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★猫丸しりいず第248回


◎テレマン:2つのヴァイオリンのための「ガリヴァー組曲」


アンドリュー・マンゼ&キャロライン・ボルディング(Vn)
(仏HARMONIA MUNDI/HMU907137 ※廃盤)
「ガリヴァー旅行記」


今の子供たちの間でこの本がどの位ポピュラーなのかは知らないが、少なくとも
昔、私が幼い頃は「子供の本の大定番」であった。
とは言え、当時は「小人国」「巨人国」の物語ばかりがやたらと有名(今でもか?)。
その後中学生の時に「馬の国」の話を読んで、これぞ「ガリヴァーのお話の神髄だな」
などと生意気な感想を持った事も懐かしい。


しかし、これだけお馴染みの本でありながら、私はかつて「ガリヴァー」について、
結構肝心な事を知らなかった。これを書いたジョナサン・スウィフトの事を、私は
英国人と勘違いしていたが、実際は彼はアイルランドの人であった。そして何より、
私はこの「ガリヴァー」がいつごろ書かれたのか、という事さえキチンと知らなかった。
その事に気付かせてくれた音楽作品。それが今回のネタ。テレマン(1681~1767)の
珍曲「ガリヴァー組曲」である。


初めてこの曲の存在を知った時、「テレマンとガリヴァー」という組み合わせは、
私にとってかなり意外であった。私は「ガリヴァー旅行記」を勝手にもっと近代の作品
と思い込んでいたので、テレマンの作品?、ガリヴァーって、そんな「昔」の本だった
のか、と結構驚いたものである。この本が出版されたのは1726年。という事は、
バッハの「マタイ受難曲」とほぼ「同期生」という事になる。1728~9年に出版された曲集
「忠実な楽長」に含まれている作品らしいが、出版後わずか2~3年で「ガリヴァー」が
ネタの作品が生まれてしまった、というのは凄い。この本が如何に大ヒット作だったかが
窺える。


10分程の小品で、聴いた限りでは奇異な印象は全く受けないが、実はこの曲は
音楽史上でも稀有な大怪作。何たって「拍子」が凄い。「小人国」を描いた第2曲は
何と「32分の3拍子」! そして続く「巨人国」を描いた第3曲は驚くなかれ「1分の24拍子」!
ストラヴィンスキーも裸足で逃げ出すようなウルトラ珍拍子を300年も前の作品で
使っていたとは、テレマン先生恐るべし。しかも聴いてるだけでは解らず、楽譜見なけりゃ
気付かない。「解る奴だけ解りゃいいんだよ」みたいな感じがシブいじゃありませんか。


テレマンという人は、間違いなく「大物」の一人であるのに、その「人」や「作品」について
語られる事の妙に少ない、まるで「6番打者」みたいなポジションの不憫なヒトである。
その90年近い長寿の人生の中で膨大(4,000曲以上という説もある程)な作品を遺し、
「最も多作な作曲家」としてギネスブックにも認定されているらしい。まあ、彼の作品には
「強烈なインパクト」は少ない(ように感じられる)ので、「テレマンについて熱く語る人」に
あまりお目にかかれないのは仕方が無いようにも思えるが、その手堅さとユーモア精神は
侮れない。この珍曲のおススメ盤は今回ご紹介のマンゼ&ボルディングによる1枚なのだが、
何と残念ながら現在廃盤との事。演奏も録音も素晴らしいのだが・・・・。


ところでガリヴァーさんが「黄金の国ジパング」を訪れて?いたという事をご存じだろうか。
私は読んだ事が無いのだが、「空飛ぶ島ラピュータ」編で英国への帰国の途上に
今の神奈川の観音崎に上陸し、江戸で日本の「皇帝」(「ミカド」ではなく「徳川将軍」の事
らしい)に会い、その後「ナンガサク」(長崎)から帰国した・・・のだそうだ。ちなみにこの
「ガリヴァー来日」は1709年という事になっている。赤穂浪士の討ち入りは1702年とほぼ
同時期なので、ガリヴァーさんはそんな時代にジパングの土を踏んでいた?事になるのだ。
この事と関連して、ガリヴァーのモデルはあの三浦按針では・・という凄い説も耳にした
事があるが、さすがにこれは真偽の程は不明である。


ともあれ、親しんでいたつもりだった「ガリヴァー」に関する私の不勉強ぶりを暴露して
くれたテレマンさん。ありがとうございました・・・・・。
     
★猫丸しりいず第247回


◎マーラー:交響曲第8番「千人の交響曲」

 
ヤッシャ・ホーレンシュタイン指揮 ロンドン交響楽団 他
(英BBC CLASSICS BBCL4001 ※廃盤)



◎マーラー:交響曲第6番「悲劇的」
ヤッシャ・ホーレンシュタイン指揮 ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団
(SCRIBENDUM SC511 ※5枚組「ホーレンシュタインの芸術」 2015年5月発売)
前回に続き、「ファウスト」の「神秘の合唱」に基づく名作。


実は前回に触れたシューマンの「ファウストからの情景」も、「神秘の合唱」で
結ばれているのだが、まあ一般的には、「ファウスト交響曲」と双璧の「神秘の
合唱」を使った名作と言えば、ご存じマーラーの「千人の交響曲」という事になろう。
この曲の第2部は「ファウスト」の終幕を素材として書かれている。この
荒唐無稽な怪作の素材になぜマーラーが「ファウスト」を用いたのかは、色んな
説があるようだが、私には正直言って良くわからない。


「滅びゆくものは、全て比喩にすぎず、及ばざりしところのものは、ここでは
出来事となり・・・」と続く「神秘の合唱」。日本語で書かれている筈なのに、まるで
意味がわからない・・という難解すぎるこの詞にマーラーはリストにも負けない
実にカッコイイ音楽を付けた。消え入りそうな静寂の中から浮かぶ「神秘の合唱」
が、最後の爆発的なクライマックスに昇りつめていくあの凄さは、実演で聴かないと
体感出来ないように思う。


この曲の実演に立ちはだかる大きな「壁」は、「経費」と「練習」ではないだろうか。
今日この曲を実演する際に、演奏者全員揃ってのリハーサルがどの位可能なのかは
知らないが、中々容易ではないだろうとは想像できる。


ここでこの曲の演奏史の上で絶対外せない男のご紹介。その人こそ、私の敬愛する
巨匠ヤッシャ・ホーレンシュタイン(1898~1973)である。キエフに生まれ、ウィーンで
学んだ彼はユダヤ系であったため、第2次大戦でナチが権力を握ると辛酸を舐める
事となった。戦後欧州の楽壇に復帰してからは、マーラーやブルックナー演奏の
「先駆者」として大きな存在感を放った。そんな彼が1959年に「千人」をロンドンの
ロイヤル・アルバート・ホールで演奏した際のライヴが、ご紹介の1枚である。
この「金喰い虫」の大曲が上演出来たのは、何とBBCが会計年度内に予算を消化
出来そうもないので、あえてカネのかかる「千人」をやってみるか・・と言う事情から
だそうで、何とも「大らか」?な話という他ないが、決定から本番まではわずか半年。
一体誰が指揮をするの?という難題の中、白羽の矢が立ったのが、早くからマーラー
をとり上げ、VOXに録音もしていたホーレンシュタインであった。


我らがホーレンシュタイン大先生の凄腕がここから全開する。彼にとっても「千人」の
演奏は初体験。しかも様々な制約から演奏者全員揃ってのリハーサルは1度も
行なう事が出来ず、半ばぶっつけ本番で行われた演奏会のライヴがこのBBC盤である。
これが凄い。凄すぎる。そんな「悪条件」のもとでの演奏とは信じられない位に
明晰な演奏。そして「神秘の合唱」によるエンディングのド迫力! 終演後の聴衆の
熱狂ぶりも凄い。この大名盤が現在廃盤で入手困難なのは残念の一言に尽きる。
音質も優秀なだけに、復活熱望の逸品である。


そのほとんどがマイナーレーベルへの録音で、結果流通が非常に不安定なものが
多いにも関わらず、彼が未だに根強い支持を保ち続けているのは、ある意味凄い。
そんな彼の貴重な録音の代表格ながら、レーベルの休眠で永らく入手困難だった
英ユニコーンレーベルへの録音を集めたBOXが最近発売されたのは目出度い出来事。
名演として名高いロンドン響とのマーラーの「3番」が含まれているのも嬉しいが、
もう入手は困難と思っていたストックホルム・フィルとの1966年のライヴのマーラー
「6番」の復活が個人的には誠にポイント高い。パイオニア精神と情熱を見事に
両立させ、決して恵まれたとは言えない条件下でもその記録をしっかり遺した
ホーレンシュタイン師匠! アナタはヤッパリ偉大です!
★猫丸しりいず第246回


◎リスト:ファウスト交響曲
エルネスト・アンセルメ指揮 スイス・ロマンド管弦楽団 他
(豪DECCA ELOQUENCE 4429992)
当「猫丸」のごく初期に、クラシック音楽作品のネタに最も登場するのは
シェイクスピアの作品では・・と述べた事があったが、これを「作品」という
レベルまで絞り込み、「クラシック音楽の素材として最も登場した文学作品」
というテーマにした場合、恐らく第1位はゲーテの「ファウスト」であろうと
思う。無論、何となくそんな気がする・・という不肖猫丸のテキトー極まりない
感触であって、厳密には「ロメオとジュリエット」あたりと「写真判定」位の
デッドヒートになる可能性はあるが・・・


「ファウスト」ものの音楽作品が非常に多いのは事実。ファウストのストーリー
を下敷きにした作品はもちろん、「蚤の歌」とか「糸を紡ぐグレートヒェン」
みたいな作品まで含めれば相当な数にのぼるであろう。面白いなあと思うのは、
ゲーテのファウストによる「大作」はベルリオーズの「ファウストの劫罰」や
グノーの「ファウスト」、ボーイトの「メフィストーフェレ」のようにドイツ圏以外の作曲家
の手によるものが非常に目立つ事。本家ドイツ・オーストリア圏の作曲家にとって、
「ファウスト」による作品を書く・・・という事は中々のプレッシャーだったようである。
ゲーテ自身が「ファウストを作曲できるのはモーツァルトだけだ」などと余計な事を
言うものだから尚更だ。数少ないドイツ系大作はシューマンの「「ファウストからの
情景」だろうが、シューマンもこの巨大・急峻な「ファウスト山」の制覇には散々
苦労したようで、完成に10年近くも費やしている。ちなみにこの曲、お世辞にも
知られているとは言えないが、如何にもシューマンらしい中々の名作である。


さて「ファウストもの」楽曲の中でもメジャーな存在の一つが「ファウスト交響曲」。
ただ、この曲はファウストのストーリーを追ったものではなく、ファウスト、
グレートヒェン、メフィストフェレスの3人の主要登場人物をそれぞれ3つの楽章に
当てはめ、性格描写を行なった・・・という作品。リストは若い頃に友人のベルリオーズ
から「この本読んでみろよ」と「ファウスト」を薦められ、たちまちハマってしまい、
ファウストに基づく作品を書いてみたい・・と思ったようだが、峨峨たる「ファウスト山」
の制覇は業師のリストでも容易では無かったようだ。結局、ベルリオーズから
あの「ファウストの劫罰」を献呈された事が大きな刺激になって本格的に作曲に
着手し、1857年に完成。リストが「ファウスト」に魅了されてから、ここまでに25年
以上!! やっぱり「ファウスト」は最強に手強い相手のようですな・・・・


この曲、最後にちょっとだけ男声合唱とテノール独唱が加わる。この合唱が最高に
カッコいい。全曲70分の大曲のわずかな部分(7分弱!)にのみ必要・・というのは、
演奏コストの面では「不経済」と言う他無く、実際リストは「合唱抜きヴァージョン」も作っていて、
DECCAのアルヘンタ盤など、その稿で演奏した音源もある。ただ、ヤッパリこの曲、
最後に合唱がビシッとシメないと、何か「メインが出てこなかったコース料理」みたいで
物足りない。この合唱は「ファウスト」の最終部分の有名な「神秘の合唱」を
テキストとしたもの。


その「ファウスト交響曲」の隠れ名盤と呼びたいのがアンセルメ。「猫丸の奴、
また珍盤を出してきおって・・」とお思いの方もいらっしゃるだろう。しかし、この録音、
アンセルメ&スイス・ロマンドの膨大な録音の中で、私がトマの「ミニョン序曲」と
並んで双璧の名演と断言したい逸品である(「ミニョン」もゲーテの作品がネタに
なっているのは面白い偶然だが)。この録音は1967年に行われており、この
アルバムに併録されているマニャールの交響曲第3番(1968年録音/これまた
名演!)と並び、この名コンビの最後の録音の一つである。「雄渾」という、あまり
このコンビには似合わないコトバがピッタリの、劇的で手に汗握る力演。
一昔前には「アンセルメ&スイス・ロマンドの録音は最早賞味期限切れ」的な論調が
幅をきかせた事もあったが、このところの再評価に接すると、やはりこのコンビ、
只者では無かったと再認識させられる。


さて次回は「神秘の合唱」にまつわるもう一つの大作と、その曲ゆかりの名指揮者
をご紹介!
★猫丸しりいず第245回
◎モーツァルト:弦楽五重奏曲第3番ハ長調 K.515
アルバン・ベルク四重奏団/ヴォルフ(第2Va)
(海外EMI 5855812 ※7枚組「弦楽四重奏曲集&五重奏曲集」)
今回は第245回。当「猫丸」が吉祥寺のブログに移っての最初の回は第145回で
あったので、吉祥寺においても連載100回を超えてしまった。早いもんだ。


有名、無名の幾多の作品、作曲家をとりあげ、その都度様々な資料や文献等
に接してきたわけであるが、今更ながら痛感させられるのがモーツァルトという
男の別格ぶり。芥川也寸志氏は著書の中でモーツァルトを「異常なる天才」と
呼び、「異常ぶりを示す代表例」として、あの第39~41番の「3大交響曲」が
わずか1カ月半ほどの間に書き上げられてしまった、という事柄を挙げている。
そして、「その1カ月半の間にモーツァルトが書いた3大交響曲をはじめとする
全作品の楽譜を写せと言われたら、毎日この作業に没頭したとしても恐らく
1カ月近くはかかるだろう」と述べているのだ。日本を代表する作曲家を して、
このように言わしめている・・のは、大変な説得力だ。


そんな100年、いや1,000年に一人級の破格の才能を持っていながら、彼は
一般的な意味で「幸せな人生」を送ったとは言い難い。亡くなるまでの数年間は
特に金銭的な逼迫と健康状態の悪化で、悲惨な状況だったらしい。
そんな中でも、あらゆるジャンルに亘ってムラ無く、しかも膨大な数の作品を
生みだし続けたのには驚嘆する他無い。そしてその作品群に「経済的困窮」
などという「内部事情」みたいなものがまるで感じられず、常に完璧に仕上がって
いるのには「恐れ入りました」というコトバ以外出てこない。


そこで「弦楽五重奏曲第3番」。この曲は1787年の作品。「3大交響曲」の前の
年、「ドン・ジョヴァンニ」の初演と同じ年・・・という事になるが、この大傑作、
誰かからの依頼で書かれたという作品では無いのだそうだ。この頃既に彼は
収入の激減に悩まされ、借金を重ねていた。その状況の打開策の一つとして、
彼は弦楽五重奏曲を出版するから予約を承ります・・・という広告を新聞に
載せたのである。果たしてその広告の成果があったのかはわからないが、
「とにかく収入を得るため」という、誠に生臭く現実的な目的のために彼が
生み出した作品がこの「3番」と、ペアで書かれた「4番」という2つの大傑作だと
言うのだから、全く呆れてものが言えないではないか。


この「3番」の、特に第3、第4楽章は、まさに「モーツァルト的」なものの結晶とも
思える至高の名作。完璧無比の造形に、そこから自然に湧き上がる楽しさ。
困窮と体調の悪化という追いつめられた状況の中で尚、この曲や「3大交響曲」
のような珠玉の名作をかくも大量生産出来たモーツァルトという男、やはり
「異常なる天才」と呼んで間違いない。それははたから見ると、まるで音楽の
神に肉体を乗っ取られた男がただただその肉体を酷使されて、幾多の名作を
「作曲させられた」ようにすら思える程。彼は30代半ばで若死にしてしまうが、
こういう状態で仮に60とか70まで生きながらえたとしても、それは彼 にとって
幸せだったとは(私には)思えない。


さてこの完璧無比な「3番」の完璧無比な名演が、アルバン・ベルクSQと
マルクス・ヴォルフによる1986年の録音。その全く隙の無い「ピントが合いすぎた
写真」のような鮮明な演奏には賛否両論あるけれど、聴く度に「ヤッパ、
凄いわ」と感嘆してしまう演奏である。このセットは彼らが録音したモーツァルト
の弦楽四重奏・五重奏曲を集大成したお買い得BOX。


それにしてもアマデウスさん。「濃すぎる」人生、誠にお疲れ様でした。
自分の生み出した大量の作品が、死後200年以上経っても毎日のように演奏
されるなんて想像してましたか。何々?「俺の作品の演奏で生まれている収益
のちょっとでも、生きてる内に前払いでもらえてたら、あんなに苦労する事
なかったのに・・」ですって?  本当ですねえ・・ お気の毒・・・・
★猫丸しりいず第244回


 
◎トゥビン:「クラット」組曲/交響曲第3番 他
ネーメ・ヤルヴィ指揮 バンベルク交響楽団  スウェーデン放送交響楽団 他
(BIS BISCD1402~1404C 5枚組 ※交響曲全集)


エストニアという国は日本でどの位知られているのだろうか?


日本人の旅行先としても昔に比べれば随分ポピュラーになっているし、大相撲の
人気力士(惜しくも引退してしまったが)把瑠都の出身国という事で、それなりに認知度も
上がったような気はする。ただ、1991年の独立から早25年近くが経過し、かつてこの国が
「ソ連の一部」であった事は忘れ去られようとしているように思われてならない。


私がこの国の首都タリンを訪れた時、最も強烈に印象に残ったのは、世界遺産の旧市街
では無かった(いや、旧市街はもちろん素晴らしいけれど)。最も印象的だったポイント。
それはとあるスシ・バーである。寿司という料理がこれだけ世界を席捲している今、
エストニアにスシ・バーがあったって何の不思議も無い。しかし、その店「SUSHI CAT」は
ただのスシ・バーでは無かった。何とそこは「萌え系スシ・バー」だったのである。
店内には明らかに日本のアニメを意識した「萌え系イラスト」が溢れ、店員のお姉さん達は
全員「猫耳」を付けメイド服姿。モニターでは日本のアイドルの歌が流れ(往年の名曲
「コンピューターおばあちゃん」が流れていたのには爆笑しそうになったが)、ソファーはド派手
のショッキング・ピンクという、誠にもってアナーキーで日本人には突っ込みどころ満載の
珍スポット。かなり以前に当「猫丸」で、「ドラえもん」の世界制覇?ぶりの凄まじさをネタに
した事があったが(コチラをどうぞhttp://blog-shinjuku-classic.diskunion.net/Entry/850/)、
日本のアニメ・ヲタク文化がここまで「普通」に浸透しているのには、ある種の「感慨」すら
覚えてしまった。ちなみに肝心のスシは(日本の「寿司」とは違うが)結構イケるし、かなりの
繁盛店であった。タリンを訪れる日本の方には是非怖いもの見たさ?で覗いてほしい
スポットである。


それはともかく、エストニアを代表する作曲家と言えば、今日一般的にはアルヴォ・ペルトなのだろう。
しかし、私にとってそれは断然エドゥアルド・トゥビン(1905~1982)である。。彼は1944年に
エストニアがソ連の侵攻を受けた際、スウェーデンに亡命し、77歳で亡くなるまで
ストックホルムで活動した。彼の作品が正当に評価されるようになったのは、没後に
同郷のネーメ・ヤルヴィがその作品を積極的に演奏、録音してからと言える。私が初めて
接した彼の作品は「交響曲第3番&第8番」。そのインパクトは誠に強烈だった。
「極太の黒マジックで書いたゴシック体の文字」という趣きのその音楽は、言わばシベリウス+
ショスタコーヴィッ チ÷2という味わい。英雄的な「3番」、謎めいた「8番」、いずれも一発で
気に入ってしまい、その後もこの人の作品を色々と聴いてみる事となった。どの曲にも
強靭な「意志」を感じる彼の作品だが、ダイナミックでわかりやすい「クラット(悪鬼)」は
初めてトゥビンの作品に触れる方にまずおススメしたい名曲。続いては「交響曲第3番」か。


亡命後の彼の作品は、全体的に苦悩の色が漂う晦渋な色合いとなっていく。ソ連によって
祖国を奪われた悲嘆が、作品に重くのしかかっているのを感ずる。地図を見て頂ければ
わかるが、スウェーデンとエストニアはバルト海を挟んでまさに「対岸」。ストックホルムから
タリンまでは飛行機ならば1時間で着いてしまう至近距離だ。そんな、手を伸ばせば届きそうな
近さにありながら、遂に祖国に戻る事の叶わなかったトゥビン。その心境を思うと、何とも
やりきれない気持ちに襲われる。


トゥビンの作品の真価を知らしめるに当たり、ネーメ・ヤルヴィとBISレーベルが果たした役割は
まさに偉大である。ご紹介のセットはヤルヴィの一連のトゥビン作品の録音から10曲の交響曲、
「クラット」組曲、「トッカータ」を5枚のCDにまとめたもので、トゥビンの音楽に接するのに最適と
思える名盤。ただ、「コイツの真価を伝えられるのは俺しか居ない!」みたいなヤルヴィの気迫、
使命感のようなものが前面に出過ぎている感は拭えない。この全集の後に、フィンランドの
ALBAレーベルからヴォルメル指揮エストニア国立響という、「地元勢」を起用した録音が登場
したが、そちらはすでに作曲家・作品に対するステータスが確立しているという条件のもとで、
より客観的にハイレヴェルな演奏を目指した・・という趣き。こちらも非常に優れた、甲乙つけ難い
名演だ。まあ、ソ連崩壊の発端となったバルト3国の独立にリアルタイムで接した私には、若干
オーバーヒート気味ではあるが、ヤルヴィ盤の激演がどうしても捨て難くはある。


そして私はつくづく思う。あの「SUSHI CAT」をトゥビンに見せてやりたいと。エストニアの若者達が
極東の異国のポップカルチャーをここまでストレートに受け入れ、笑顔を振りまいている姿を。
国内外の観光客で賑わうタリンの旧市街、小奇麗でスタイリッシュなタリンの空港も是非
見せてやりたい。


エストニアはこんな自由な国になったのですよ。良かったね、トゥビンさん。
★猫丸しりいず第243回
◎ニールセン:アラディン組曲
ニクラス・ヴィレン指揮 南ユトランド交響楽団
(NAXOS 8557164)


◎モーリタニア・イスラム共和国国歌(ブレイナー編)
ピーター・ブレイナー指揮 スロヴァキア放送交響楽団
(MARCOPOLO 8201001 ※10枚組「世界の国歌 2013年完全版」)
ヨーロッパの作曲家たちにとって、トルコやアラブといった東方的、異国的な響きの
音楽や物語は、大いに創作意欲をかきたてられる素材であった。


そこで「アラビアン・ナイト」。まさに異国的で面白い話が満載なのに、これをネタに
した有名なクラシック音楽作品は意外な程少ない。「シェエラザード」は別格的に
有名だけど、「アリババと40人の盗賊」や「シンドバッド」を単独で素材にした有名曲が
見当たらないのは、私にとっては意外である。数少ない例外と言えるのが、カール・
ニールセンの劇付随音楽「アラディン」。1918~19年にかけての作曲・・という事は
交響曲第4番と第5番の間に書かれたというわけで、ニールセンが作曲家として
まさに脂の乗り切った時期に生まれた作品という事になる。


この傑作、マイナー名作と思いきや、実は吹奏楽に携わっている方には結構ポピュラー
な曲らしい(一部の曲が吹奏楽用に編曲されて頻繁に演奏されているとの事)。
レスピーギの「シバの女王ベルキス」も同様なポジションの作品だが、こうしたエキゾ
ティックな曲は吹奏楽では演奏効果が高いという事なのだろうか。
いかにもニールセンらしい、ガッチリした、推進力に溢れた、そしてユニークな曲である。
中でも素晴らしいのが「エスファハンの市場」。4つの異なった音楽が重なり、同時進行
しながら異国的な情緒を盛り上げていく。ペルシャのスークの中をさまよっているような
マカ不思議な感覚・・・。サスガです。ニールセンさん。
ちなみにご紹介のNAXOS盤、ニールセンの主要管弦楽曲を集めた1枚。曲によって
出来にバラつきがあるのは惜しいが、デンマークの楽団らしい、多少粗いが推進力に
溢れた演奏は「アラディン」には大きくプラスに働いており、楽しく聴ける。
 
今回はもう一曲、アラブ的エキゾティックな名作の最高峰と呼びたい名曲をご紹介
したい。しかもそれは「国歌」である。
 
「モーリタニア」という国をご存じだろうか。アフリカの北西部、モロッコの南に位置する
この国について即答出来るのは、私のような地図・地理ヲタクか、この国に関する
仕事に携わっている方くらいではないだろうか。しかしこの国、意外に日本とは縁が
深い。両国を結びつける大きな材料は「蛸(タコ)」である。日本で消費されるタコの多くは
、この国やモロッコといったアフリカ北西部から遥かかなたの日本まで運ばれてくる
モノなんだとか。この「モーリタニア・イスラム共和国」の国歌。これがヤバイ。
大傑作である。国歌の奥深さについてはこれまでも当「猫丸」で何度もとり上げている
通りだが、「任侠映画のテーマ曲」の如き、勇ましいアゼルバイジャンの国歌など私の愛する
ユニーク国歌が他にも色々ある中でもこの国歌は「別格」と言ってよい。
以前に当「猫丸」でアメリカ合衆国国歌「星条旗」を「実は意外に難曲」とご紹介した
事があったが(詳しくはhttp://blog-kichijyouji-classic.diskunion.net/Entry/1985/)、
モーリタニアの国歌はその「星条旗」すら「圏外」に追いやってしまう程の超難曲。
その「特異」すぎるリズムや旋律は、プロの歌手ですら容易に歌いこなす事は困難だろう。
ハッキリ言って、素人には「歌えない」。「誰にでも歌え、覚えられる普遍性」が国歌の
「キモ」であるならば(事実そういう国歌がほとんどである)、モーリタニアの国歌は
そうした要素を全く考慮に入れていない(ようにさえ思える)珍曲である。
 
しかし、「歌いやすい」「覚えやすい」等々の実用的な要素を全く排除した上で、これ程
魅惑的な国歌を私は他に知らない。そのブッ飛んだ魅力を味わえる音盤が、マニア
御用達のMARCOPOLO盤オンリーなのは「いかにも」な感じ横溢ではあるが、「エスニック
系名曲」を愛する貴殿なら知らないのは大損・・と断言したい珍作&名曲である。
ちなみにこの「世界の国歌完全版」は、「ここって普通の意味での独立国家じゃないんでは」
と言いたい「地域」のも含めた堂々CD10枚組の大偉業。
 
それにしても、欧州の、そして今日では私のような極東の住人をも魅了して止まない
文化遺産の宝庫が、イラク、シリア、イエメン、パキスタン、アフガニスタン等の「観光」
はおろか「入国」すら容易でない地域に散在している事は残念の一言に尽きる。
「古代から文明が栄えるほどの要所」だった事が、今日においても様々な勢力の
利権争いの最前線になってしまう事に繋がっているのだろうが、これらの地域を
「普通」に訪れる事が可能になる日々が遠からず訪れる事を熱望している。
★猫丸しりいず第242回

◎イッポリトフ=イワーノフ:トルコ行進曲、トルコの断章、「コーカサスの風景」第2組曲
アーサー・フェイゲン指揮 ウクライナ国立交響楽団
(NAXOS 8553405)
第239回で予告した「純正?トルコ行進曲」がいよいよ登場。その生みの親は、当「猫丸」
には久方ぶりの登場のロシアの大家、ミハイル・イッポリトフ=イワーノフである。
 
それにしても、ある程度の知名度を保っているにも関わらず、これほどまでに今日無視
されている作曲家も他にいないのではないだろうか。かつては有名だった「酋長の行進」
や、それを含む「コーカサスの風景」第1組曲は別にして、その作品はメジャー・レーベル
からは相手にもされず、音源入手にはNAXOSやMARCOPOLO、ASVといった「マニア系」
レーベルしか頼るすべが無い状態なのは、寂しい限り。
 
この人はリムスキー=コルサコフの弟子で、ペテルブルク音楽院を卒業後、現在のグルジア
のトビリシに新設された音楽学校の校長に就任。その後チャイコフスキーの推薦で、
モスクワ音楽院に着任し、その後長年に亘りモスクワ音楽院の院長を務めた。彼の作品に
コーカサスやトルコの音楽から影響を受けたものが多いのは、最初にグルジアに赴任した
事と繋がっているのだろう。
 
さて、そんな彼の「トルコ行進曲。何とも異国的で、明るいマーチである。植木等&水前寺清子
系・・というか、「ツライ事もあるけれど、そのうち何とかなるだろう」的な楽天的ムードがこの曲
最大の魅力。実際のトルコの軍楽にはもうちょっと哀愁というか、「翳り」みたいなモノもある
けれど、この楽しい曲の前ではそういう小ウルサイ事は言いっこなしだ。

他の収録曲も名作オンパレード。「トルコの断章」の第1曲「キャラバン」は、聴き始めて30秒も
しないうちに「ラクダに乗って荒野を進む商隊」の情景が即座にアタマに浮かぶ、まさに
「トルコ版 月の沙漠」と呼びたい超名作だし、「第1組曲」に比べて全く無視されているのが
不可思議な「コーカサスの風景 第2組曲」も名曲の一言。この「第2組曲」、第2曲の「子守唄」
に、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」の「アラビアの踊り」と同じ旋律が登場して「オヤッ」と
思わせる。この物憂い、魅惑的な旋律は実はグルジアの子守唄なのだそうだ。3曲目の
「レズギンカ」は「ガイーヌ」でお馴染みのあの舞曲と同じだが、終始ハイテンションの「ガイーヌ」
のそれに比べ、最初はゆっくり始まり、徐々に音量、速度を上げ、最後はプレストで大熱狂という
巧みな緩急を用いたこの曲は「ガイーヌ」にも勝る興奮を呼び起こす。彼の作品をいろいろ
聴くと、なぜハチャトゥリャンの人気がこれほど高い日本で、イッポリトフ=イワーノフの曲が
全く無名なのか不可解に思えて仕方が無い。ちなみに彼は終始和音を「ジャン!ジャン!」と
2回鳴らすのが大好きという事もわかる。

彼の作品に特化したCDで最も入手しやすいと思われるのが、今回ご紹介のNAXOS盤。
この盤、最初の「コーカサスの風景第1組曲」が、何だか「低血圧の人の起床直後」という感じで
イマイチ血の巡りが悪く、「オイ!大丈夫か!」と先行きに不安を抱かせるのだが、続く「第2組曲」
以降は中々の演奏を聴かせてくれるので、まずはおススメ。
ところで、前々回でご紹介したグルジアの巨匠ジャンスク・カヒッゼ。イッポリトフ=イワーノフの
グルジア風味炸裂の名作たちを指揮するのに、これ程ふさわしい男も他にいないと思われるのに、
それが実現しなかったのは個人的には残念無念。「ガイーヌ」であれだけ吹っ切れた大名演を
成し遂げているだけに・・・・・

今や「絶滅危惧種」「危機遺産」なみのポジションにまで追いやられた感のある、イッポリトフ=
イワーノフの名作たちを忘却から救い出すために、立て!万国のイワーノフ好き諸君!!!
★猫丸しりいず第241回


◎グルック:歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」(1762年ウィーン版)
ジョン・エリオット・ガーディナー指揮
イングリッシュ・バロック・ソロイスツ
マクネアー(S) レイギン(カウンターT)他
(海外DECCA 4783425)
旧約聖書やギリシャ神話は面白い。面白すぎる。

単に「オハナシ」として面白いだけでなく、極めて人間臭く、21世紀に生きる我々が
読んでも大いに共感出来るものが多い事が、親しみを感じさせる。旧約聖書、
ギリシャ神話を素材にしたクラシック音楽作品がゴマンと存在する事も大いに
頷ける。

そこで今回のテーマ「立ち止まるな振り向くな」。

神話、民話、伝承には「禁止モノ」が非常に多い。人間は「禁止」されるとかえって
その対象に興味が湧いてしまう・・という困ったイキモノ。また、その「禁止事項」を
遵守する事が本当に「人として」正しい事なのか・・と苦悩するイキモノでもある。
そして、その「禁止事項」を守れなかったためにその人物に降りかかる運命や
如何に・・・。「夕鶴」「杜子春」等もその手の話だが、「決して後ろを振り返っては
いけない」と言われたのにそれを守れなかったために・・・という有名な話が
2つある。

1つは旧約聖書の「創世記」に出て来る頽廃の都ソドムに住む男ロトと、その妻の
話。ソドムの街の乱倫ぶりに怒った神が、この街を滅ぼす事にするが、その際
ロトを救う代わりに「決して逃げる時に後ろを振り返ってはいけない」と命ずる。
ところが一緒に逃げたロトの妻は、禁を破って後ろを振り返ってしまったため、
塩の柱に変えられてしまった・・という話。妻はソドムに残してきたものに未練が
あったのか・・・。

そしてもう1つが、ご存じ「オルフェウス」。妻エウリディーチェを何とか冥界から
連れ戻したいと思ったオルフェウスが、「冥界から出るまで決して振り向いては
いけない」という禁止事項を最後の最後に破ってしまったため、再び妻を喪って
しまう、というあの話である。私は子供の頃からこの話が非常に好きだ。人間を
人間たらしめている(と思う)「葛藤」というモノを、私はオルフェウスと杜子春から
学んだ気さえするのである。オルフェウスを巡る物語は古今の作曲家たちにも
大きな共感、関心を呼んだと思え「オルフェウスもの」の楽曲は非常に多い。
その中の代表選手は疑いなくグルック(1714~178 7)のオペ ラ。

この曲、オルフェオを歌う歌手がメゾ・ソプラノ、カウンター・テナー、バリトンと
色んなヴァージョンがあってややこしい。元々カストラート(去勢された男性歌手)
が歌う事を前提に書かれたが、後の1774年にパリで上演する時に、フランスでは
カストラートの出演が禁じられていたため、オルフェオ役をテノールに置き換え、
同時に色々手直し(有名な「精霊の踊り」はこの時に追加された楽曲なのだそうだ)
を行なった・・という経緯が、このややこしさの原因になっている。どのヴァージョン
が好きかは意見が分かれるだろうが、レイギンの歌唱が凄いガーディナー盤は
中々おススメ。カール・リヒターが指揮し、フィッシャー=ディースカウがオルフェオ
を歌ったDG盤は、エウリディーチェをヤノヴィッツ、愛の神をモーザーが歌うという
大豪華キャスト。ただ、フィッシャー=ディースカウのオルフェオは面白いが賛否は
分かれそう。「竪琴の音で周りをウットリさせる吟遊詩人」という感じは薄い。

ちなみにグルックは大バッハとハイドンの中間世代で、丁度バロックから古典派
への「橋」の役割を果たした人。「オルフェオとエウリディーチェ」は、バロックの
香りを残しながらも中々劇的な作品で、合唱の扱いも巧みであり、この人が
「オペラの改革者」と呼ばれるワケが良くわかる。そしてこの曲は、日本人による
最初のオペラ上演でとりあげられた作品でもあり、1903年に東京音楽学校で
行なわれた上演でエウリディーチェを歌ったのは、あの伝説の名歌手、三浦環
だったのだそうだ。

それにしても「振り向くな」と言われれば振り向きたくなり、「見るな」と言われれば
覗きたくなる、本当にしょうもない人間というイキモノ。だけど、人間が皆「禁止」を
守れる正しい人ばかりだったら、そこには人間臭いドラマは決して生まれない
だろう。つくづく厄介なイキモノですな、人間って。
★猫丸しりいず第240回


◎ムソルグスキー:「ホヴァンシチナ」~モスクワ河の夜明け、「展覧会の絵」(ラヴェル編)他
ジャンスク・カヒッゼ指揮 トビリシ交響楽団
(独HDC INF20 ※廃盤)
接した音源の数は少ないのに、妙に強烈な印象を残す演奏家がいる。
私にとってグルジアの巨匠、ジャンスク・カヒッゼ(1936~2002)はそういう人だ。


この指揮者は、私の音楽人生のあちこちで突然に登場し、その都度強烈な印象を
残していった不思議な人である。彼の演奏に初めて接したのはMELODIYAの
国内盤レコードで聴いた「ガイーヌ」の全曲盤(1978年録音)。とにかく度肝を抜かれた。
プロローグからフィナーレまで、とにかく表現に「迷い」が皆無である。
曲頭の「狩」の場面から吹っ切れた大音響が炸裂。弦は歌いぬき、管は咆哮し、打楽器は
容赦なく強打される。「ガイーヌ」の全曲は約2時間30分の長丁場だが、この演奏はその
「長さ」を全く感じさせないどころか、「後半は昼飯喰ってからでいいや」みたいな
「ついで」感を全く許さない切迫感が漂っていた。中でも「レズギンカ」や
「剣の舞」の強烈さは筆舌に尽くしがたく、「この曲はここまでやらないとダメだぜ」という
カヒッゼの肉声を聞く思いであった。とにかくこの「ガイーヌ」は自分にとっては」別格と
言いたい位の存在であり、「このカヒッゼって指揮者、一体何者?」という疑問が当然
芽生えたのであるが、当時彼の他の音源を探す・・などという行為はほぼ無意味に
等しく、しばらく私にとって彼は「謎の巨匠」であり続けた。


それから随分時間が経って、私は思わぬ形でカヒッゼという指揮者に「再会」した。
1986年のレニングラード・フィルの来日公演。この時のメインの指揮者は、当時まだ
「若手」だったマリス・ヤンソンスであったが、2回の公演限定であのムラヴィンスキーが
指揮をする・・という事になっていたのである。しかし既に齢80を超えていたこの巨匠の
来日は残念ながら実現せず、新聞広告に「ムラヴィンスキー来日中止」というお知らせが
掲載されたのを見ても、私は「ああ、やっぱりね」という感じで驚きもしなかった。
ところが・・。そのお知らせを読み進むと「代わりにムラヴィンスキー氏の強い推薦により、
ジャンスク・カヒッゼ氏が指揮いたします」とあるではないか。またも私は度肝を抜かれた。
演奏スタイルから言えばまさに対極(と当時は思えた)ムラヴィンスキーからの「強い推薦」
・・・。カヒッゼ先生、実はそんな大物だったんかい! 彼が日本の土を踏んだ機会が結局この
1度だけにとどまったのは、今思えば本当に惜しかったと思う。


そして、3度目の彼との出会い。それは謎のレーベルHDCから、彼がグルジアの首都トビリシの
手兵オーケストラを振った音源のCDが大量に出た時である。色々聴いた。そして確信した。
彼はただの「爆演指揮者」ではない。真の巨匠であると。大先輩のムラヴィン爺さんから推薦
されても不思議ではない。中でも印象的だったのが、ムソルグスキーの作品集。
「モスクワ河の夜明け」や「禿山の一夜」の端正と言って良い名演奏もさることながら、
「展覧会の絵」が素晴らしかった。この演奏、全編に漂う「うらぶれ感」が全く独自の味わいを
醸し出している。欧米の有名オケによる演奏が洗練されたレストランのようなのに対し、
このカヒッゼ盤は「港町の路地裏の裸電球の灯る飲み屋」の如き雰囲気なのだ。
暗めだがどこか温かいオケの音色(特に管楽器)、様々な意味で厳しい環境のロシアで
健気に生きる人民たちの姿が浮かぶような表現。あのラヴェルのスコアからこういう演奏を
生み出せるとは、カヒッゼ只者では無い。ちなみにベートーヴェンの交響曲も「3番」「5番」
「9番」と出たが、これがまた正攻法かつ恰幅の良い名演ばかりで驚かされた。
残念な事にこのカヒッゼ&トビリシ響のCDは現在廃盤。そして彼が60代半ばという指揮者
としてまだまだこれから・・という時に癌で亡くなってしまった事も誠に惜しまれる。


「ソ連人民芸術家」の称号を持っていたカヒッゼ。実は冷戦終結後には欧米の各地のオケに
客演し、中々の評価を得ていたらしい。日本のどこかのオケが彼を定期的に招聘していたら、
スヴェトラーノフ、フェドセーエフ、ロジェストヴェンスキーといった名匠たちに劣らない人気と
評価を日本でも獲得していたかも知れない・・・と思うと、これまた誠に残念無念である。
★猫丸しりいず第239回
◎モーツァルト:ピアノソナタ第11番イ長調 K.331
ワルター・クリーン(P)
(米VOX CDX5046 ※2枚組 ピアノ・ソナタ集第2巻)
◎サイグン:交響曲第1番・第2番
アリ・ラシライネン指揮 ラインラント・プファルツ・フィルハーモニー管弦楽団
(独CPO 999819)
17世紀の欧州を震撼させた、オスマン・トルコ帝国のウィーン包囲戦。
この戦いの「置き土産」となったのは、コーヒーとクロワッサンと、そしてトルコの
軍楽。古典派の作曲家たちの間では「トルコ風」の音楽が一大ブームとなった。
その筆頭がモーツァルト。彼は余程トルコの音楽に魅了されたのか、
「ヴァイオリン協奏曲第5番」「後宮からの逃走」等の「トルコモノ」楽曲を色々
遺しているが、何と言っても筆頭は「トルコ行進曲」。
この曲とは随分長いお付き合いではあるが、私は何度この曲を聴いても
これが「行進曲」とは思えないし、それほど「異国的」とか「東方的」な響きも
感じない。後輩ベートーヴェンの「アテネの廃墟」のトルコ行進曲にはそれなりに
異国的なマーチという趣きは感じられるのだが・・・。


前回とりあげたゲルンスハイムやドレーゼケといった人々とは対照的に、
モーツァルトはどんな曲を書いても「モーツァルト印」の刻印をクッキリと残せる
稀有な才能の持ち主であった。以前に当「猫丸」で「音楽の冗談」をネタにした際
にも触れたが、モーツァルトには真の「コテコテ色物」的な作品はムリだったのかも
しれない。「音楽の冗談」でも、彼は彼なりのギャグや工夫を取り入れているのだが、
彼の「天才」というフィルターで濾過されてしまった結果、出来た作品は端正な
「モーツァルト的」な作品と「なってしまった」。上記の彼の「トルコモノ」作品にも
同様な事が感じられる。天才すぎる事はある面では困った事なのかもしれない。
毎度ながら凡才のヒガミかな?・・・


さてこの「11番」の録音はまさに無数と言える程に存在するが、私にとって
かけがえの無い1枚が今回ご紹介のクリーン盤。ウィーンの名匠、ワルター・
クリーン(1928~1991)が、1989年に来日した際に若杉弘指揮のN響と共演した
モーツァルトの「27番」の協奏曲が忘れ難い。当時私はこのピアニストの事を
全く知らなかったが、この上なく自然体で洒脱で、しかも上品なその演奏に私は
一発で魅了され、「次回来日の際には絶対リサイタルを聴きに行くぞ!」と心に
決めたものだった。しかし、その2年後に彼は62歳という若さで他界してしまった
のである。誠に痛恨事であった。この「ソナタ集」は1964年に録音されたものだが、
どの曲もまさに「自然体」の名演オンパレード。まるで風呂上がりのオッサンが
ご機嫌に鼻歌を歌いながら瓶ビールを飲んでます・・・みたいな感じである。
自然で楽しげなのに端正・・・。こういう境地の名演は、他にモンポウの自作自演
位しか思い当たらない。クリップスによる交響曲の録音(PHILIPS)と双璧と言える、
モーツァルトの名盤である。


ところで、西洋クラシック音楽の影響を受けたトルコの作曲家が遺した作品・・
という「逆パターン」のクラシック音楽作品に接した事がおありだろうか。
恐らく最も音源入手が容易と思われるトルコの作曲家が、アーメド・アドナン・
サイグン(1907~1991)である。イズミール出身で、パリでダンディに師事したという
この人の作品、CPOレーベルから数点CDが出ている。
トルコ・・・という事で、ハチャトゥリャンに代表されるコーカサスの作曲家たち
のようなエキゾティックで「濃い」曲を期待して聴くと、ある意味では肩透かし
を喰うかもしれない。この2曲の交響曲、確かにトルコの大地に根差した作品で
ある事は感じられるが、エネルギッシュではあるけれども決して「野蛮」では無い。
このCDのライナーノーツによれば、サイグンは1936年にバルトークが民謡の
収集でトルコを訪れた際、アシスタントや通訳を務めたのだそうだ。その影響なの
かはわからないが、サイグンの作品にはちょっとバルトークを連想させる一種
ヒンヤリとした感触がある。その辺りが好き嫌いを分ける可能性はあるが、
聴きやすい作品なので、コーカサスやバルカンの音楽に関心のある方には
ご一聴をおススメしたい。


実は「これぞ純正?トルコ行進曲!」と呼びたい作品をロシアの某作曲家が
遺しているのだが、この作品についてはまたの機会に・・・・
★猫丸しりいず第238回
◎ゲルンスハイム:交響曲第1番~第4番
ジークフリート・ケーラー指揮 ラインラント・プファルツ・フィルハーモニー管弦楽団
(独ARTE NOVA 74321 63635 2/※現行流通盤はANO636350)
◎ドレーゼケ:交響曲第3番「悲劇的」
ジョージ・ハンソン指揮 ヴッパータル交響楽団
(独MDG 3351041-2)
今日我々が日常的に親しんでいるクラシック音楽の「名曲」は、無数にある音楽作品の
中のほんの氷山の一角にすぎない。「大作曲家」と呼ばれる人たちもまた然りだ。

では「大作曲家」とそれ以外の大部分の「作曲家」を分けた境界線は何であったか。
この事については以前に当「猫丸」でサリエリをネタにした際にもとりあげたが
(詳しくはコチラで・・  http://blog-kichijyouji-classic.diskunion.net/Entry/1935/)、
どんな曲を聴いても「ああ、この人の作品だな」と聴き手に認識させるような真の個性、
その作曲家の「刻印」みたいなものを残せるまでの能力があったか否か・・という事に
尽きると思う。その「刻印」を刻める才能に恵まれたごく少数の作曲家の作品群は
何百年たっても繰り返し演奏され、確固たる地位を築いているのに対し、そうで無い
大多数の作曲家の作品たちは、作曲家の存命中はそこそこ演奏される機会はあっても
次第に忘れ去られ、埋没してしまう運命にある。これは仕方の無い事なのだろう。

しかし「B級」には「B級」ならではの味わいがあるのは、食べ物も芸術も同じである。
驚くような名曲とは言えないにしても、「忘却、淘汰されるには惜しい」と思わせる作品は
少なからず存在する。そんな作品たちの中から今回は「ドイツ交響曲の裏名作」をご紹介。

まずはフリードリヒ・ゲルンスハイム(1839~1916)の4曲の交響曲。この人、1833年生まれ
のブラームスと同世代だが、実際ブラームスと親交があり、いろいろとバックアップも
してもらったようだ。存命中はそこそこ演奏機会のあった彼の作品、永らく忘却されていたが
その再評価の嚆矢となったのが、この「交響曲全集」である。何の予備知識も無しに聴いて
みて、「オッ! この心地良いB級感(笑)はどこかで味わった事があるぞ」と即座に思った
のである。そう、それは当「猫丸」の第1回を飾ったあの「ブルッフの交響曲」に初めて
出会った時の感触と実に似ていた。ドイツ・ロマン派の名交響曲のパッチワークの ような、
突っ込みどころ満載ながら中々に心地良い響きと音楽運び。ゲルンスハイムの交響曲は
ブラームスを基調に、他のドイツ・ロマン派の大家たちの作品の断片が入り乱れ・・みたいな
感じだが、管(特に木管)の使い方が上手く、非常に手堅い手腕の持ち主だった事が想像
出来る。ただ、「これこそがゲルンスハイムの個性」と言えるような「刻印」は遺せていない
のは事実で、他の幾多の作曲家たちと同様、この壁を突き抜けられなかった事が
彼の作品が永らく埋没してしまう結果を招いたのだろう。しかし彼の交響曲は、ブルッフの
交響曲が好きという物好き(笑)な貴殿には全力でおススメしたい。

そしてもう一人。ゲルンスハイムと同世代のフェリックス・ドレーゼケ(1835~1913)。
彼も4曲の交響曲を遺している。ゲルンスハイムがシューマン、メンデルスゾーン寄りとするなら
ドレーゼケの作品は幾分リスト、ワーグナー寄りと言えるか。恰幅の良いガッチリとした造りで
「ユルさ」は感じさせない。彼はドレスデンを中心に活動した作曲家で、存命中は結構な
名声と演奏機会を持った人であったらしいが、没後しばらく経つと忘れられてしまう。
しかしその第2次大戦前、彼の音楽は一旦「復活」する。ナチスによって「利用」されたのだ。
いかにもドイツっぽい雰囲気を漂わせ、壮麗な響きの彼の作品はナチの「ニーズ」に合った
のだろう。彼にとってはハタ迷惑な「復活」であるが。実際フルトヴェングラーも彼の作品を
とりあげようとしたが、ナチに利用される事を恐れて見送った・・・という話も聞いた事がある。

そんな数奇な運命を辿った彼の作品も、CD時代になってようやく本当の再評価がなされて
いる。CPOレーベルからは交響曲全集も出ているし、今回ご紹介のMDG盤も演奏、録音共
非常にレヴェルが高い。彼の作品は「ドイツ・ロマン派のちょっと濃い目の最大公約数」みたい
なポジションに留まっている感は否めず、唯一無二の個性を感じさせる・・という訳では無い
ので、やはり「B級」テイストは拭えない。しかしゲルンスハイム同様、埋没され無視されるには
あまりに惜しい・・と思えるのも事実だ。

ごくわずかの「歴史的名曲」の陰に隠れて無数に蠢く「B級作品」たち。私はそれらの存在意義
を無視したくない。ここで宣言。「我はこれからもB級を愛す」。
★猫丸しりいず第237回
◎ハチャトゥリャン:交響曲第2番「鐘」
アラム・ハチャトゥリャン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(独DECCA 448252-2)
世界のオーケストラの2大巨頭と言えばベルリン・フィルとウィーン・フィル。
貴方は「ベルリン派」か?「ウィーン派」か?と尋ねたら、結構意見は割れそうだ。


私はと言えば、断然「ウィーン・フィル派」である。
いや、ベルリン・フィルだって無論嫌いじゃない。しかし、カラヤン亡き後の
ベルリン・フィルは私には何だか「薄味」に感じられて物足りないのだ。


ウィーン・フィルに私が惹かれるのは、その「伝統」とかでは無くて、偉大なる
「芸人根性」である。「俺たちゃ芸人だぜ!」というスピリットをここまでハイレヴェルに
昇華させた団体は他には無い。それは彼らが「劇場の楽団」である事と無縁では
無かろう。ベームの「田園」とか「ハイドン交響曲集」のように、まさに「ウィーンの
薫り」と言うべき芳醇な音色で聴き手を酔わせたかと思えば、ノッたときの
「一丁やったるか!」という声が聴こえそうな猛烈な盛り上がり。極度に振幅の
大きい表現をいずれも高水準でやってのけるのは見事の一言である。


まさに膨大なこの楽団の録音の中でも、私が「3大名演」と呼びたい名盤。
その1がマルティノン指揮の「悲愴交響曲」。第1楽章の第2主題のまさに蠱惑的と
形容したい美演から一転、その直後の展開部の地獄の底に突き落とされるような
凄絶な猛演奏。その2がマゼール指揮の「マンフレッド交響曲」。第1&第4楽章の
とんでもないブチ切れぶり!あの柔和な「ベームの田園」と同じ1971年の録音で
ありながら、全く同じオケとは思えない。脱帽だ。


そして、その3、ウィーン・フィルの「裏名盤№1」の称号を捧げたいのが、今回
ご紹介のハチャトゥリャン。「交響曲第2番」は1943年に作曲され、プロコフィエフの
「交響曲第5番」やショスタコーヴィッチの「交響曲第7&8番」と並び立つ、
「第2次大戦モノ」の名作。ハチャトゥリャンは指揮者としても世界中から引っ張り凧の
人気で、日本を含む各国のオケで自作を披露したのだが、これは1962年の録音。
この録音が当初から計画されていたものなのか、実演の成功から急遽行われたもの
なのかはわからないが、普段のレパートリーからは全く縁遠い存在と思われるこの曲に
対し、ウィーン・フィルが信じ難いほどの共感と熱意のこもった爆演を聴かせる。


うねる様に情熱的で濃厚な「歌」を聴かせる弦楽器、ド迫力の打楽器、美麗な木管・・
強烈な爆演でありながら、ウィーン・フィルらしい持ち味を決して失っていないところに
この「芸人集団」たちのしたたかさを痛感させられる。本家アルメニアの楽団も真っ青、
と思わせる素晴らしい演奏だ。それにしても、手強いウィーン・フィルにここまでやらせて
しまうハチャトゥリャンという男、よほどオケの面々を惹きつける強力なオーラを放つ
人物だったのだろう。指揮者として大人気だったというのも何だかうなづける。
叶わぬ夢だが「交響曲第3番」も是非このコンビでやってほしかった。


尚、今回ご紹介のDECCAの2枚組、既に発売から20年近く経つゆえとっくに廃盤かと
思いきや、何と現役盤らしい。他にデ・ラローチャの弾く「ピアノ協奏曲」やリッチの弾く
「ヴァイオリン協奏曲」、スタンリー・ブラックの「仮面舞踏会」とのカップリング・・という
豪華な内容のおススメ逸品である。
★猫丸しりいず第236回
 
◎ヒナステラ:バレエ音楽「エスタンシア」「パナンビ」
 
ユージン・グーセンス指揮 ロンドン交響楽団
(国内KING/EVEREST KKC4033 ※ハイブリッドSACD 2015年2月発売)

 「中南米産のクラシック音楽」というと、多くの方は「濃い」「熱血」等々のフレーズを連想するであろう。
確かにメキシコ、ブラジルの作曲家たちの作品にはそういう印象が強い。


そんな中で独特の魅力と存在感を放つ、アルゼンチンの巨匠アルベルト・ヒナステラ(1916~1983)を
今回はご紹介。
彼の作品は確かに「ラテン的」である。しかし、「炎に包まれて突っ走れ!」と言わんばかりのハチャメチャな
「カオス」という感じは無く、その響きは乾いてクールで、一種ヒンヤリとした感触すらある。
その独特の整理整頓された響きは他の中南米の作曲家たちと異なる独自の味わいをもたらしているのだ。
彼は地元ブエノスアイレスの音楽院を卒業後渡米し、コープランドに師事したのだそうだ。確かに
ヒナステラの音楽の「乾いた響き、見通しの良さ」にはコープランドに通じる部分もあるが、彼の育った
「南米のパリ」ブエノスアイレスという街の雰囲気に根差す部分もあるのではないかと想像する。
「世界三大劇場」の一角、「テアトロ・コロン」を擁し、ヨーロッパ文化を「直輸入」して来たこの街は、
南米の中でも際立って洗練された場所だという(地球の裏側という遥か彼方の街ゆえ、残念ながら私は
まだ訪れた事は無いが)。アルゼンチン・タンゴにも通じる、一歩引いた、クールな感触。それがヒナステラの
音楽の大きな魅力だ。ちなみに私が初めて聴いたヒナステラの作品は、N響の定期公演で吉野直子が弾いた
「ハープ協奏曲」。なんと指揮はサヴァリッシュ! ヒナステラ初体験の指揮者がサヴァリッシュ博士とは
今思えば貴重な機会であった。


ヒナステラの作品は、「エスタンシア」を筆頭にこのところ徐々に録音の数が増えつつある。
ただ、皮肉にも中南米の指揮者やオケによる演奏は勢い任せの粗いものが多く、個人的には
「ちょっと違うんでは」と思ってしまう。彼の作品はめったやたらに盛り上げれば良いというものでは無く、
その演奏には「キレ」や「クールさ」が不可欠と思う。1958年というステレオ最初期の録音でありながら、
その鮮烈な演奏と録音で「永遠の名盤」と断言したいのが、今回ご紹介のグーセンス盤。
35ミリ磁気テープを用い、驚異的な音質で古くからファンを興奮させてきたエヴェレスト・レーベルの
代表的な1枚。供給が不安定だったこのレーベルの名盤が、日本のキング・インターナショナルから
SACDとして登場しているが、昨年の第1弾に続き、第2弾として発売されるアイテムの中にこれが含まれて
いる。


晩年にエヴェレスト・レーベルにまとまった量の名演を遺したグーセンス(1893~1962)。作曲家としても
活躍した他、ビーチャム指揮によるヘンデル「メサイア」の爆笑ド派手グーセンス版の生みの親としても
マニアの脳裏に刻まれる名匠である。キレ味抜群、明晰そのものの彼の演奏ぶりは、エヴェレストの
鮮烈な音づくりとベストマッチ! 同時代に同じく鮮烈な名演・名録音を多々遺したマーキュリー・レーベルが
ドラティやスクロヴァチェフスキ、シュタルケル等々、レーベルの音づくりのポリシーにふさわしい名匠たちを
起用して大成功を収めたのと同様、エヴェレスト・レーベルが今日に至るまで根強い人気を保持している
のは、グーセンスの大きな功績である。


ところで、このエヴェレスト・レーベルは私にとっても特別な存在だ。何しろ私が物心ついて初めて聴いた
クラシックのレコードの一つは、このレーベルの名盤、サージェント指揮ロンドン響の「展覧会の絵&
禿山の一夜」だったのだから。ギュスターヴ・クールベの名画「画家のアトリエ」を用いたジャケットと
ともに、その印象はトシをとっても色褪せる事が無い。このキング・インターナショナルのシリーズで
今後どんなラインナップが登場するのか。期待して待ちたい。
★猫丸しりいず第235回
◎山田一雄:交響的木曽、交響組曲「印度」、おほむたから 他
ドミトリ・ヤブロンスキー指揮 ロシア・フィルハーモニー管弦楽団
(NAXOS 8570552J)
不肖猫丸の音楽人生における2大恩人と言えば、芥川也寸志氏と
「ヤマカズ」こと山田一雄氏。ヤマカズさんへの賛辞と感謝は既にこれまでにも
「猫丸」で幾度もとり上げてきた通りだ。


ヤマカズさんの音楽家人生を俯瞰するのに好適なのが、以前とりあげた
彼がN響と共演した映像を集めたDVDに「オマケ」的に収録されている
1990年にNHK教育テレビで放映されたドキュメンタリー「喝采!指揮棒ひとすじ
山田一雄指揮者生活50年」。
 


このドキュメンタリーによれば、ヤマカズさんが指揮者として本格的にデビュー
したのは太平洋戦争勃発の年1941年。開戦の影響で当時の新交響楽団の
指揮者を務めていたローゼンストックの活動に制限がかかり、急遽代役と
して抜擢されたのだという。名指揮者のデビューにありがちな「急遽の代役」
をヤマカズさんも経験したわけだ。余談ながら、そのデビューに当たって
ヤマカズ氏の妹さんが病床から贈った激励の手紙が、そのドキュメンタリーの
中で紹介されているのだが、これが実に実に印象深い。70年以上前のものとは
思えぬ、まるで現代の女子高生が書いたような軽快な文章の中に、兄貴の
飛躍の機会 の到来を喜び、激励する妹の気持ちが存分に溢れている。
妹さんはそれから間もなく、病の悪化で若くして逝ってしまったそうだが、
指揮者としての本格デビューに当たってこんな心に沁みる手紙をもらえた
ヤマカズさん、幸せな男である。


その後の指揮者としてのヤマカズさんの歩みは、今更ここで書くまでもない。
しかし、指揮者としての名声が高まるのに反比例するように「陰」に隠れて
しまったモノがあった。それは、もともとは「作曲家」としてスタートしたヤマカズさん
の「作品」である。彼は「指揮者」としてのポジションが固まって以降、自分の作品を
ほとんど「封印」してしまった。だから我々は「作曲家」としてのヤマカズさんの
キャリアは知っていても、その作品を耳にする機会は中々持てなかったのである。


そのヤマカズさんが逝って約20年後、ついに現れたのが待望の「山田一雄
管弦楽作品集」。これまで文献でしか接する事の出来なかった作品たちが遂に
「音」で聴けるようになった意義は実に大きい。彼の作品は意外なほどに洗練され
スマートだ。「木曽節」や「ノーエ節」を取り入れた「交響的木曽」は中々に面白いが
「コテコテ土俗的」という感じは薄いし、「交響組曲印度」も、この手の作品にありがち
な「印度人もビックリ」的な妙な異国趣味は無い。ヤマカズさんが作曲家としても
実は中々の才能の持ち主だった事を実感させる。


この盤の中でも実に印象的な「怪作」が最後に収められた「おほむたから」。
「おほむたから」とは「天皇の民」を意味する古語だという。この曲は放送初演された
のは1945年(そう、終戦の年だ)の元旦。新年の祝賀曲・・・という名目の作品である。
だが。この曲全く「祝賀」の匂いがしない。何より、多くの聴き手が「オヤ?この曲、
何か聴き覚えが・・」という妙な感触に捕らわれる事だろう。そして程なく気付くだろう。
「アレレ?この曲、マーラーの5番とそっくりでは・・」そう、この曲はマーラーの「交響曲
第5番」の第1楽章が土台になり、そこに声明の響きを盛り付けた・・・という趣きの
作品なのだ。それにしても、マーラー5番の第1楽章と言えば「葬送行進曲」。
これを土台とした作品が「祝賀」っぽくなる筈が無い。1945年の年頭と言えば、もはや
日本の敗戦は決定的な情勢で、オーケストラの団員も次々出征していくような、
そんな時代。ヤマカズさんは、自らが圧倒されたマーラーの作品を雛形にして、
大日本帝国の落日を描いたのか。


その後彼は指揮者と作曲家という「二足の草鞋」を履く事無く、専ら指揮者として
活動し(上記のドキュメンタリーのタイトルが「指揮棒ひとすじ」となっているのは、
象徴的だ)たのだが、彼の作品を聴くと私なんぞは「もったいない」と感じてしまう。
しかし、人生において「何かを得る事は何かを捨てる事」なのかもしれない。
ヤマカズさんの人生の選択にいろいろと思いを巡らせてしまう1枚。
この指揮者のファンの方は必聴である。
★猫丸しりいず第234回
◎「十字軍の音楽」
デイヴィッド・マンロウ指揮 ロンドン古楽コンソート
(国内DECCA UCCD3257)
◎グリーグ:組曲「十字軍の兵士シグール」
オトマール・スウィトナー指揮 ベルリン国立歌劇場管弦楽団
(国内キング KICC3657)



宗教あれば、そこに争いあり。


何とも皮肉な話だが、歴史を眺めているとそう感じざるを得ない。
異教徒間の戦いのみならず、例えば同じイスラム教徒間でもスンニ派とシーア派の
争いが古くからあるように、異宗派間での争いも残念ながら絶える事が無い。
更に最近ではアルカーイダ、イスラム国、ボコ・ハラム等々のイスラム系(と称する)
過激武装集団のテロ行為が世界を震撼させている。「イスラム=テロリスト」みたいな
偏った印象が世の中に流布してしまっている事は、大多数の善良、敬虔なイスラム
教徒の皆様にとっては、この上なく迷惑な話なのではないだろうか。


さて、「宗教間の争い」と言えば、何と言っても「十字軍」である。
しかし、あまりにも有名な「十字軍」だが、「十字軍」について一言で語る事はほぼ
不可能である。乱暴にくくってしまえば「聖地エルサレムをイスラムの手から奪還する
目的で派遣された遠征軍」という事になってしまうが、世界史の授業の中でも、
十字軍に関するオハナシはあまりに錯綜していて、訳がわからなかった事を未だ
良く記憶している。中には単に権力者の支配欲を満たすための手段と言うか、
「なんちゃって十字軍」と呼びたくなるものも多い。十字軍の遠征は結果として東西
文化の交流に結び付いた面もあるが、現在まで続くキリスト教とイスラム教の対立
感情の根っ子となってしまってもいる。


その十字軍時代の音楽を現代に甦らせた名盤が、33歳で夭折した天才デイヴィッド・
マンロウの「十字軍の音楽」(1970年録音)。実に刺激的な名アルバムで、演奏、
録音とも素晴らしい。アルバムタイトルから「突撃~ !!」的な勇猛な音楽が続くのか
と思いきや、実に牧歌的で心地良い響きの曲ばかりである。ドンドコドンドコという
太鼓のリズムに若干「戦い」を連想させたりもするものの、全体的にいたってのどかな
雰囲気。そして何より、全編に漂うエキゾティックと言うか「オリエンタル」な響きが
実に良い味わいを醸し出している。ギリシャ正教の本山として建てられながら、現在は
イスラム寺院となっているイスタンブールの「アヤ・ソフィア」をつい連想してしまうが、
「東西」と「異文化」が混合した不思議で、しかも居心地の良い響き。マンロウの傑作
である。


「十字軍」と言えばもう一曲、グリーグの名作「十字軍の兵士シグール」を忘れる事は
出来ない。この曲は12世紀に5,000人の兵を率いて聖地に赴いたノルウェーの王
シグール1世を題材とした戯曲のための劇音楽として書かれた作品。大傑作でありながら
「ペール・ギュント」や「ピアノ協奏曲」等の人気作に比べ、演奏機会も録音もわずかで
知られざる存在となっているのが惜しまれる。古雅な響きの「前奏曲」も良いが、
何と言っても素晴らしいのが堂々9分にも及ぶ「忠誠行進曲」。これ程壮大な行進曲は
他にあの「ジークフリートの葬送行進曲」位しか思い当たらない。この曲を聴くたびに
思わず居住まいを正してしまう私。「カウチポテト」などというだらけた聴き方を許さない
凛々しい名作である。


この「シグール」の名盤がスウィトナー。この盤さえあれば他は不要と言っても良い位だ。
スウィトナー&ベルリン・シュターツカペレの数多い録音の中でも疑いない最高傑作
である。カップリングの「ホルベルク組曲」や「ノルウェー舞曲」も素晴らしく、この
名指揮者にもっと北欧の作品をとりあげてほしかった・・・と思わせる。
切れば血潮の吹き出すような、「魂」のこもった「忠誠行進曲」は何度聴いても痺れて
しまう。幸いこの名盤、安価で入手出来る。多くの方に聴いて頂きたい超名盤だ。


異文化の接する所に摩擦が生ずるのは止むを得ない事とは思うが、昨今の「イスラム」
過激集団の動きを見ていると、この先どうなってしまうのか・・・という思いを禁じ得ない。
世界の人々がお互いの文化、宗教を尊重して平和共存出来る世界。それは夢物語に
すぎないのだろうか・・・。