猫丸しりいずのカテゴリー記事一覧

★猫丸しりいず第293回(最終回)


◎ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」
オイゲン・ヨッフム指揮 アムステルダム・コンセルトへボウ管弦楽団
(DECCA 4758147 ※交響曲全集 廃盤)
前回お知らせした通り、足かけ8年、300回近く続いた「猫丸しりいず」も、遂に
今回をもって終了となる(その理由は後述する)。


実はこの「猫丸」の連載を開始する時に、「この連載の最終回のテーマはこの曲に
しよう」と心に決めていた曲がある。それこそがベートーヴェンの「第9」。
まあその時にはまさかこの連載が300回弱も続き、本まで出てしまう事態になる
とは想像もしていなかったが。


珍曲、珍演をこよなく愛するヘソ曲りの私にとっても、やはり「第9」は別格の存在
である。なぜこの曲にそんなに惹かれるのか。「孤高の名曲」と呼べる名作は、
他にも少なからず存在する。しかし、「第9」ほど孤高でありながら「人間臭い」
シンフォニーも無い。そこに強く惹かれるのである。


初めてこの曲の終楽章を歌詞対訳を見ながら聴いた時、「オオッ」と思う出来事が
あった。例の「歓喜の歌」の旋律を合唱が2度目に歌う時、なぜか後半に音量が
スーッと落ちる。音楽的には不自然で、「何でこんな事するのだろう」と不思議に
思っていたのだが、この部分の歌詞を知って腑に落ちたのだ。


そこは「心を分かち合える相手を得る事の出来ない者は、喜びの仲間から
人知れずみじめに去って行くが良い」という歌詞であった。まあシラー先生も
随分とシビアな事を言ってくれるが、この部分をそのままフォルテで絶叫させずに
そっと音量を落としたベートーヴェン。「ベートーヴェン=頑固一徹偏屈おやぢ」
という偏見に捕らわれていた当時高校生の私は、「ベートーヴェンさん、アンタ
敗者の気持ちがわかる優しい男だね、実は」と感動してしまった。
激動の人生の中で、多くの挫折を味わい自殺まで考えたベートーヴェン。
作曲家としては成功をおさめたとは言え、終生病や経済的な苦労が絶えず、
この「第9」すら自身の耳で聴く事の叶わなかった男。「伝記の中の偉人」では
無い、「悩み、苦悶し、戦い、喜ぶ一人の男」としてのベートーヴェンの心情は
、他の8曲とは比較にならない程の濃さで、この「9番」に込められているように
私は思う。


私が「第9」で最も好きなのは圧倒的に第1楽章。この楽章の凝縮度はつくづく
凄いと思う。そして終楽章の中間部、合唱が「兄弟よ。星空の彼方には父なる
神が必ずおられるのだ」と歌い上げる部分である。「神は必ず居ると確信して
いるけれども、そこに到達出来るかわからない」という感じの、憧憬と現実の
せめぎ合いを感ずる。胸が熱くなるこの崇高な響きを生み出した男が、それを
自身の耳で聴く事が出来なかったなんて・・・・。


天文学的な数のある「第9」の音源の中で、今回選んだヨッフム&ACO盤は
恐らくかなり地味な存在だろうし、正直、これを上回る名盤は少なからずあるが、
「初めて自腹で買ったレコードの一つ」であり、自分にとってかけがえの無い
存在であるこのヨッフム盤を選ぶのに躊躇は無かった。2枚組で2,600円という
価格は当時の自分の「可処分所得」を考えれば大きな買い物だったが、オケの
ふっくらとした美しい響きを活かした格調高い演奏に一発で魅了された事は
未だに忘れ難い。


さて、「猫丸」が今回で終了となる理由を最後にお伝えしなければならない。
実はこの6月末をもって、ディスクユニオンから退く事になった。
7年半に亘り、新宿、吉祥寺の店頭でご愛顧頂き、お世話になった多くの
お客様、当「猫丸」をお読み頂き、色々とご指導ご鞭撻を頂戴した読者の皆様
には、どれだけ感謝を申し上げても足りない程である。


この連載に関しては、この演奏家や作曲家をテーマにしてほしい・・というリクエスト
も色々頂き、実際にそのお声をテーマに活かした事もあったが、全てのご希望に
お応えする事が出来なかった点については何卒ご容赦頂きたい。
また「猫丸しりいずの本」の続編についても少なからぬご希望を頂いていたの
であるが、残念ながらそれを果たせぬ結果となったのは、私としても心残りでは
ある。


自分にとっても、この連載を書くに当たってテーマとした作品、作曲家、演奏家
たちに関する様々な文献に接して、それらに対する知識や関心をより深度化
させる事が出来たのは大きな収穫であったし、何より自分のここまでの「音楽人生」
を振り返り、総括するという得難い機会を頂いたのは幸運だった。自分が如何に
恵まれた環境(人的にも物的にも)の中で「音楽人生」を歩んでこられたかを痛感し
感謝している。鉄道紀行の金字塔と言える名著「時刻表2万キロ」の後書きの中で
著者の宮脇俊三さんが、「これを書き上げたときは、自分の墓石を彫り上げたような
感慨さえあった」という感想を述べておられたが、その心境が少しは理解出来た
気がする。このしょうもない連載が、お読みの皆様のお役に多少なりとも立った
のであれば、それは私、猫丸にとって望外の喜びである。


最後に皆様。本当にありがとうございました。
そしてこれからも、ディスクユニオンをよろしくお願い申し上げます。
★猫丸しりいず第292回
◎グリエール:バレエ音楽「赤いけし」(全曲)
アンドレ・アニハーノフ指揮 サンクトペテルブルグ国立交響楽団
(NAXOS 8553496~7 2枚組)
「第2次大戦」「ヒトラーとナチ」「ソ連の誕生と崩壊」
もしこの3つが無かったら、20世紀のクラシック音楽史は相当変わっていたのでは
ないか。

中でも「ソ連」という国家がもし生まれなかったら、20世紀の「ロシア音楽史」は
どうなっていたのだろうか?という点には非常に興味をそそられる。
ソ連の、中でもスターリンの独裁体制下において音楽(を含む芸術)が社会主義の
称賛と、人民の「革命精神」を昂揚させるための手段となり、平易で前向きで、
労働者階級を鼓舞するもので無くてはならぬ、要するに須らく「党の政治方針にそった
模範的な作品」であるべし、といういわゆる「社会主義リアリズム」が跋扈する事と
なった。その方針に背いた作品や芸術家は弾圧、糾弾され、命すら危うい状況に
陥った。
 
そんな環境下に於いて、ソ連には膨大な量の、様々な意味で「わかりやすい」音楽
作品が生まれたのだが、それらを生んだ作曲家たちは「権力に妥協した」と見なされた
のか、サッパリ尊敬もされず、その作品も「ソ連邦内御用達」的な扱いを受け、永らく
一部のマニア以外には一顧だにされない状況が続いた。それら膨大な作品群は
ソ連の崩壊後、徐々にではあるが「西側」の聴き手にも紹介される機会が増えた。
ただ、その多くはB級作品で、マニア以外に一般的におススメ出来るとは言い難い。
まあフレンニコフやボイコ等々の手による「清々しい程にB級」な作品群には、
一種吹っ切れた面白さがあるのも事実だが。
 
しかし中には知られざる大傑作もある。それが「赤いけし」。
中国の港を舞台としたソ連船の船長と中国の踊り子の悲恋物語だが、背景と
なっているのは、搾取する資本家たちに蜂起する労働者たちと中国革命・・・という
「いかにも」な作品。同じく中国を舞台としたプッチーニの「トゥーランドット」とほぼ
同期生の1927年の作品である。作曲者のグリエール(1875~1956)は、
「社会主義リアリズムの模範作曲家」「体制寄り」という位置付けが今日まで定着
しているためか、どうも軽くあしらわれている気がしてならないが、同世代の
スクリャービンやラフマニノフに全く劣らない大作曲家と私は確信している。



この「赤いけし(芥子)」、先輩のグラズノフやチャイコフスキーのバレエ音楽の
精神をそのまま20世紀に引き継いだ・・という感じの、実に華麗な作品。
「ペトルーシュカ」「春の祭典」「スキタイ組曲」よりもずっと後輩の作品という事を
思えば、そのオールド・ファッションぶりは否定しようが無い。しかし、この曲は
決して19世紀の名バレエのカーボン・コピーでは無く、その精神は引き継ぎながらも
煌めくような華麗なオーケストレーション、聴き手をワクワクさせる壮大で英雄的な
音楽運び等々、グリエールの独自色が最上の形で現れた名曲なのだ。


このバレエは何故か「ソビエト水兵の踊り」だけが有名という時代が長く続き、
2時間近い全曲に触れる機会がまるで無かったのだが、CD時代になって遂に登場
(そして現在でも恐らく唯一)の全曲録音が、ご紹介のNAXOS盤。初めて聴いた時は
本当に驚き、こんな傑作の全曲盤がこれまで全然無かった事が信じられない思いで
あった。中国が舞台だけあって、中国風、五音音階の東洋的旋律が多く登場するが、
全編旋律美と色彩感に溢れた音楽には惹きつけられっ放しで、全曲聴いても
「長い」と感じさせない。それにしても、この作品の中では正直「陳腐」とも思える
「ソビエト水兵の踊り」だけがなぜ有名になったのかは、かえって不思議である。
この盤、演奏も良く、「苦力(クーリー)たちの踊り」の野卑なド迫力など「こうで
無くっちゃ!」とニンマリ出来る箇所も多い。CD時代になってようやく、そして急速に
認知度と人気が上昇したグリエールの作品だが、その普及に大きく貢献したのが
英シャンドス・レーベルの名匠エドワード・ダウンズとBBCフィルによる一連の録音。
3曲の交響曲や、バレエ「青銅の騎士」等、名演・名録音の嵐だが、この「赤いけし」が
組曲版の録音だったのが非常に惜しまれる。このコンビによる全曲盤が是非聴き
たかったのだが・・・。



ともあれ、ソ連時代の「社会主義リアリズム」楽曲は、まさに玉石混交で笑って
しまうような「大B級怪作」も多々あるが、マニア狂喜のB級グルメの宝庫である事は
間違いない。特にこれからの蒸し暑い、食欲・・じゃなくて「聴欲」が衰えがちな
季節には打ってつけ。さあ皆様もグリエールの華麗な名曲や、ポポフの怪しさ炸裂
プロパガンダ・マーチ「赤軍運動」なんかを大音量で聴いて、ダレた気分を
吹っ飛ばそう!!


さて、ここで皆様にお知らせがある。



足かけ8年に亘りご愛読を頂いた当「猫丸しりいず」であるが、次回の第293回が
最終回となる。珍曲、珍盤の類を優先的にとりあげてきた「猫丸」ではあったが、
大トリはあの孤高の名曲に登場頂いて格調高く(笑)シメたいと思う。
それではまた次回。
★猫丸しりいず第291回


◎ホルスト:惑星  冨田勲(シンセサイザー)
(国内SONY SICC30112)
◎冨田勲:「リボンの騎士」の音楽 前川陽子(歌)他
(東芝 TOCT10404 ※廃盤)
今年は本当に偉大な音楽家の訃報が多い。


5月5日に冨田勲さんが84歳で亡くなった。ただ、冨田さんが20世紀後半
から今日までの日本の音楽シーンにもたらした巨大すぎる功績の割には、
その功績を総括し、再評価しようという流れが鈍いように思えて残念だ。


「トミタ」という音楽家を最初にどんな存在として認識したか、という部分
では、恐らく聴き手の世代によって様々な「ズレ」が生じる事だろう。
それは冨田さんが如何に長い年月に亘って、多彩且つ先進的な仕事を
成し遂げて来たかという証明にもなる訳であるが。


ちなみに私は最初に冨田さんの事を「シンセサイザーのオジサン」として
認識した。私が中学生の時の1977年に発売された「惑星」が、冨田勲という
音楽家に初めて「意識して」接した音源であった。これを初めて(LPで)
聴いた時はまさにブッ飛んだ。ホルストの原曲をかなり自由に扱いながら、
そこにまさに宇宙的な広がりとド迫力、そして繊細なファンタジーを織り込んだ
「トミタの惑星」のインパクトは絶大だった。冨田さんはワルター・カーロス
の名盤「スイッチト・オン・バッハ」に大きな衝撃を受け、自らもシンセサイザー
に取り組み、1974年に第一作の「月の光」で大ヒットを飛ばし、それから
次々と 「惑星」を含むヒット作を生み出した。ただ、私は最初に聴いた「惑星」
のインパクトがあまりに強烈だったためか、これ以外のアルバムには「惑星」
を上回るほどの感銘を受ける事が出来なかったのが正直なところ。


この「トミタ」というオジサンは一体何者なのだろう・・・と興味を持った私は
その後驚愕の事実を知る。彼の「正体」は作曲家だったのだ。それも
「新日本紀行」「きょうの料理」「教養特集」等々のテレビでお馴染みの
テーマ曲はこの人の作品だったのである。更に驚いた事に、「ジャングル
大帝」も「リボンの騎士」も「キャプテン・ウルトラ」も彼の作品・・・・。
自分は生まれてこの方、「トミタの生んだ音楽」に囲まれていたのか・・・と
知った時の驚きは忘れられない。実際、私を含む1960~1970年代の子供
たちは、冨田さんの音楽と一緒に育ってきたと言っても過言では無いと
思う。


無論冨田さんはその後も作曲を続け、ヴァーチャルシンガーの初音ミクを
「ソリスト」として起用した「イーハトーヴ交響曲」など、実験精神に溢れた
作品を多々生み出している。ただ、私個人としては、30~40歳代の冨田さん
が黎明期~全盛期のテレビのために作った膨大な作品群が「作曲家トミタ」
の頂点を極めていると強く感じる。「新日本紀行」や「教養特集」のテーマに
おける弦のユッタリした深い「歌」と、それを彩るホルンや木管の用法の
絶妙さ!まさに「トミタの音づくり」としか形容出来ない素晴らしさで、その
精神は後のシンセサイザー作品の「手作り感」溢れる音づくりにも引き継が
れている と感じられるのだ。


冨田さんのテレビのための作品の量はまさに膨大で、NHKの音楽だけでも1枚の
アルバムが出来てしまう程であるが、自分が「中高年」になって聴き直して
「ウ~ン これは凄い」と改めて唸ってしまったのがアニメや特撮ものの
テーマ曲。上述の「リボンの騎士」や「キャプテン・ウルトラ」に顕著だが、
50年前の曲とは思えぬ斬新さ。同時代のアニメ・ソングの「巨匠」として
既に当「猫丸」では渡辺岳夫や小林亜星をとりあげているが、
彼らの名曲がほぼ「昭和歌謡」的な「起承転結」の流れを土台にしている
のに対し、冨田勲の曲はそういう「お約束」的な構成から逸脱した、
大胆不敵な造りなのに驚かされる。


私が「20世紀最高の名歌手」の一人と確信する前川陽子さん(彼女も
「猫丸」でネタにした事があるが・・・・・・
言える名唱で聴く「リボンの騎士」のテーマ。今でも全く「古さ」を感じさせず、
「トミタ」という作曲家の並外れた才能と独創性に驚嘆させられる。
冨田さんの偉大すぎる業績が俯瞰出来る大プロジェクトが実現する事を
切望してやまない。それにしても、プロ中のプロたちの素晴らしい仕事を
浴びるように聴いて育った1960~1970年代の子供たち、つくづく幸せな
世代だと思う不肖猫丸である。
★猫丸しりいず第290回


◎マーラー:交響曲第4番
ブルーノ・ワルター指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ギューデン(S)
(ANDROMEDA ANDRCD5041)
綾小路きみまろ師匠の大名言に「人間の死亡率は100%」というのがある。
不肖猫丸はこのコトバが非常に好きだ。座右の銘にしたい位である。


このコトバ、中々深い。「永遠の命など無いのだから、授かった命を大切に
して、一生懸命、納得のいく人生を送りなさい」と言われているようだ。
苦労人のきみまろ師匠ならではの含蓄あるコトバと思う。
まあ確かに「永遠の命」なるものを持っていたら、「生きる意味」を見い出す
事は難しいだろう。「人生は有限」だからこそ、そこに様々な文化やドラマが
生み出される事は間違いない。


そこで「マーラーの4番」。


背後に「死の影」が常につきまとうマーラーの作品の中では、この曲は例外的に
「明るさと喜びに満ちた作品」であるという評価が定番のようだ。しかし、私には
全然そうは思えない。それどころか、「4番」はマーラーの作品の中でも最も
油断ならないとさえ感じている。「ニコニコしながら近づいて来たけど、絶対気を
許しちゃダメ!」みたいな。中でも第1楽章の終わり近く、管弦楽が盛大に
盛り上がった頂点で一瞬黒雲がかかるように暗い影が現れる部分。ここが実に
コワイ。天使の仮面の下の悪魔の素顔がもうちょっとで暴かれる・・という趣き。
「5番」冒頭の「葬送行進曲のファンファーレ」そっくりのテーマを吹くトランペットが
印象深い。この部分を過剰なほどにグロテスクに演奏してほしいと個人的には
思っているが、私の乏しい聴体験の中では、まだそういう演奏に遭遇した事は無い。


しかし。この曲で最高に怖いのは最後の第4楽章である。猫丸め、何を抜かして
いるんだ、ここは「天上の生活」が歌われる最も平穏な部分じゃないか、という声が
多数聞こえてきそうである。確かに歌詞を素直に読めば、天上では安息の中で
パンにも酒にも野菜や果実にも全く事欠かず、獣の肉も魚も捕り放題!という趣き。
ウン、これは確かに楽しそうだ。最初の1週間位は。


ただ、ここで問題点急浮上。「天上の生活」である以上、この「楽園」の生活は
選択の余地なく永劫に続くのだろう。もしそうならば、これは本当に「楽園」なのだろうか。
少なくとも私には半年も耐えられそうにない。「いつでも何でも手に入る」という事は、
「手に入れた時の喜び」を失う事であり、そういう状態の生活が永劫に続く・・という
のは、ほとんど拷問に近い気がする。浮世の苦労を凌いでようやく到達した「楽園」が
実は「喜びを失う世界」(しかも足抜け出来ない)だったら・・・。これは怖すぎる。


そこで再びアタマに浮かぶのが、冒頭に掲げたきみまろ師匠の「箴言」である。
「くよくよする事は無いのです。人間の死亡率は100%なのですから」
ヤッパリ、ツライ事も上手くいかない事も色々あるけれど、「人生は有限だからこそ
輝く」のでは無いか。きみまろ師匠、恐れ入りました。


謎に満ちた「4番」。今回ご紹介の盤はワルターとウィーン・フィルによる1955年11月の
ライヴ盤。モノラルだが音質は悪くない。ウィーン・フィルの演奏は決してスマートとか
流麗とは言えず、むしろ「不器用」な感じですらあるが、それがかえって今では
聴けない良い味を出している。同じ日のライヴであるモーツァルトの「38番」も秀逸。
おまけにあのDECCAへのセッション録音があまりにも名高い「大地の歌」の
同じメンバーによる同時期のライヴまで収録されているという盛り沢山でお買い得な
おススメ品である。
★猫丸しりいず第289回
◎アリアーガ:弦楽四重奏曲(全3曲)
カメラータ・ボッケリーニ
(NAXOS 8557628)
音楽に興味を持ち始めた子供の頃、私の頭に強烈に刷り込まれてしまった
イメージ。それは「作曲家=短命」。


これは恐らくは最初に名前を知ったクラシックの作曲家たち、すなわち、
モーツァルト、シューベルト、メンデルスゾーンが皆30代で亡くなっており、
彼らの伝記等も「夭折の天才」という悲劇性が妙に強調されていた事が
原因だろう。ショパン、ウェーバー、ガーシュウィン等、他にも30代の若さで
亡くなった大作曲家は多い。


しかし「作曲家=短命」というイメージは単なる偏見であって、シベリウス、
R.シュトラウス、ヴェルディといった長寿の作曲家も少なくないし、ヘンデル、
ハイドン、グルックといった人々も70過ぎまで生きている。今思えば、
「短命で可哀想」という同情では無くて「短命だったのに、大作曲家として
確固たる地位を築いている」事への驚きが強かったのかもしれない。
実際、私は上記の30代で亡くなった作曲家たちが、仮に60、70歳まで
生きていればもっと凄い境地に至ったのでは・・という感慨に耽る事は
(彼らには悪いが)ほぼ無い。彼らはその短い人生の中でも「充分」と
言って良い仕事を遺してきた。


しかし、これが「20代で亡くなった」という事になると、やや事情が違ってくる。
瀧廉太郎(享年23)、ペルゴレージ(同26)・・・。そして究極の存在と思えるのが
20歳にも満たずに逝ったホァン・クリソストモ・アリアーガ(1806~1826)。
スペインのバスク地方の中心都市ビルバオに生まれるが、アリアーガの
誕生日は1806年1月27日。「オッ!」と気付かれた方もおられるだろうが、
モーツァルトの誕生日のピッタリ50年後!である。何とオソロシイ偶然だろうか。
この「スペインのモーツァルト」、幼い頃から「本家」に比肩する天才ぶりを
発揮し、父親によって「神童」と売り出され(ここも「本家」とソック リ)、15歳 で
パリ音楽院に入学。順風満帆と思いきや、20歳を目前にパリで客死。
当然ながら遺された作品の数は少なく、未だ謎の多い天才である。


この謎の天才の「弦楽四重奏曲」。ビックリの隠れ名作。
雰囲気としてはハイドンとモーツァルトを足して2で割り、そこにロッシーニを
振りかけました・・・という感じだが、単なる「折衷的な習作」では無く、そこに
既にアリアーガ独自の味が感じられる。古典派の技法をベースに、ロマン派
的な味わいをプラスした完成度の高さは、作曲家の年齢を考えればまさに
驚異的。3曲の弦楽四重奏曲の他、交響曲も彼は1曲遺しており、こちらも
中々に名曲だ。アリアーガの作品はCD時代になってから急速に録音が
増えているが、今回ご紹介のNAXOS盤は流通量も多く、演奏、録音ともに
高レヴェル。


それにしてもアリアーガ。類まれな天才であった事は疑いが無い。
せめてシューベルト並みの30歳過ぎまで生きていたら、音楽史上で非常に
大きな存在になっていたかもしれない・・・と思うと誠に残念である。
ひょっとしたら、彼を出発点とした「スペインのロマン派」みたいな流れが
出来ていたかもしれないのに・・・。
彼の2倍以上も生きているのに一体俺は何をやっているのか・・・と自問自答
してしまう不肖猫丸ではある。
★猫丸しりいず第288回


◎パデレフスキ:交響曲「ポーランド」
イエジー・マクシミウク指揮 BBCスコットランド交響楽団
(英HELIOS CDH55351)
前回は米大統領選がネタであったが、今回は「首相の作曲した交響曲」。
とは言っても在任中に作曲した訳ではないので、「首相を務めた男が作曲した」
というのが正確か。


その男はイグナツィ・ヤン・パデレフスキ(1860~1941)。
今日主に「伝説の名ピアニスト」として記憶されている彼だが、第1次大戦後に
発足したポーランド第2共和国の第3代首相を務めた事でも知られている。
彼の80年の人生は、主にピアニスト⇒作曲家⇒政治家⇒ピアニストという
流れの、波乱に満ちた他に中々類を見ないユニークなもの。


彼はまず20歳代後半からピアノの超絶名手として大人気を博し、欧米の
音楽界で引っ張りだことなるのだが、あまりに売れっ子になり過ぎて、過労や
指の障害に悩まされてスランプに陥り(「働きすぎ」というのは矢張り良い事では
無いようだ)、50歳を過ぎると滅多に人前で演奏しなくなってしまった。
それからしばらくは作曲を手掛け、その後政治活動に転身。そして1919年には
ポーランドの首相と外相を11カ月に亘って務めた。彼は約5年の間、政治活動に
専念し、その間は演奏活動はおろかピアノに触れる事すら無かったのだと言う。


この男の凄いのはここから。還暦過ぎて後は悠々自適と思いきや、何と彼は
1922年11月にニューヨークのカーネギーホールで怒濤の復活コンサートを開催
し、センセーショナルな大成功をおさめ、以後80歳で死去するまで演奏家として
第一線で活動したのである。30年近くマトモな演奏活動から離れていた男が
齢60過ぎてから再び聴衆を熱狂させる演奏家として再起した・・というのは
驚異的。パデレフスキと言えば、ピアノの練習に関して「1日サボれば自分に
分かり、2日サボれば批評家に分かり、3日サボれば聴衆にバレる」という
大名言を遺した男。その張本人が「3日」どころか「30年」のブランクをものともせず
大復活!となっては「アナタそりゃ反則でしょう」と文句の一つも言いたくなる。


そんな彼が1908年に完成させた大作が「ポーランド」。彼のほぼ最後の作品
なのだそうだが、大編成のオーケストラを用いた所要75分!という巨大作。
「珍交響曲マニア」には是非ご一聴をおススメしたい怪作だが、一般的に
「隠れ名曲」として推奨するのはかなり微妙・・(笑)。
イヤ、「駄作」と一刀両断するような曲では無い。面白い所も多々ある。
ただ、パデレフスキ首相、あまりに肩に力が入り過ぎ。「書きたい事をすべて
書いてしまった」結果、75分もの肥大した曲になってしまったのだろう。もう
ちょっと言いたい事を我慢して、45分位にシェイプアップしてくれれば、もっと
ビシッと締まった名作になっただろうに・・・という思いを禁じ得ない。
CD1枚に収まる75分で思いとどまったのは、まあラッキーだったとも言えよう
(笑)。「言いたい事は全て言わないと気が済まない」というキャラは
政治家向きではあるが、作曲家としては限界を露呈した感がある。
ちなみにこの盤の指揮者、名匠マクシミウクは永らく埋没していたこの大作の
蘇演に大きく寄与したらしい。演奏水準は非常に高い。


以前に当「猫丸」で、文章を書くに当たってムズカシイのは「如何に書くか」
では無くて「如何に書かないか」という点だという私の実感を記した事があったが
にも似たような部分があるのかもしれない。ああ、「凝縮」って本当に
ムズカシイ・・・・
★猫丸しりいず第287回


◎ハリス:交響曲第4番「民謡交響曲」 第6番「ゲティスバーグ」
マリン・オールソップ指揮 コロラド交響楽団(4番) ボーンマス交響楽団(6番)
(NAXOS 8559227/4番 8559609/6番)
米大統領選の共和党候補にドナルド・トランプ氏の指名が事実上決定・・という
ニュースが先日世界を驚かせた。この結果は、当初は誰も(恐らくは
トランプ氏自身も)予測をしていなかった事ではないだろうか。


今年(2016年)11月の本選挙がどういう結果になるかは分からないが、ここまでの
過程だけでもこの出来事がアメリカ合衆国という国家と共和党という政党に
とって、様々な意味で大きな転換点になる事は間違いないだろう。
今回は「共和党」と聞いて私が反射的に連想してしまう作曲家をご紹介。
その人の名はロイ・ハリス(1898~1979)。「カール・ベーム世代」でオクラホマ出身
のアメリカの作曲家である。


なぜこの人と共和党が私の中で結びついてしまったのか。もう10年以上前だが、
ロイ・ハリスの作品についての文章の中で、こんなフレーズに出会ったのだ。
「デカダン的、厭世的なものの何もない質実剛健なアメリカ人を誠実に描いていて、
これを聴けば共和党支持者の心映えがわかる」。コトバの主は(確か)片山杜秀さん
で、「相変わらず的確かつ面白い事を言うな」と感心しながら読んだ記憶がある。
ハリスはカリフォルニアで学んだ後、コープランドの推薦でパリに留学し、あの
ナディア・ブーランジェ女史に師事したという人で、米国の作曲家の中でもかなり
「大物」と呼んでよいポジションにありながら、日本ではお世辞にも親しまれている
とは言えない。


彼の作品の中で辛うじて知られているのは、バーンスタインの録音がある「交響曲
第3番」だろうが、正直あまり「とっつきやすい」作品とは言えない。ガーシュウィンや
コープランドの曲のようなキャッチーな親しみやすさに乏しく、何だか武骨でゴリゴリ
した感じである。その素朴さこそがハリスの音楽の魅力ではあるのだが。


今回とり上げた2曲はアメリカ音楽マニア以外全く知られていない作品ではあるが、
いずれも「理想を追い求めていた古き良きアメリカ」の匂いに満ちた、中々面白い
曲である。「第4番」は「交響曲」と銘打ってはいるが、お馴染みのアメリカ民謡を
オケと合唱がメドレーで奏でる・・という「モートン・グールドですか」と突っ込みたく
なる作品。しかし、グールドのような器用さ、サービス精神のようなものは稀薄で、
とにかく素朴でむき出しな感じが微笑ましい。「第6番」は「ゲティスバーグ」という
タイトルから明らかなように、アメリカに多数生まれた「リンカーンモノ」の作品の
一つ(そういえばリンカーンは共和党の大先輩)。「人民の人民による・・・」の
あの「ゲティスバーグの演説」を引用した4つの楽章から成る曲だが、コープランド
の「リンカーンの肖像」のようにナレーターの語りが入るわけではなく、オケだけで
進められる。穏やかに始まり、闘争を経て勝利へ・・というありがちな構成だが、
器用さは無くとも堅牢に組まれたという趣きのこの「6番」、聴きごたえある佳作だ。
ちなみに1944年の作品で、その「愛国的」な雰囲気は第2次大戦の只中という
時節と無関係では無いだろう。


ご紹介の2枚は、NAXOSの膨大なカタログの中でも最も偉大な成果と言える
「アメリカン・クラシックス」のシリーズに含まれており、このレーベルに多数の
優れた録音を残しているオールソップがここでも素晴らしい演奏を聴かせる。


様々な問題を抱えつつも、「理想」に向かって進もうとするバイタリティと、多種
多様な文化を柔軟に受け入れ、消化する懐の深さ。これこそがアメリカという国を
「超大国」に押し上げた原動力であった筈であり、8年前にオバマ氏が大統領に
選ばれた際の選挙戦ではまだそういう「アメリカらしさ」が随所に感じられたのだが、
今回の選挙戦からは、そういう「昂揚感」みたいなものがサッパリ感じられず、
「煮詰まり感」が漂っているように思える。一体アメリカ(そして共和党)は
これから何処に向かっていくのだろうか?
★猫丸しりいず第286回


◎コダーイ:歌劇「ハーリ・ヤーノシュ」(全曲)
フリードマン・レイヤー指揮 モンペリエ国立管弦楽団・歌劇場合唱団
ジェラール・デパルデュー(語り)
ベラ・ペレンツ(Br)、ノラ・グビッシュ(Ms)他
(仏ACCORD 4768474 ※2枚組)
「全曲のいいとこ取り」という趣きの「組曲」という楽曲がある。
限られた時間で作品のエッセンスを味わえる・・という点で中々重宝する
「組曲」ではあるが、今回はあえて「全曲のススメ」。


「全曲」と「組曲」を色々聴き比べた経験のある方ならご存知だろうが、
「組曲」で慣れ親しんだ曲の「全曲」に初めて接した時に、「組曲」の曲順が
全曲のそれと全然違ってビックリという事が少なからずある。「くるみ割り
人形」「眠りの森の美女」「ペール・ギュント」等が代表的な例だが、「組曲」
は「全曲」の単純な「時系列的抜粋版」では無いのだ、という驚きと共に、
「楽曲としての聴き映え」にポイントを絞った「並べ替えの巧みさ」に感心
してしまう事も度々だ。中には「アルルの女」のように、ほぼ「リメイク」と
言って良い作品もあるが、これなど「断片的な劇伴から、よくぞここまで
聴き ごたえ充分の組曲を・・・」と感動すら覚えるケースである。
(これは以前に「猫丸」でもとり上げた事がある。詳しくはコチラを・・・


こういう事柄は「全曲」を聴いて初めて解る事。それゆえ「全曲のススメ」
なのである。


コダーイの名作組曲「ハーリ・ヤーノシュ」。この曲が元々は「オペラ」であり、
その「全曲盤」が存在する事は意外に知られていないのではないだろうか。
オペラというより、セリフと音楽が交互に進行する「ジングシュピール」と
呼ぶのが相応しいと思えるこの作品の初演は1926年(プッチーニの
「トゥーランドット」と同期生!)。20分強とコンパクトな「組曲」に比べると、
このオペラ全曲は堂々2時間。その差はあまりに大きく、果たして「興味」
だけで長丁場を持ちこたえられるのか?と思われるかもしれないが、
それは杞憂と言ってよい。少なくとも、「ほら吹き爺さんの荒唐無稽な自慢話が
素材」というこの曲に関する基礎知識さえしっかり持っていれば、充分に
楽しめる楽しい作品である。


この全曲の数少ない録音の中で、最も有名なものは恐らくイシュトヴァン・
ケルテス指揮のDECCA盤だろうが、今回南仏モンペリエ・オペラのライヴ盤
をご紹介。風光明媚なモンペリエの街のこのオペラハウス、マニア狂喜の
珍曲オペラを果敢に上演しACCORDレーベルに録音している。チレアの
「アルルの女」、フンパーディンクの「王様の子供達」、レスピーギの「沈鐘」、
バーナード・ハーマンの「嵐が丘」等々、ディープすぎるラインナップだが、
この「ハーリ・ヤーノシュ」もその活動の一環として2004年に上演されたもの。
歌唱はハンガリー語だが、語りの部分はフランス語。この異言語の組み合わせ
が若干珍妙ではあり、語りもハンガリー語だったら・・と思わなくも無い。
ただ、この手の珍しい作品の上演にあたっては、作品への理解を深めるに
当たって上演地の「地元」の言語を用いる、というのはそれで一つの見識
なのは確か。実際、この上演、聴衆には非常にウケていて、終演後も
大喝采。演奏のレヴェルも中々高い。ただ、実演の機会が稀少と思える
作品だけに映像があればもっと楽しめたかも・・・とも思う。


「組曲」と「全曲」の知名度の乖離があまりに大きい「ハーリ・ヤーノシュ」。
実に惜しい。コダーイの好きな方、「ハーリ」の組曲が好きな方、是非ご一聴を。
最後にしつこく「全曲のススメ」。
★猫丸しりいず第285回


◎アージェント:ヴァレンティノ・ダンス、エドガー・アラン・ポーの墓 他(管弦楽曲集)
大植英次指揮 ミネソタ管弦楽団
(米REFERENCE RECORDINGS RR91CD)
◎モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番
ワルター・クリーン(P)
スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮 ミネソタ管弦楽団
(国内コロムビア/VOX COCQ84707~ ※5枚組)
このところクラシック音楽界のみならず、他の音楽ジャンルにおいても大物の
訃報が相次いでいるが、プリンスの突然の訃報にはさすがに驚いた。
マイケル・ジャクソンの急死にも驚かされたが、プリンスの死はまさに青天の霹靂と
言ってよく、CNNやBBCがトップニュースとして、かなりの時間を割いて報道していた
事も、彼が音楽界に与えた多大な影響を物語っているようで、非常に印象に残った。


CNNのニュースはアメリカ、ミネアポリスの彼の自宅前に大勢のファンが詰めかけ、
その突然の死を悼む様子を伝えていたが、その中でリポーターが、「プリンスは
どんな大物になっても、故郷のミネアポリスを離れなかった事で、ミネアポリスの
人々に本当に親しまれ、敬愛されていた」と述べていたのに大きく心を動かされた。
マイケル・ジャクソンやマドンナと同じ1958年の生まれで、私が大学生の頃の
音楽シーンに(そして今日に至るも尚)絶大な影響を与えたプリンスこと
プリンス・ロジャーズ・ネルソンの早過ぎる死を悼み、冥福を祈りたい。


プリンスらミネアポリス出身のミュージシャンたちの生み出した音楽は「ミネアポリス・
サウンド」と呼ばれ、世界に拡散したが、今回は言わばクラシック界の「ミネアポリス・
サウンド」と呼べる作品をご紹介。それはアメリカの作曲家、ドミニク・アージェント
(1927~)の作品群。


ミネアポリスを本拠とするミネソタ管弦楽団は1903年創立の全米でも「老舗」格の
名楽団。前身の「ミネアポリス交響楽団」の時代からドラティやスクロヴァチェフスキ
と多くの名録音を残し、その後もマリナー、デ・ワールト、ヴァンスカ等名だたる指揮者
たちに率いられてきた。アージェントはこのオケに永きに亘って数多くの作品を捧げ、
1997年には楽団から「桂冠作曲家」という称号をもらったという御仁である。
デ・ワールトの後任としてこのオケの指揮者に就任した大植英次は、この作曲家の
作品を内外で良く演奏しているようだ。アージェントの作品はアヴァンギャルドな要素が
全く無い保守的で聴きやすいものばかり。最初に入っている「ヴァレンティノ・ダンス」は
サイレント映画時代のハリウッドの大スター、ルドルフ・ヴァレンティノが題材のタンゴ。
きらびやかな響き、ちょっと捻った展開等、中々サービス精神?に満ちた面白い曲。
他にも四季を描いた「リング・オブ・タイム」等全部で5曲が収められているが、どの
作品も「きらびやか」ではあるものの、決してゴチャっとした「暑苦しさ」は無く、キッチリ
と整理整頓されたクールな音響が印象的である。


思うにこの「クールな響き」という特色は、ミネソタ管という楽団の特色でもある。
20年に亘ってこの楽団を鍛え、黄金時代を築いたのはスクロヴァチェフスキであり、
VOXに録音したラヴェル、ストラヴィンスキー、バルトーク等は独特の澄んだ、クールな
味わいで存在感を放っているが、忘れてならない名盤がソリストにワルター・クリーンを
迎えたモーツァルトの「27番」の協奏曲。彼岸が見える様なこの曲の清澄さをここまで
見事に描き出した演奏は、他に中々無い。実演を聴いた時の圧倒的な感銘を
思い出させるクリーンのピアノだけでも充分素晴らしいが、そこに「ミスターS」とミネソタ管
の澄み切った伴奏が付くのだから、まさに「鬼に金棒」級である。カップリングされた「17番」
も大名演。天上のプリンスの魂に、彼の愛した「地元産」のこの「27番」の演奏を捧げたい
と思う。


プリンスさん。安らかに。
★猫丸しりいず第284回


◎ブラームス:ヴァイオリン協奏曲、交響曲第4番
ダヴィッド・オイストラフ(Vn)
アントニオ・ペドロッティ指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
(SUPRAPHON SU3780 ※廃盤)
 
多くの「隠れ名匠」をネタにしてきた当「猫丸」だが、今回は「謎の名匠」と呼びたい
アントニオ・ペドロッティ(1901~1975)が登場。


何が「謎」なのか。今までとり上げてきた「隠れ名匠」たちは、今日「隠れ」になって
しまっているとは言え、それなりの量の録音を遺し、ある程度はワールド・ワイドな
活躍をした人がほとんど。それに対し、ペドロッティは遺された音源そのものが
非常に少ない。その稀少な音源を聴くと、中々の名指揮者であった事は容易に
想像出来るのだが、一体どうした事なのだろうか。


私が彼の名前を初めて知ったのは、チェコ・フィルとのレスピーギの「ローマ三部作」。
かつては「ローマ三部作」の廉価盤としてそれなりの存在感を放っていたが、今や
廃盤で入手困難となってしまった。まろやかなオケの音色とイタリアンな情熱の
せめぎ合うユニークな名盤。しかし、このペドロッティという指揮者の音源は他に
全く見当たらず、長年彼は私にとって「謎の一発屋名指揮者」であり続けた。


ペドロッティはイタリア北部トレントの生まれで、ローマの聖チェチーリア音楽院で
レスピーギに作曲を学んだ人。つまり上記の「ローマ三部作」はまさに「師匠直伝」
の名演というわけである。しかしそれ以上の情報は得られず、彼の正体は相変わらず
「謎」のまま。そして彼の名を知ってから20年以上経った2006年に突如私の前に
現れたのが、コロムビアから発売された「スプラフォン・ヴィンテージ・コレクション」
に含まれていたブラームスの「交響曲第4番」。これを見つけた時は、思わず
「オオーッ!」と雄叫びを上げる所であった。1957年のモノラル録音。ステレオで無い
のがチト残念ではあったが、興 味津々で 聴いてみる。


「素晴らしい!」とまたも雄叫びを上げそうになってしまった。古雅でマイルドな
チェコ・フィルの魅力溢れる響きに、まさにイタリアンな情熱とカンタービレ!
(上記のレスピーギの名演と通じる魅力である)
第1楽章は「手に汗握る」という趣きで、このシブい曲を聴いてこんな経験をした
事はそれまで無かった。「おフランス弁丸出し」で妙にセクシーなマルケヴィッチ&
ラムルー管盤と双璧の「ブラ4ユニーク名盤」。ペドロッティはイタリア国内での活動が
メインだったようだが、何故かチェコ・フィルとの相性が非常に良く、度々客演していた
のだそうだ。このコンビの貴重なライヴ音源が、オイストラフとのブラームスである。
1961年のプラハの春音楽祭のライヴで、当時まさに全盛期だったオイストラフの
至芸に心奪われる。いかにもライヴらしいノリの良さと凄い熱気は 実にスリリングで
、まさに聴き惚れてしまうのだが、ペドロッティの指揮するオケがオイストラフに対して
一歩も引く事無い素晴らしい熱演を繰り広げており、このコンビの関係が如何に
信頼関係に満ちた良好なものだったかが理解出来る。ちなみにこの「協奏曲」は
SU4015という規格で現在(2016年4月)まだ流通しているが、「交響曲第4番」が
上述のコロムビアの国内盤が廃盤になって以来入手困難になっているのが残念で
堪らない。


チェコ・フィルのSUPRAPHON録音には意外な指揮者たちとの入手困難な名盤が
多い・・・という事は以前もとり上げた通りではあるが、
(詳しくはhttp://blog-kichijyouji-classic.diskunion.net/Entry/2730/)、「ニッチ」な
音源が次々発掘されている昨今のトレンドの中、ペドロッティを含むチェコ・フィルの
隠れ名盤たちが再び日の目を見る機会がある事を熱望している。
★猫丸しりいず第283回


◎セルメル:フランドルの謝肉祭、交響詩「プロメテウス」
ミハイル・ユロフスキ指揮 オスロ・フィルハーモニー管弦楽団
(SIMAX PSC1233)
これまで有名無名を問わず、数多くの北欧の名曲をネタにしてきた当「猫丸」
であるが、様々な作品を聴くと、一口に「北欧」と言ってもその音楽作品は
地域によってかなり「味わい」が違う事に気付く。


私見ではあるが、北欧の音楽は西に行くほど「情」が濃く、東に行くほど響き
がクールになっていくように思える。「必要」とあらば濃い表情付けや猛々しい
音響も辞さないノルウェーやデンマークの楽曲に対し、スウェーデンや
フィンランドの作品は壮大に音楽が盛り上がる部分でも、「底」や「中心」の
部分にはどこかヒンヤリとした感触が残る。シベリウス、マデトヤ、クラミ等の
フィンランドの作品には特にそれを感ずる。「アイスクリームの天ぷら」みたいな
味わいか。


今回とり上げるのは、ノルウェーの知られざる名作。
このSIMAXの盤には二人の作曲家の作品が収録されている。前半には
スヴェンセンの作品が登場するが、この作曲家については以前「猫丸」でも
事があるし、彼の作品は多くは無いとは言え、そこそこ演奏される機会を持っている。
しかし、後半に登場するヨハン・ペテル・セルメル(1844~1910)は、マニアな私に
とっても初耳の人。グリーグやスヴェンセンと同世代で、この2人と同様に
ライプツィヒで学び、生前はかなりの名声と演奏機会を持っていた作曲家らしい。
だが、如何なる理由からか、彼の作品は没後全く忘れ去られ、今日に至るまで
「封印」されたような状態になってしまった。


セルメルって誰?という興味本位で入手したこの盤。聴いて驚き。
謎の男セルメルの作品、実に面白い。シンディング、スヴェンセン、ハルヴォルセン
等の作品が再評価されてきた中、セルメルの作品だけが、この録音が出るまで
まるでと言って良い程に無視されてきたのか、不可解としか言いようが無い。


ベルリオーズの「ローマの謝肉祭」に触発されて生まれたという「フランドルの
謝肉祭」、お馴染みのギリシャ神話を素材にした「プロメテウス」。どちらも聴きごたえ
充分の名作である。何と言っても、如何にも「ノルウェー産」という趣きの人間臭さ、
土臭さが魅力的。「お高くとまったクール感」の無い、どこか「ユルさ」のある素朴な
響きと音楽運びはグリーグにも一脈通じる魅力がある。この一枚が、謎の男
セルメル再評価の狼煙となるか・・・と期待を抱いた私だったが、今のところ全然
そんな動きが見えないのは残念。もっと多くの作品を聴いてみたい作曲家で
あるのだが・・・・。


それにしても、音楽作品が長い歴史の中で生き残れるか否かというのは、本当に
難しく、不可思議な問題である。生前の評価と名声が作曲家の死と共にパッタリ
途絶えてしまう・・というケースについては、以前「猫丸」でもドレーゼケとゲルンスハイム
をご紹介した事があったが(http://blog-kichijyouji-classic.diskunion.net/Entry/2435/)、
そうすると同様なケースは他にもまだまだ有り得るという事なのだろうか。
クラシック音楽の世界、奥深すぎる。

★猫丸しりいず第282回



◎ドホナーニ:童謡の主題による変奏曲
クリスティーナ・オルティス(P)
小泉和裕指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
◎ドホナーニ:チェロと管弦楽のためのコンチェルトシュトゥック
ヤーノシュ・シュタルケル(Vc)
ワルター・ジュスキント指揮 フィルハーモニア管弦楽団
(EMI 2643192 ※2枚組 廃盤)
「ズッコケ」という言葉は今や「昭和時代の古語」になってしまったのだろうか。


「ちり紙」とかと同様に、この言い回しは本当に廃れてしまったように思う。
昭和を代表する児童文学、那須正幹と前川かずおの名コンビによる
「ズッコケ三人組」がまず頭に浮かぶが、ドリフターズ、コント55号、伊東四朗
と小松政夫のギャグ等は、まさに「ズッコケ」花盛りという趣きであった。
今回は「昭和の化石」となりつつある「ズッコケ」を惜しみつつ?、クラシック界
を代表する「ズッコケ系名曲」をご紹介したい。それは「童謡の主題による
変奏曲」。エルネー・ドホナーニ(1877~1960)、そう、名指揮者クリストフ・
フォン・ドホナーニの祖父として知られるハンガリー出身の作曲家の作品である。


同年代のバルトークやコダーイと比べ、彼の作品には「マジャール的」な香りは
稀薄で、むしろドイツ・オーストリア系の後期ロマン派からの影響を強く感ずる。
独奏ピアノと管弦楽のための「童謡の主題による変奏曲」は、恐らく彼の最も
知られた作品で、変奏のテーマとなっている「童謡」とはかの有名な「キラキラ星」。


この曲を初めて聴いた時はぶったまげた。きっと最初に「キラキラ星」のテーマが
呈示されるこじんまりした愛らしい作品だろう・・・と勝手に想像して聴き始めると、
いきなり地響きを立てるような管弦楽の大咆哮。何じゃコリャ、曲を間違えたかと
慌てて確認するも、間違いは無い模様。それにしても「キラキラ星」の主題など
影も形も無いし、一体この先どうなるのか?と思う間も、怪獣のようなオケの
大音響は延々3分以上も続き、和音の一撃で一区切り。と、ここでようやく
独奏ピアノが「キラキラ」の主題を奏でて変奏がスタートする。この部分の落差が
あまりに凄くて、最初に聴いた際はまさに「ズッコケて」しまった。ここのピアノ
の登場の仕方たるや、何だか泥酔したオヤジが大音声で騒いでいるところに
清楚な身なりの娘さんが出てきて、「すみません・・・ ウチの父が大変お騒がせ
しまして・・・」と小声で謝っているような感じで妙に可笑しいのである。


ここからの変奏曲が陳腐な出来であれば、まさに「大山鳴動して鼠一匹」という
諺を地で行く形になってしまうのだが、この変奏曲部分は中々名曲で、音楽運び
といい、管弦楽の扱いといい、ドホナーニという作曲家の才覚と器用さが充分に
味わえる。正直、この部分だけでも充分名作と思えるのに、あの「いきなり泥酔
オヤジ乱入」みたいな大袈裟極まりない序奏を付けて聴き手を戸惑わせ、
ズッコケさせるドホナーニの狙いは何だったのかは未だに謎だ。ただ、序奏と
本編の「ヴィクトリアの滝」級の落差の大きさがこの曲を強烈に印象付けている
のも事実なので、案外そういう効果を期待したのかドホナーニさん。


この作品を録音しているピアニストは、コチシュやシフ等のハンガリー勢や
カッチェンやアール・ワイルド等のアメリカ勢といった作曲者ゆかりの国(ドホナーニ
は第2次大戦中にアメリカに亡命し、ニューヨークで生涯を終えている)の人が
多いが、私のお気に入りはブラジル出身のオルティスが1975年に録音したもの。
バックをまだ30代半ばという若き日の小泉和裕が務めているのもポイントで、
雄弁なオケとリリカルなピアノが上手く噛みあった瑞々しい秀演。
ちなみにキューバのピアニスト、ホルヘ・ルイス・プラッツ(このピアニスト、まさに隠れ名匠と呼ぶに相応しい素晴らしい奏者!)がエンリケ・バティスと
共演した盤も(カップリングされたグリーグの協奏曲共々)名演である。意外だが
この曲と中南米の演奏家は相性が良いようだ。


尚、このオルティス盤には巨匠シュタルケルの弾く「ミニ・チェロ協奏曲」も収録
されており、これも聴きもの。共演指揮者が前回のテーマの名匠ジュスキントで
あるのが嬉しい。


「ズッコケ大怪作」でありながら名曲、という貴重かつ侮れない存在の「童謡の
主題による変奏曲」。マニアな貴殿におススメです。
★猫丸しりいず第281回


◎ホルスト:惑星
ワルター・ジュスキント指揮 セントルイス交響楽団
(米VOX VOXBOX5105)
◎シューマン:交響曲全集
イェジー・セムコフ指揮 セントルイス交響楽団
(DOCUMENTS 231553 ※VOX音源)
これまで色々な指揮者たちをとりあげ、驚く程に多くの反響を頂戴している
「忘れられた名匠救出しりいず」だが、今回は若干切り口を変えて、全米で
ニューヨーク・フィルに次ぐ2番目に古い歴史を誇るセントルイス交響楽団
の指揮者を務めた2人の名匠をご紹介。ワルター・ジュスキント(1913~
1980)とその後任のイェジー・セムコフ(1928~2014)である。


セントルイス響と言えば、何と言っても膨大な録音を出し黄金時代を謳歌
したレナード・スラットキンの時代があまりに有名なのだが、逆にそれ以前の
時代が全然と言って良い程無視されているのが本当に残念である。
1931年に着任して四半世紀以上このオケを鍛えたウラディーミル・
ゴルシュマン(EMIキャピトル等に多くの録音を遺している)の退任後、しばらく
パッとしなかったこのオケに1968年に着任したのが、プラハ生まれの
ジュスキントである。ちなみに彼の名前はSusskindと綴るが、カタカナ表記は
実に混乱していて、「サスキンド」「ススキンド」等々様々であるのだが、私は
彼の事を最初に「ジュスキント」と覚えたので、今更他の表記を用いるつもりは
無い。この人もナチの台頭で祖国を追われた一人。英国に亡命した後は
英国の他、豪州、アメリカ、カナダ等で活躍したが、現状流通している音源の
ほとんどはグレン・グールド、ネルソヴァ、ヌヴー、フェラス等と共演した
協奏曲のもの・・・という不憫な御仁。


私はジュスキントの事をクラシック初心者の中高生の頃から知っていた。
何故かと言うと、ホルストの「惑星」の当時貴重な廉価盤として出回っていた
のが、今回ご紹介のセントルイス響との録音だったのである。ちなみに当時は
この曲の人気が急激に高まった時期であり、他にも廉価盤LPが出ていたが、
バーナード・ハーマン&ロンドン・フィル(DECCA)、アルメイダ&モンテカルロ
国立歌劇場管(コロムビア)、ロッホラン&ハレ管(EMI)等々、マニア狂喜、
B級感爆裂のラインナップであった。そんな強力ライバル(笑)たちに比べ、
ジュスキントの「惑星」はヨーロッパ的で、ダイナミックながらもどこかノーブル。
「鋭角的ド派手演奏」とは言えず、そのへんに物足りなさを感ずる向きも
あるかも知れないが、鮮やかな「火星」や腰の座った「木星」等、今聴いても
中々の秀演と思わせる。ちなみにご紹介のCDはスメタナの「我が祖国」全曲との
2枚組だが、この「我が祖国」も素晴らしい。よくある「熱血」系の猛演ではなく、
これまた実にノーブルで落ち着いた演奏でありながら、ナチの侵略で祖国を
追われたジュスキントのチェコへの「想い」がジワジワと伝わってくる。
ヒューマンな温かさに溢れた名演奏だ。


ジュスキントの後任(1975~1979年)を務めたのが、ポーランド出身の名匠
セムコフ。録音は少なくなく、晩年にブレハッチと共演したショパンのピアノ協奏曲
が突如DGから登場して一部マニアを喜ばせた人であるが、彼の代表作と
呼びたいのが、隠れ名盤として一部で熱狂的な?支持を得ているシューマンの
「交響曲全集」である。シューマンの交響曲が好きな方で、このセムコフ&
セントルイスの録音を聴いた事が無い・・というなら、それは大損と断言したい。
とにかく「普通」の演奏である。それなのに物足りなさが全く無い。
そして何より心地良いのが、前述のジュスキントの「我が祖国」にも通ずる
「ヒューマンな温かさ」。長年に亘りヨーロッパの指揮者たちの薫陶を受けてきた
からか、セントルイス響の響きは非常に落ち着いていて、いわゆる「アメリカ的」
なメタリックな色彩が無いのである。何の予備知識も無しにこのシューマンを
聴いて、「アメリカの地方オケの演奏」と当てられる人はあまりいないだろう。


スラットキンの後を継いだハンス・フォンクによって、セントルイス響のヨーロッパ
的な味わいが復活し、さあこれから新境地・・と思った所でフォンクが難病に
侵され亡くなってしまった事が、返す返すも惜しまれる。地味ながら捨て難い
「セントルイスの名匠たち」を不肖猫丸はこれからも贔屓にいたします。
★猫丸しりいず第280回


◎モーツァルト:交響曲第1番
ニコラウス・アーノンクール指揮 ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
(国内ARIOLA BVCD34019~ ※3枚組 廃盤)
とにかく最近、名指揮者の訃報が続く。


つい先日ブーレーズをとりあげたばかりと言うのに、今度はアーノンクールの
訃報が届いた。ブーレーズとはまた違う意味で、クラシック演奏史に多大な
インパクトを与えた人である。当「猫丸」でも、マラン・マレの「膀胱結石手術図」
http://blog-shinjuku-classic.diskunion.net/Entry/790/)と、ガーシュウィンの
「ポーギーとべス」全曲(http://blog-kichijyouji-classic.diskunion.net/Entry/1874/
という対照的な2点をご紹介済みだ。


私と同年代以上の方には、この指揮者がまだ「ハルノンクール」と表記されていた
比較的初期から晩年に至るまでのキャリアとほぼ同時進行の「リスナー人生」を
送ってきた方が多いと思う。私も含めてこの年代の聴き手には、初期の彼に
対する「闘士」「反逆児」みたいなイメージが非常に強く残っていて、彼が年齢を
重ねて「巨匠」的なポジションを獲得した後も、どこかに「この人ホントに名指揮者
なのか」というような一種の「引っ掛かり」が拭えない・・・という印象がある。


私が初めて接した彼の演奏はアムステルダム・コンセルトへボウ管との
モーツァルトの「40番」で、大いに驚き、面白い!とは思ったものの、本当の意味で
彼の音楽に共感したという訳では無かった。その後もあまり積極的に彼の演奏に
接してきたとは言えなかった私にとって、一大転機となったのが前述の「ポーギーと
べス」の全曲録音。こよなく愛するこの名曲をよりによってアーノンクールが・・・・
という興味本位で聴いた。何度も繰り返し聴いていくうちに、最初に感じた「違和感」
は解消され、逆に彼が決して「伊達や酔狂」でこの作品をとり上げた訳ではなく、
如何に深くこの作品を研究し、愛情を持って演奏しているかが強力に伝わってきて
「さすがだ」と感服してしまったのである。


アーノンクールの凄いところは、「これまでの演奏史」に全くこだわる事なく、自分の
目で楽譜をゼロから読み直し、一切の妥協無くそれを音にしていくという姿勢が
最後まで変わらなかった点。「ポーギーとべス」に感心した私が他にも色々聴いた
彼の録音には、まさに「目から鱗が落ちる」級のインパクトを受けたものも多々
あったが、例えばブラームスの「交響曲第4番」の第1楽章には度肝を抜かれ、
慌ててスコアを見直してしまった程だった。結果「なるほどね~」と唸らされて
しまったのだが、興味のある方は是非スコアを見ながらこの演奏を聴いて頂きたい。
そして、もう一つの「目から鱗」が今回ご紹介のモーツァルト。


この「初期交響曲集」、1999~2004年にかけて録音され、アーノンクールと彼の
孫の共演?によるモーツァルト父子の手紙の朗読までついており、初出当時は
話題を呼んだアルバムだったが、何と現在廃盤らしいのは惜しい。
「交響曲第1番」。わずか8歳!でモーツァルトが書いた作品。実にシンプルな
造りで、私はベーム&ベルリン・フィルの手堅い演奏で長年親しんだ作品だったが、
このアーノンクールの演奏を初めて聴いた時には悶絶&抱腹絶倒状態。
なだらかで「純朴」という趣きのベーム盤に比べると、アーノンクールの演奏は、
「急上昇&急降下」という感じの強烈な強弱の付け方や濃い表情等々、別の
作品を聴くようなスリルに満ちている。「イヤ~、やってくれるわ」と呆気にとられたが、
この演奏を聴いて確信させられたのは(ベーム盤でも薄々気付いてはいたが)、
この「交響曲第1番」が少年の習作にも関わらず既に十二分に「モーツァルトの音楽」
になっている事。やはりアマデウスという男、異常天才としか言いようが無い。
この作品をここまで「体当たり」でやってのけるアーノン クールには脱帽である。


注目はされるが、あまり評価されない・・という微妙なポジションから脱却出来ない
まま逝ってしまったように(個人的には)思えるアーノンクール。彼に対する正当な
評価が盛り上がるのはこれから!と期待したい。
★猫丸しりいず第279回
 
◎モーツァルト:レクイエム
 
エーリッヒ・ラインスドルフ指揮 ボストン交響楽団 他
(海外RCA 720792 2枚組 ※1964年1月19日 J.F.ケネディ追悼ミサ実況)
 
音楽に関する文章を書くにあたって、自分が大きな影響を受けた人々の中で
特に忘れ難い人がいる。それは三浦淳史さん(1912~1997)。その業績から
言えば「大先生」なのだが、あえて親しみを込めて「三浦さん」と呼びたい。

三浦さんの文章にリアルタイムで触れたのは、恐らく私の世代から上の皆さん
であり、若い世代の方にとって「三浦淳史」という名前はあまり馴染みが無い
かもしれない。伊福部昭の盟友であり、その独特な味わいの暖かい文章に
よって多くの音楽ファンに親しまれた評論家である。


三浦さんの最大の業績は、英国の音楽や演奏家を積極的に紹介した事だろう。
ディーリアスやバルビローリを筆頭に、英国の音楽家の人気が日本で非常に
高いのは、三浦さんの影響抜きには考えられない。そして、三浦さんのもう一つの
業績は、知名度は高いが「職人的」と見なされ、当時(今でもかもしれないが)
人気がイマイチだった名演奏家たちを、人間味溢れるエピソードを挟みながら
紹介した事。ドラティとか、前々回にとりあげたスタインバーグについての
エッセイは素晴らしかったが、中でも忘れられないのが、名匠エーリッヒ・
ラインスドルフ(1912~1993)。


奇しくも三浦さんと同い年で、没年も近くほぼ同じ時代を生きたと言えるこの
名指揮者。ウィーンに生まれ、20歳代後半の若さでトスカニーニの推薦により
ニューヨークのメトロポリタン・オペラにデビューしたが、あいにくその年(1938年)
にナチスドイツによるオーストリア併合という大事件が発生。ユダヤ系だった彼は
祖国に戻る事が不可能になり、その後米国でキャリアを築く・・・という、この年代
のユダヤ系の音楽家と同様の道のりを辿った人である。
驚異的な耳の良さと厳しいトレーニングで多くの名盤を遺したが、その「即物的」
な演奏スタイルは玄人筋にはウケても一般的な人気からは程遠いと言える存在。
そのあまりに厳格なリハーサルから、楽団と揉める事も少なくなかったようだ。


しかし、三浦さんの文章は、そんな彼を「厳格」という切り口だけで紹介したりは
しない。「鬼の巨匠」も家庭ではユーモア溢れる良き父だったようだ。自宅に招いた
客人が食事の際に出て来たローストビーフのソースに興味を示し、ラインスドルフに
「これどうやって作るんだい?」と尋ねると、彼は得意げに「奥さん秘伝のソース」の
種明かしを始めようとするのだが、その場にいた娘さんに「パパ!ママの留守中に
ママの企業機密をバラしちゃダメじゃないの!」ととっちめられ「あ、スンマセン・・」
とスゴスゴ引き下がった・・・という、微笑ましい「ダメおやじ系」のエピソードが
紹介されていて、「へえ、この巨匠にもそんな一面が・・」と意外に(そして嬉しく)
思ったものだった。こういう人間臭い逸話を混ぜ込みつつ、実に温かく、なお且つ
「ダンディ」な文章。私には一生かけてもこんな名文は書けそうもない。降参だ。


ラインスドルフの名盤は、以前に当「猫丸」でもとりあげた「トゥーランドット」の全曲盤
の他、ボストン響と遺したベートーヴェンやプロコフィエフの交響曲やマーラーの
「3番」、ベルマン&シカゴ響と組んだブラームスの「ピアノ協奏曲第1番」、
コルンゴルトの「死の都」全曲等々、次々頭に浮かぶが中でも印象深いのが、
今回ご紹介の「レクイエム」である。


この盤は1964年1月19日に行なわれたJ.F.ケネディ米大統領を追悼するための
ミサのライヴ録音で、楽曲のみならずミサの開始を告げる鐘の音や、ボストン
大司教の祈りの言葉等も収められている。前年の11月にダラスでJFKが凶弾に
斃れたという衝撃的なニュースが入った際、ちょうどボストン響の公演中だった
ラインスドルフは演奏を中断して聴衆にこの悲劇を伝えたのだそうだ。
この「レクイエム」、今は中々聴けない「重厚長大」型の名演奏。荘厳な雰囲気の
中に、当時のアメリカ社会を覆っていたであろう悲しみ、喪失感のようなものが
伝わって来て胸を打つ。自分の生まれる半月前の「事件」の記録として個人的にも
感慨深い音源。「ラインスドルフ=即物的」というイメージを覆すアツい演奏を
聴く度に、私の頭には三浦さんの名エッセイが甦るのだ。
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