ・ムジチの「四季」はかつて大ベストセラーを記録し、その後も新録音
引きも切らず、一体どれだけの音源があるのか、見当もつかない状態だ。


そんな星の数ほどもあるヴィヴァルディの「四季」の音源の中で、私が「これは
侮れない」と感じ続けているのが、今回ご紹介のストコフスキー盤。ストコフスキーは
私がこの上なく尊敬する巨人であるが、不幸にも「山師」的なイメージが未だに払拭
出来ない。しかし、断言したいがストコフスキーは決して「インチキおやぢ」では無い。
それどころか、これほどオーケストラを熟知した上で「禁じ手」も厭わずに「如何に
その曲を輝かせるか」に粉骨砕身した人もいないのではないかと私は信じている。
ストコ先生のバロックと言えば、何と言ってもバッハであり、チェコ・フィルを振った有名な
DECCA音源をはじめ、「ケバさ大炸裂」という趣きのアレンジに辟易している御仁も
少なくない事とは思う。


そのストコフスキーの「四季」・・・。多大なる不安と期待(笑)を胸に聴き始めると、その
意外な程に「直球」なアプローチにまず驚かされる。豊満な響きは確かにストコ的では
あるが、正統派の顰蹙を買うような妙なアレンジや、傍若無人の大カット等は見られない。
だが、一見「普通」に見せておいて、しっかり「ストコフスキー印」の刻印を遺している所に
この巨匠のしたたかさを感じる。この演奏、とにかく表情が豊かだ。ヴィヴァルディの
「四季」の演奏スタイルは、かつて人口に膾炙した名盤イ・ムジチに象徴される「おっとり型」と
最近の演奏に多い、やたら尖ったアグレッシヴな演奏の両極に引き裂かれてしまった
ような感じが拭えないが、ストコフスキーのアプローチは、ちょうどその「中間」を行って
いるのだ。「伝統的」なスタイルを崩さず、しかも異例な程に表情豊か。1966年という録音
年代を考えれば、中々に「驚異的」と呼んでよい演奏だと思う。独奏がヒュー・ビーン
(1929~2003)なのもシブい。フィルハーモニア管の黄金時代を支えたコンサートマスターで
、英国のクラシック音楽に関心のある方には忘れがたい名匠ながら、ソリストとしての録音が
少ない彼の貴重な音源でもある。


クラシック音楽を一般大衆にも広く普及させ、「音楽ソフト産業」の確立に多大な貢献を
した音楽家として、ストコフスキーとカラヤンは双璧と言える存在と思うが、最近再評価の
気運があるカラヤンに比べると、没後40年近く経った今尚「変な爺さん」的なあしらわれ方を
され続けているストコ師匠が実に不憫だ。この巨匠の功績に対する正当な評価が盛り上がる
日が来る事を、不肖猫丸は熱望している。
★猫丸しりいず第227回
 
◎シューマン:序奏とアレグロ・アパショナート、 森の情景 他
 
 スヴャトスラフ・リヒテル(P)
 
スタニスラフ・ヴィスロツキ&ヴィトルド・ロヴィツキ指揮
ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団
 
(DG 447440-2)
 
あの「ベルリンの壁」崩壊から、今年の11月10日で25年になるのだと言う。
もうそんなに経ってしまったのか、という思いを禁じ得ない。
 
この年1989年は、私が大学を出て社会人になった年なので、尚更印象深い。
中学生の頃は「ベルリンの壁の崩壊」などという事が現実に起こるとは想像も
出来なかったのに、それからわずか10年ちょっとで「壁の崩壊」どころか、
「ソ連のあっけない消滅」までが現実となってしまった。自分自身の環境の激変と
あいまって、これほど「新たな歴史の始まり」みたいな事を感じた事件も無かった。
ただ、今思えばこの大事件は「新たな混沌の始まり」に過ぎなかった訳であるが・・。


「東西冷戦」の時代を感じさせるクラシック音楽の名盤として、以前に「猫丸」で
「カラヤンのマイスタージンガー」をとりあげた事があったが
私にとって「冷戦」「ベルリンの壁」と聞いてすぐに連想してしまう名演奏家が
ピアノの巨匠リヒテルである。


彼の代表的な名盤として名高い、カラヤンと共演のチャイコフスキーの協奏曲。
昔私がこの盤を初めて知った時に非常に「違和感」を感じたのが、1962年の録音
にもかかわらず、カラヤンの指揮したオケがウィーン交響楽団であった事。
この楽団の指揮者を務めた事もあったとは言え、なぜベルリン・フィルでも
ウィーン・フィルでも無く、ウィーン響なのか。この謎について若い頃友人と
話していた時に、その友人はこんな推理を見せた。「ソ連当局がリヒテルを
西ベルリンに滞在させる事に難色を示したのでは無いか」。


永らく「西側」諸国では幻のピアニストだったリヒテルが、ようやく西側での演奏を
許可されたのは1960年。優れた芸術家は「東側」の広告塔であると同時に、
「西側」に渡れる数少ない存在だった事もあり、東側当局は芸術家の「亡命」を
非常に警戒していた。実際、来日中の東側の有名楽団の団員の亡命事件という
のもあった。国家の至宝であるピアニストを「冷戦の最前線」ともいうべきベルリンに
送り込んだ挙句、万一の事があったら・・と心配した当局がベルリンでの録音に
ダメ出しをし、結果ウィーンでの録音となったが、当時DECCAと契約していた
ウィーン・フィルは起用出来ず、ウィーン響の登場となったのでは・・というのが
彼の推理であった。事の真相は私も調べた事が無いのでわからないが、1962年
と言えばあの「キューバ危機」に象徴されるように東西の緊張が極めて高まっていた
時期なので、充分有り得る話だとは思う。だとすると、カラヤン&ウィーン響という
実に貴重な顔合わせの名盤の誕生の裏には「ベルリンの壁」の影があった事に
なる。この録音も「歴史の証人」だったのか。


ご存じの通りリヒテルは1950年代のステレオ初期にDGにラフマニノフ、モーツァルト、
プロコフィエフ等の協奏曲を録音しているが、前述のように当時彼はまだ「西側」での
演奏を許されておらず、それらの録音はワルシャワ・フィルとの共演となった。
それらの音源の中で私が最も好きなのがシューマンである。主役の有名な「ピアノ協奏曲」
も無論良いが、何たって本命は「序奏とアレグロ・アパショナート」。ややB級ではあるが、
いかにもシューマンらしい薫りの漂うマイナー名作として「序曲、スケルツォとフィナーレ」
と双璧の存在のこの曲を、リヒテルの名演で聴けるのは誠に幸せだ。共演のワルシャワ
・フィルのほの暗い響きも実に良い。「ピアノ協奏曲」は後にマタチッチ&モンテカルロ
国立歌劇場管と共演の再録音(EMI)が登場して、すっかりこの旧録音は影が薄くなって
しまったが、「豪放磊落」という趣きで朗らかなマタチッチ盤の伴奏に対し、この
ロヴィツキ&ワルシャワ・フィルの響きは、やや痩せ気味で渋く、「眉間にシワ寄せてます」
みたいな独自の味わいがあって、これはこれで捨て難い味わいを醸し出している。
ちなみに、ロヴィツキ&ワルシャワ・フィルの名コンビは同時期にDGに「白鳥の湖」、
「眠りの森の美女」の抜粋やショスタコーヴィッチの「5番」といったマニア狂喜の「裏名盤」
を残しているが、今や「幻の名盤」となっているのが惜しい。


思うに「ベルリンの壁崩壊記念」のバーンスタインの「第9」を最後に、「時代」を背負った
録音は途絶えてしまった。これから25年後に「ああ、あの頃はこんな時代だった」という
回顧の対象になるような録音が、果たして今後生まれるのであろうか?
★猫丸しりいず第226回
 
◎ワルトトイフェル:ワルツ「エスパーナ」
 
ウィリー・ボスコフスキー指揮 モンテカルロ国立歌劇場管弦楽団
(国内新星堂/EMI SAN37 ※廃盤)
 
◎J・シュトラウス:カドリーユ「オルフェウス」
 
ジョルジュ・プレートル指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(独DECCA 4780034 ※「ニューイヤーコンサート2008」)
 
 クラシック音楽に他の曲の「引用」や「パロディ」はつきもの。
それは「○○の主題による××」という曲が非常に多いことからもうかがえる。


しかし、中には「オイ!これ、良いんかい!」と突っ込みたくなるような、
権利関係のキビシイ現代では考えられない、凄い、と言うか「図々しい」
作品も少なからずある。「著作権」という考え方自体はかなり古くからあった
ようだが、印刷や録音等「同じモノを簡単に複製、保存できる」という技術の
進歩に伴って、それはどんどん厳格になっていったようである。
その点、19世紀の音楽界はかなりアバウトだったのだろう。「引用」とは
呼べないレベルの問題作(笑)が色々登場。


その一つが兄シュトラウスの「オルフェウス」。この曲、オッフェンバックの
「天国と地獄」(原題は「地獄のオルフェウス」)に触発された作品で、オッフェンバックの
作品が題材の曲。この曲の後半は、あの「フレンチカンカン」で有名な「天国と地獄序曲」が
「ほぼそのまま」登場。これ、シュトラウスの「作品」と呼んで良いのか・・・と
思わず迷ってしまうが、シュトラウスをはじめとする「エンタメ系」の作曲家たちは
当時ヒットしたオペラの名旋律を借用した作品を他にもかなり作っている。
まあ、一種の「ヒット曲情報」みたいなもので、あまり目くじら立てる人もいなかった
のだろう。大らかな時代である。
 
ちなみに、ご紹介の演奏はプレートルの遅すぎる再評価の嚆矢となった、2008年
の「ニューイヤーコンサート」のライヴ。プレートルへの賛辞は既に以前当「猫丸」
でも捧げているが(詳しくはコチラ http://blog-kichijyouji-classic.diskunion.net/Entry/1737/
オケの持ち味を十全に活かしながら、躍動感溢れるプレートルの音楽をどんな相手
にもやらせてしまうこの巨匠の凄腕には毎度驚嘆である。この演奏、とにかく
ウィーン・フィルの猛演ぶりが素晴らしい。
 
そしてもう一曲、爆笑ものの怪作をご紹介。
それは「フランスのワルツ王」エミール・ワルトトイフェル(1837~1915)の「エスパーナ」。
何の予備知識も無しにこの曲を初めて聴いた時の、クラシック・ファンの反応は様々
だろう。ある人はただ口をあんぐり、ある人は呆れて大笑い、またある人は「CDを
間違えたか?」と仰天・・・。私はどうだったかと言えば、予期せぬ不意打ちにあい、
最初は焦り、状況が把握出来たら大爆笑・・・という感じであった。


種明かしをしてしまえば、この曲、ワルトトイフェルと同世代のフランスの某有名作曲家の
「狂詩曲スペイン」(全然「某」になってないが)をほぼそのまま借用し、ワルツにして
しまった・・という大怪作である。あの「ラヴァース・コンチェルト」やカーメン・キャバレロの
「ショパンのポロネーズ」のように、元々3拍子の曲が偶数系の拍子に化けたものなら、
「アレンジ感」が強く出て、ある意味「違和感」は薄くなるのだが、この曲は原曲も3拍子系の
ため、ワルツのリズムにすっぽりとハマってしまい、かえって「インチキ臭さ」を助長
しているのが実に楽しい(笑)。聴けば聴くほど「図々しいなあ」と苦笑を禁じ得ない
怪曲だが、原作者のシャ○○エさん、笑って許してくれたんだろうか・・・?。


ご紹介の盤はボスコフスキーの数多い録音の中でも最高傑作!と私が確信する1枚。
珍しい顔合わせだが、モンテカルロ歌劇場のオケ(私、この楽団が結構好きである)の
明るく華やかな響きが作品をこの上なく引き立てている。有名な「女学生」(この題名、
実は誤訳らしいが)のカラッと爽快な仕上がりぶりはもう最高だ。しかし、国内盤は
かなり以前に出た新星堂の廉価盤以外見かけず、海外盤も入手困難で「幻の逸品」
になりつつあるのは遺憾。ワルトトイフェル再評価のためにも復活熱望!!!
★猫丸しりいず第225回
 
◎ランバート:リオ・グランデ
 
アンドレ・プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団 オルティス(P)
(英EMI 5865952 ※廃盤)
 
◎ランバート:バード・アクターズ、ロメオとジュリエット 他
 
 ジョン・ランチベリー指揮 ヴィクトリア州立管弦楽団
(英CHANDOS CHAN9865)
 
前回に続き、「人生」のオハナシ。
 
作曲家たちの人生は実に様々。波乱万丈型、安定型、フランクやブルックナーの
ような大器晩成型、はたまた以前に「猫丸」でもとりあげた、不運が重なったばかりに
若くして亡くなってしまったグラナドスのような特殊ケースもある。
(詳しくはコチラを・・ http://blog-shinjuku-classic.diskunion.net/Entry/1106/ )


そして、特異な才能を持ちながら酒浸りになって若死にした「アルコール破滅型」
と呼びたい御仁もいる。ムソルグスキーとレブエルタスがこのカテゴリーの「両巨頭」
と言えるが、そんな作曲家は英国にも存在した。その男の名はコンスタント・
ランバート(1905~1951)。


ウォルトンやティペットと同世代の作曲家だが、長寿を全うし国民的な作曲家という
栄光に包まれたこの2人と対照的に、ランバートは40代半ばで若死にし、今日ほぼ
英国音楽のディープな愛好家以外からは忘却された存在となってしまった。
しかし、彼は決して凡才では無かった。それどころか、音楽家としてのキャリアの
初期にジャズの影響を受けて彼が生み出した作品群は、まさにランバートならではの
ユニークな魅力に溢れている。その筆頭が「リオ・グランデ」。独奏ピアノと管弦楽、
独唱、合唱という編成の作品。どこかでこの曲の事を「ポーギーとべスの世界を
15分に凝縮した作品」と形容した文章に触れた記憶があるが、中々上手い表現
だと思う。シンコペーションを多用したピアノ・ソロ、黒人音楽の影響が感じられる
ノスタルジックな響き、威勢がよく、陽気でありながらどこか哀しい・・・。こんなに
個性的で魅力的な作品が20歳代前半の若者の手から生み出された事は、まさに
驚嘆に値する。ご紹介の演奏はプレヴィンのノリの良い演奏もさる事ながら、
私が贔屓にしているブラジルの名女流ピアニスト、クリスティーナ・オルティスが
共演しているのが誠にポイント高い。ただ、現状廃盤のようなのは残念至極。


ランバートの才能は、恐らく「業界」でも注目されていたのだろう。今回のもう一枚、
「ロメオとジュリエット」はあのディアギレフのロシア・バレエ団のために書かれた
作品。「リオ・グランデ」よりもさらに前、彼が二十歳そこそこの時に生み出した佳作。
「ロメオとジュリエット」自体では無く、「ロメオとジュリエットを上演するバレエ団」を
舞台にした、ひねった作品で、どこか人を喰ったような脱力感の漂う曲調には
いわゆる「英国的」な感じは稀薄。むしろサティ、ミヨー、プーランク、フランセ等々の
フランスの作曲家に近い軽妙さがあり、中々面白い。


しかし。人生は厳しい。彼の作曲家としてのキャリアは結果的にこの頃が頂点
だったようだ。作曲だけではメシの喰えないランバートは、その後バレエを中心と
した指揮者としての活動がメインとなり、長年の深酒や過労が次第に身体を
蝕んでいった。そして結局40歳代半ばという若さで糖尿病で亡くなってしまうので
ある。命を縮めるほどに飲んでしまう・・というのは、やはり尋常では無い。
若くして栄光をつかみかけながら、その後恐らくは不本意な人生を送る事に
なってしまった彼には、様々な人に言えない悩みやストレスがあったのだろうが・・。


余談だが、彼の息子キット・ランバートは英国3大ロックバンドの一角、「ザ・フー」の
マネージャーを務めた人。ところが、この息子も父親とほぼ同じ45歳の若さで
転落事故による脳溢血で亡くなってしまう。何とも奇妙な運命ではないか。


残念なのは、「アルコール破滅型」の他の2人、ムソルグスキーとレブエルタスの
作品が今日でも多くの演奏機会を持つのに比べ、ランバートの作品が本当に地味な
ポジションに追いやられてしまっている事。英国音楽好きの同志や、フランス六人組
の作品がお好きな方には是非ご一聴をおススメしたい作品である。


最後に自戒を込めて一言。
「酒は飲んでも飲まれるな」
★猫丸しりいず第224回
◎コダーイ:組曲「ハーリ・ヤーノシュ」・交響曲ハ長調 他
フェレンツ・フリッチャイ指揮 ベルリン放送交響楽団
(タワーレコード/DG PROC1267)
◎ブラームス:交響曲第2番
フェレンツ・フリッチャイ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(タワーレコード/DG PROC1273)
「自分に残された時間はもう長くは無い」。そう悟った時、人はどのような行動を
とるのだろうか。これは映画やドラマ等にとって格好の素材と見え、この手の素材を
用いたフィクションはこれまでにも山のように存在する。


しかし、どんなに劇的に盛り上げられたフィクションも「真実」の重みには全く
かなわない。そう私に痛感させるのはフェレンツ・フリッチャイの早すぎる「晩年」
である。


フリッチャイ(1914~1963)は、私にとっては典型的な「廉価盤の巨匠」である。
クラシック音楽を本格的に聴き始め、そろそろ自腹でレコードを買いたいな・・と
思い始めた頃に散々お世話になった廉価盤シリーズの一つが、グラモフォンの
「スペシャル」。このシリーズではフリッチャイの盤が多数出ていて、この指揮者の
経歴など当時全く知らない私は「安いから大した事は無いだろう」と思いつつ、
彼の演奏を色々と入手する事となった。
しかし、聴いてみるとウィーン交響楽団とのモーツァルトの「40番」を筆頭に、
J・シュトラウスやコダーイ等々「凄いよ。この人。」と思わせる名演オンパレード。
その後近所の友人宅に彼がベルリン・フィルを振ったベートーヴェンの「5番」の
LPがあるのを発見し、友人N君に「オイ!これ聴かせろ!」と頼んで一緒に聴いた
のも懐かしい。聴いてみるとこれがまた「鬼気迫る」という形容がピッタリの
凄まじい演奏。もう30年以上も前の事なのに、N君と顔を見合わせ、「この指揮者、
実は凄い人じゃないか」とコーフンして語り合った事が昨日のように思い出される。


若くして頭角を現し将来を嘱望されながら、50歳にも満たない若さで白血病に
斃れたこの名指揮者について、今更屋上屋を重ねてのご説明は不要であろう。
今や彼の享年を超えてしまった私がとても興味深く思うのは、死に至る病が
発覚してから亡くなるまでの5年ちょっとの間に彼の見せた驚くべき演奏の「深化」
である。病を得るまでは40歳代という年齢相応のエネルギッシュで尖鋭と形容したい
演奏スタイルだったフリッチャイのアッと驚く変貌ぶり。


彼がその早すぎる晩年にシュトゥットガルトの南ドイツ放送響を振って、スメタナの
「わが祖国」の「モルダウ」を演奏したリハーサル映像を見た事がある。若い頃は
それほど印象に残らなかった映像だが、最近見直した時には、もう「動揺」と言いたい
位の強烈な感銘を受けた。この映像を見る限り、彼の体調は「普通」にも思えるのだが、
実際にはこの時点で既に彼はかなり衰弱していたらしい。その中で彼がこんな言葉を
オーケストラの面々に投げかける。


「そう、生きるという事は、本当に素晴らしいのです」


思わず漏らした言葉であろう。実際、彼は「オッと、こんな事言っちゃって俺らしくないな」
という感じで、淡々とリハーサルに戻っている。しかし、その後の彼の運命を知っており、
なおかつ40歳過ぎてから身近な親族のみならず、同年代の友人・知人をも何人かを
喪い、「人生は有限である」という冷厳な事実を散々突き付けられてきた今の私にとって、
このコトバの持つ「真実」は若い頃とは比べ物にならない程に重く、これを聴いた時、
私は不覚にも目頭が熱くなるのを抑える事が出来なかった。


彼が指揮者として活動出来た最後の年1961年には、前述のベートーヴェンや、シュトラウス
の他、シュナイダーハン、シュタルケルと共演したブラームスの「二重協奏曲」など、
数々の名盤が録音されたが、中でも秀逸なのが彼の最後の録音の一つである
「ハーリ・ヤーノシュ」。生きている歓び、音楽が出来る歓びが全編からほとばしるような
超名演である。微笑ましく、ユーモラスなのに「凄演」なのが素晴らしい。そして、同じ年の
2月のライヴであるウィーン・フィルとのブラームスがこれまた凄い。オーケストラの献身的な
演奏ぶりが実に感動的。恐らくこの時のフリッチャイからはただならぬオーラが発せられて
いたのに違いない。そしてまた、オーケストラの面々もこの指揮者に残された時間がもう長くは
無いという事を薄々感じていたのではないだろうか。「よし!俺たちがフリッチャイを男に
してやるぜ!」と言わんばかりの熱演ぶり。こういう時のウィーン・フィルの底力はさすが
である。結果、間もなく命が尽きる指揮者の演奏とは信じられないようなホットな名演が
生まれたのだ。


抗う事の出来ない運命に翻弄されながら、それでもしっかり自分の足跡を遺す事が
出来たフリッチャイ。本当に凄い男だ。


そして、今年はこの尊敬すべき男の生誕100周年である。
★猫丸しりいず第223回
◎ロバート・ラッセル・ベネット:エイブラハム・リンカーン~交響曲の形式による肖像画
                  サイツ・アンド・サウンズ
 ウィリアム・T・ストロンバーグ指揮 モスクワ交響楽団
 (NAXOS 8559004)
◎ガーシュウィン:「ポーギーとべス」交響的絵画(ロバート・ラッセル・ベネット編)
 アンタル・ドラティ指揮 デトロイト交響楽団 (独DECCA 467410-2)
私の場合、音楽家との出会いは結構偶然が多い。それは当「猫丸」でも幾度もネタに
してきた通りである。


カッチェン、フィストゥラーリ、サージェントといった面々は、たまたま自宅にレコードが
あったので私が物心ついて初めて接したクラシックの音楽家たちである。そして、彼らは
今でも自分にとって特別な存在だ。そんな音楽家の一人であるが、一般的にはほとんど
知られていない御仁を今回はご紹介したい。その人の名はロバート・ラッセル・ベネット
(1894~1981)。今気付いたが、この人、あのカール・ベームと生没年がピッタリ同じである。


彼との出会いは(前回の内容にも繋がるが)自宅にあった7インチ盤だった。「舞踏への
勧誘」と「タンホイザー序曲」との組み合わせで、演奏はRCAビクター響。そして指揮者が
このベネット氏だったのである。ちなみにこの盤、収録時間の限界からか「タンホイザー
序曲」の前半がバッサリとカットされていた。無論初めて聴いた時にはそんな事とは
知らない私は、後でこの序曲の「全曲」(笑)を聴いた時、「何じゃコリャ!違う曲じゃないか」
と驚愕したものである。今では考えられない事だが、昔はこの手の荒っぽいカットは
珍しい事では無かったようだ。


しかし、その後クラシック音楽を本格的に聴き始め、様々な音源に接するようになっても
ベネット氏の名前を見かける事はまるでなく、いつしか彼の名は私の意識の中から
消えつつあった。が、ある曲を知った時、私は久々にベネット氏と邂逅する事となったのだった。
その曲は「ポーギーとべス 交響的絵画」。傑作オペラの名旋律を繋げた接続曲で、
その見事な構成とオーケストレーションに私は一発で魅せられてしまった。
そして曲名の横にあった「ロバート・ラッセル・ベネット編曲」という表記を目にした時、
私は金縛り状態に陥った。何と!ベネットさん!こんなところで!お久しぶりぢゃないですか!。


ここでようやくベネット氏の「正体」を私は知るところとなった。彼はカンザスシティに生まれ、
ナディア・ブーランジェらに師事し、ブロードウェイを代表する名オーケストレーターと
してガーシュウィンをはじめ、コール・ポーター、ジェローム・カーン、リチャード・ロジャース
等々の豪華メンバーと仕事をした大物だったのである。「ポーギーとべス交響的絵画」は
彼が1942年にフリッツ・ライナーの委嘱を受けて手掛けた曲。このオペラを熟知している方なら
お分かりいただけると思うが、この「交響的絵画」は単純にオペラの筋を追ったハイライト
版では無く、原曲の出て来る順番にはこだわらず、1つの管弦楽曲として構成し直したもの。
この曲、とにかく素晴らしい。「ストーリーを追う」事に拘泥せず、「聴き映え」に徹した事が
この上ない効果を生んでおり、「仕事人」ベネットの並々ならぬ能力を実感させる。
この作品の録音、何と言っても初めて聴いたプレヴィン&ロンドン響(EMI)盤が最高なのだが、
なぜか冒頭の「行商人たちの売り声のするキャット・フィッシュ・ロウの情景」と、途中の「嵐の
音楽」が丸ごとカットされているのが残念至極。そこで、その部分を含めた
全てをしっかり収め、しかも演奏、録音ともに優れたドラティ盤をご紹介する事とした。


そして今回のもう一枚は、そのベネット氏の作品集!。NAXOSの「AMERICAN CLASSICS」の
シリーズの一環として出たものだが、これがまたGOOD。ベネット氏の自作が聴けるとは
まさにNAXOS様様・・・。いずれも1929年の作品で、この人らしい明快でカラフルなサウンドが
楽しめる。時たまホルンがいかにも「ロシアです」という感じのヴィブラートを聴かせたりするのが
ご愛嬌だが、演奏も中々優れていておススメの一枚。とは言え、如何に珍品好きの私とはいえ、
上述の如きベネット氏との偶然の出会いが無ければこの一枚に手を伸ばす機会は無かった
かもしれず、誠に「偶然」というモノは恐ろしい。皆様にもこういう「偶然の出会い」から生まれた
「自分だけの名匠」みたいな音楽家、いませんか??
★猫丸しりいず第222回


◎クライスラー:愛の喜び、愛の悲しみ
ヘルムート・ツァハリアス(Vnと指揮) ベルリン放送交響楽団


◎ホフシュテッター:弦楽四重奏曲「セレナード」 ヴェーグ四重奏団 他


(DG 474576-2 2枚組 「the singles」)
前回でも述べた通り、かつてクラシック音楽にも多数のシングル盤(7インチ)
が存在していた。私も子供の頃自宅にストコフスキー&RCA響の「ハンガリー
狂詩曲第2番」等のシングル盤が何枚かあり、よく聴いていたのを覚えている。


しかし、シングル盤のために録音された小品の音源の多くは、その後の
LP、CDという変化の流れの中でほとんどが埋没してしまった。
収録時間の長さがメリットであるLPやCDには、シングル盤用の短い音源を
そのまま移すのは経済的にムリがあり、長時間収録のメリットを活かそうと
思えば脈絡の無い様々な音源を「寄せ集める」他ないが、この「寄せ集め形態」
では現実的に商品化は困難・・・と私は思っていた。


だから、まさかの「究極寄せ集めアルバム」が何とDGから登場した時は、
まさに驚嘆し、同時に狂喜乱舞状態であった。それが今回とり上げた珍盤
「ザ・シングルズ」である。CD2枚組に16枚のシングル盤からの30曲以上の小品
をギッシリと収録し、ライナーノーツにはオリジナルのシングル盤のジャケ写を
収録・・という感動の逸品だ。全て1950年代のMONO録音で、登場する
演奏家もヨッフム、フリッチャイ、フリッツ・レーマンからチェルカスキー、セゴビア、
オイストラフ親子、フォルデス、ドン・コサック合唱団等々、多彩且つ豪華な顔ぶれ。
曲目も1950年代という時代を感じさせるものが多く、今や中々聴けない作品も
多い。初CD化の音源もゴロゴロ入っている。


どの曲を代表選手にするか非常に迷ったが、個人的に最も印象的だった3曲を
とり上げる事に決定。まずはツァハリアス(1920~2002)によるクライスラーの
名曲2曲。ドイツのヴァイオリニストで1950年代にはポピュラー畑で中々の人気を
博した人。恐らくは彼の全盛期の1957年に録音されたこの2曲。これがヤバイ(笑)。
ヤバすぎる。「アンタ、マントヴァーニかい」と突っ込みたくなるゴーヂャスなエコー
たっぷりのストリングスに乗って、ツァハリアスがくり広げる「特濃」の演奏!
まさに1950年代という時代の香りがプンプンする。最初は「うおぉ」とのけぞる
この演奏だが、何度も聴くと結構ハマってしまうのだ。特に「愛の喜び」は最高!


そしてもう一曲。ホフシュテッター(1742~1815)の「セレナード」。と言っても、ピンと
来られない方も多いと思うが、かつてハイドンの作品とされ「ハイドンのセレナード」
と呼ばれた曲・・と申し上げれば「ああ、あれか」と思われる方もおられるかと思う。
永らくハイドンの作品と信じられていたが、実はハイドンの信奉者の修行僧で、
アマチュアの作曲家のホフシュテッターが作曲したものであると発覚(古典派ではありがちな
パターンだが)した作品。ただ、この曲もこの真贋論争が影響した訳では無いだろうが、
最早昔日のように親しまれているとは言えない作品になってしまったようだ。
ヴェーグSQによる演奏は「普段着」という趣きのまさに「普通」の演奏なのだが、
その事がかえって時代を感じさせる。


この「シングルス」に熱狂した人は残念ながら私を含めたごく少数のマニアにすぎなかった
ようだ。私は、この企画の続編を熱望していたのだが、続編どころかこの盤そのものが
今や新品での入手が困難な状況らしい(余程のマニアしか購入しなかったのか、
中古品の流通量も極度に少ない)のは残念の一言に尽きる。シングル盤音源はDG
ばかりでなく、RCAとか他のレーベルにも多く存在していた筈だが、それらが再び
日の目を見る機会はもう来ないのだろうか・・・・・・・・・・。
★猫丸しりいず第221回

◎エロール:「ザンパ」序曲 レズニチェク:「ドンナ・ディアナ」序曲
 オーベール:「黒いドミノ」「マサニエッロ」「青銅の馬」「王冠のダイヤモンド」序曲 他

アルベール・ヴォルフ指揮 パリ音楽院管弦楽団
(豪DECCA ELOQUENCE 4802385/2枚組 「OVERTURES IN HI-FI」)
クラシック音楽の世界にも「はやり」「すたり」は確実にある。

マーラーの交響曲や、「カルミナ・ブラーナ」「惑星」といった作品達がこれほど盛んに
演奏、録音されるようになるとは作曲者自身も恐らく思っていなかっただろう。
これらの曲が「はやる」ようになった背景には、録音技術の進歩があるのは勿論、
それを決定的に後押ししたのはCDというメディアの出現である。
大編成で長大な曲が普及するのにCDが果たした役割の大きさは計り知れない。

しかし、クラシック愛好家の嗜好がそういう「重厚長大」系に傾いた結果、以前に
比べて全く影の薄い存在に「成り下がって」しまったのが小曲、中でもオペラや
オペレッタの「序曲」ではないだろうか。レコードが一般に普及し始めた1950~60年代
には、クラシック音楽のレコードにも「LP」でない「シングル盤」、つまり7インチのレコード
が多数存在していた。そういう7インチ盤に収録するのに打ってつけだったのが、5~10分
位の長さの小品たちで、ステレオ初期はその手の小品、中でも「序曲」の全盛期だった。

しかし、クラシックレコードがほぼLPとなり、その後CDに移っていくに伴い「序曲」の地位は
没落の一途。ロッシーニ、ヴェルディ、ワーグナー等のごく一部の大物以外、今日全く影の
薄い存在になってしまった。中でも没落ぶりが酷いのが、今回テーマにした19世紀を中心
に活躍した作曲家たちの「序曲」である。これらの曲に多少なりとも馴染みがあるのは、
少なくとも私以上の世代の方々で、CD時代になって生まれた若い世代のクラシック・ファン
の皆様はこれらの曲を聴いた事がない・・・どころか、作品自体ご存じない方が多いのでは
ないだろうか。

良い意味での「お手軽感」に溢れたこれらの作品、まあ、「不滅の名作」と云われる作品たちに
比べればB級感は否めないとは言え、その屈託の無い楽しさはやはり忘却されるには
惜しい・・と思わせる。中でも全盛時にはワーグナーとパリ・オペラ座で人気を二分した・・・
とさえ言われるフランスの作曲家フランソワ・オーベール(1782~1871)の序曲にはその感が
強い。彼の名前は、パリ・オペラ座の最寄駅であるパリの地下鉄のオーベール駅の名前で
辛うじて記憶にとどめられている状態なのは寂しいが、浅草オペラで親しまれた「フラ・ディアボロ」
など、昭和40年代位までは日本でもそれなりに彼の作品は親しま れていた。
個人的に忘れがたいのは「マサニエッロ序曲」。この名序曲の中間部の軽快な旋律は、
私には「運動会BGM」として忘れ難い旋律である。と言うのも、我が母校の新宿の西戸山
小学校で、運動会の時に校庭のラウドスピーカーから必ずと言って良い程流れていた音楽が
この「マサニエッロ」であったのだ。無論当時はこの曲がオーベールの曲とわかって聴いていた
訳では無い。しかし、それから四半世紀近く経ってマルケヴィッチ&ラムルー管の演奏の
CD(DG)を聴いた時、「アッッ!! これ運動会の音楽じゃん!」と驚愕させられたのである。

これらの曲の録音と言えば、アンセルメ&スイス・ロマンド管やパレー&デトロイト響などの
ステレオ初期の名盤が未だに揺るぎない「代表盤」の地位を保っているのが何だか寂しい。
彼らのような「粋」な演奏が出来る指揮者がもういなくなってしまったのか、最早今日では
採算ベースに乗らなくなってしまったのか・・。そう言えば、デュトワ&モントリオール響が
アンセルメの衣鉢を継ぐレパートリーを続々と発表していた当時、私は密かにこのコンビが
これらのレパートリーを採り上げてくれる事を切望していたのだが、結局それは叶わぬ夢と
終わった。この系列の作品で彼らが残したのはトマの「レーモン序曲」位なもの。
エロールやオーベールはデジタル時代にはもう商業ベースには乗らない・・と判断されて
しまったのだとしたら、とてもわびしい。

今回ご紹介のヴォルフ(1884~1970)盤も永らく入手困難だった音源。ステレオ最初期の
1954~7年の録音でDECCAの往年の名プロデューサー、ジョン・カルショウやヴィクター・
オロフが携わった名盤である。オランダ人を両親に持つ名指揮者ヴォルフのDECCA
録音、オリジナルLPは高値を呼んでいるが、一般的にはほぼ忘れ去られた音源で、この
音源をギュスターヴ・シャルパンティエの「イタリアの印象」やマスネの「絵のような風景」
「アルザスの風景」等と共にCDリリースしてくれた豪ELOQUENCEには、
毎度の事ながら大喝采である。本当にこのレーベルの「オタク魂」には驚嘆するばかりだが、
担当ブレーンに直撃インタヴューしたい位(その際は是非、ヴィクトリアビターとか
ハーンスーパードライとかの豪州ビールを一杯やりながらが望ましい/笑)である。

ところで、上述の「7インチ盤」のために録音された多くの小品の音源は、その後のLP、CD化の
過程でも多くが埋没したままで、そのまま消滅してしまうかと思われた。しかし、捨てる神あれば
拾う神あり。そのお話は次回で・・・。
★猫丸しりいず第220回
◎バラキレフ:交響曲第1番
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 フィルハーモニア管弦楽団
(国内WARNER  WPCS-12701/2 ※2014年8月発売 ハイブリッドSACD
幅広いレパートリーを誇った巨匠カラヤン。しかし、彼は決して「何でも屋」では無く、
レパートリーの選択には彼独自の美学が感じられる。


実際、あれだけの膨大な録音を遺しながら、彼は意外な曲をとりあげていない。
「火の鳥」「ペトルーシュカ」「大学祝典序曲」「禿山の一夜」あたりはその代表格だが、
そう言えばショスタコーヴィッチも有名な「5番」には一顧だにせず、なぜか「10番」だけを
演奏している。


ロシア、ソ連系の楽曲に関しては、特にカラヤンの好みはハッキリしている。
一言で言って、「五人組」に象徴されるあまりにコテコテにロシアっぽい作品群は
あまりお好みで無かったように思えるのである。「シェエラザード」も1度しか録音して
いないし、その演奏も何か勘違いしてるんじゃないかと思える位にケバイ代物で、
シェエラザードがキャバクラ嬢になったんでは・・・と思える程の珍演であった。
これは「頼まれ仕事」だったのか・・・?。「展覧会の絵」は大好きだったようだが、
これはカラヤンがこの曲をラヴェルの手による洗練された管弦楽曲として位置付けて
いたからだろう。これが例えばフンテク版みたいな土臭い彩りに満ちたアレンジだったら
、カラヤンがあれだけ頻繁に演奏したとは考えづらい。


しかし、そのカラヤンが本当に意外な名作を若き日にとりあげていたのには驚いた。
それがバラキレフの名作「交響曲第1番」。1949年というから、彼がまだ40歳そこそこの
時の録音である。


バラキレフ(1837~1910)はロシア五人組の大将として名前は大いに知られているものの、
「イスラメイ」以外に一般的に親しまれている曲があまり無いのは残念だ。
2曲の交響曲や、交響詩「タマーラ」等の傑作はもっと頻繁に演奏されるべきと思うが・・。
ロシア産交響曲の中でも屈指の名作「交響曲第1番」は1898年に初演されているので、
「60歳過ぎてからの第1番とは随分遅いな」と思ってしまうのだが、実際には彼がまだ
20代半ばの1864年に着手されたそうだ。しかし長期に亘る作曲の中断等、様々な
紆余曲折を経て、完成されたのは初演の前年1897年。何と「苦節33年」!という、
あのブラームスの1番も真っ青の難産交響曲なのだ。


伸びやかで美しい第3楽章を筆頭に、活気溢れるスケルツォや終楽章も誠に素晴らしい。
巨匠ビーチャムが盛んにとり上げた事で「西側」でもポピュラーになった作品だが、
その後もあまり録音に恵まれているとは言えず、それがその名作がイマイチ「有名」に
なれない原因の一つとも思われる。


カラヤンの演奏はよく「流線型」と形容され(揶揄され?)、それが彼の演奏への評価や好みを
ハッキリ分けてしまう一因となってしまっているように思えるが、このバラキレフの演奏はそういう
後年のイメージからかなり離れた、「カラヤンさん、汗かいてますね」と声かけたい位
エネルギッシュでヤル気に満ちた好演となっている。彼がなぜこの作品を録音したのか、
という動機や経緯は寡聞にして知らないのだが、ベルリン・フィルとのステレオ再録音が
実現しなかったのはとても残念。それが実現していたら、この名曲がずっと冷遇される
事もなかったかもしれないのに・・。ただ、後年のスタイリッシュな演奏スタイルには
もうこの作品は合わなくなっていたかもしれないけれど。


ちなみに、最近発売されたこのSACD、カラヤンがその膨大な録音キャリアの初期に
とり上げながら、結局再録音する事の無かった作品を集めた、気の利いた企画の
2枚組で、バラキレフの他に「ルーセルの交響曲第4番」「カルタ遊び」やブリテン、
ヴォーン・ウィリアムスの曲が収められている。これがまた意外な秀演揃い。中でも
ルーセルの「4番」は中々良く、この曲や交響曲の「2番」「3番」とか「蜘蛛の饗宴」とかを
ベルリン・フィルと録音して欲しかった・・と思わせる。ちなみにこのSACDは「カラヤン没後
25周年記念企画」との事。エッ!(注:「エ」に濁点振って下さい)もう25年経ったのか!と
いうのが偽らざる思い。確実に「おぢさん」になっている自分を痛感させる衝撃(笑撃?)の
事実で御座いました・・・・。
★猫丸しりいず第219回


◎スカルソープ:アース・クライ
ジェイムズ・ジャッド指揮 ニュージーランド交響楽団 バートン(ディジェリドゥー)
(NAXOS 8557382)
◎スカルソープ:カカドゥ
ステュアート・チャレンダー指揮 シドニー交響楽団
(豪ABC CLASSICS 4264812)
極めて個性的で面白い作品を送り出し続けている現役の作曲家・・と言えば、当猫丸で
随分前にアメリカのマイケル・ドアティをご紹介済みだが(詳しくはコチラで・・・・・
http://blog-shinjuku-classic.diskunion.net/Entry/808/)、今回はもう一つの「新大陸」
オーストラリア代表選手のピーター・スカルソープ(1929~)が登場。


もう「長老」と言ってよい年代になってしまった彼の作品に初めて接したのは、クロノス・
カルテットの弾いた「弦楽四重奏曲第8番」。同じ弦楽四重奏という演奏形態をとりながら、
ハイドンやベートーヴェンとは全く違う世界を描き出したそのユニークさは、即時に
私のツボにハマった。


ドアティの作品が「悪趣味」寸前のキッチュな面白さに彩られていて「四畳半での
どんちゃん騒ぎ」的なテイストを発散しているのとは対照的に、スカルソープの作品は
まあオーストラリアらしいと言うか、実に音空間が広く、ノビノビしていて思い切り「屋外」
という趣きである。先住民アボリジニの音楽や、インドネシア等のアジアの音楽の影響を
強く受けている彼の作品は、ユニークかつ聴きやすい面白いものが多いが、地元豪州
以外の音源が中々出なかった事もあって、まとめて聴くのが難しい状態が続いた。
そんな状態を解消したのが、今回ご紹介のNAXOS盤。このレーベルから色々と優れた
録音を出しているジャッドとニュージーランド響を起用した1枚。


冒頭の「アース・クライ」は、アボリジニの民族楽器「ディジェリドゥー」と管弦楽が共演
する作品。この「ディジェリドゥー」、何とシロアリに喰われて筒状になったユーカリの木
から作られるそうで、超巨大尺八かアルペンホルンか・・・という感じの姿をしている。
木で出来てはいるが、唇の振動等を利用して音を出すので楽器としては「金管楽器」の
仲間であるらしい。その音は実に奇ッ怪で、一度聴いたら忘れられない。
口琴やムックリの「ビヨ~ン」という感じの振動音をもっと野太くした、動物の唸り声の
ような神秘的な音色である。この楽器の音色を初めて聴いた白人には、この音が
「ディジェ リドゥー」 と聴こえたらしく、それが楽器名の由来だそうだ。
そんな「最古の管楽器」とオーケストラの共演。音響的にユニークというだけでなく、
一種宗教的、呪術的とも思える「祈りの感情」がジワジワと伝わって来る感銘深い作品だ。


そしてもう一曲「カカドゥ」。豪州の国立公園の名を冠したこの曲。荒々しい打楽器の
連打と管の叫び・・というオープニングが非常に印象的。壮大さと静謐さのコントラストが
絶妙で、まさにオーストラリア産・・と感じさせるこれまたユニークな作品である。
この曲はNAXOS盤にも収録されているので、通常であればわざわざ別の盤をご紹介
する必要は無いのだが、このチャレンダー盤はぜひ紹介したかった1枚である。
チャレンダー(1947~1991)という指揮者は、豪州のクラシック音楽シーンに関心の
ある方以外には全く知られていない人であろう。タスマニア島のホバート出身で、
20歳代からヨーロッパで活躍 し、1987年 にはシドニー交響楽団の指揮者に抜擢され、
さあこれから・・という時に40代半ばという若さでエイズで亡くなってしまった、という人
である。


シドニー響を指揮した「サロメの踊り」「1812年」などを聴いて、そのオーソドックスながら
活き活きとした演奏に大いに感心した私だったが、この「カカドゥ」は彼の長所が
万全に生かされた名演奏。オケをガッチリ掌握しながら、伸び伸び、活き活きと演奏させ
曲の美点を自然に引き出す彼の手腕は素晴らしい。病に斃れる事なく、ずっと活動が出来て
いたら、きっと豪州のみならず世界で活躍する中堅になっていただろうに・・・と残念に
思わせる音源である。入手容易とは言えない盤なのではあるが、その存在のみでも
知って頂きたい名盤だ。